環境教育研修会でC.W.ニコル氏が講演

 今日は東京・原宿にある生長の家本部事務所で職員を対象とした環境教育研修会が開催されました。今回の講師は「アファンの森財団」理事長のC.W.ニコルさんです。ニコルさんは、講演のほか、DVDを使って「アファンの森」の様子を紹介されたり、参加者から寄せられた質問にも丁寧に答えてくださいました。私は、この研修会のスタッフの1人として準備、運営に携わり、当日は司会を務めさせていただきました。

 同事務所では2001年に環境マネジメントシステムの国際基準であるISO14001を取得して以来、環境に配慮した様々な取り組みを実施しています。その中の一つに、本部事務所内の各部課からISOプロジェクトチームメンバーを選出し、そのメンバーが事務所全体のISOの諸活動についてイニシアチブを取ることになっています。そのプロジェクトチームはさらにいくつかのグループに分かれて活動しています。例えば、赤坂にある境内地の清掃活動グループ、本部周辺の清掃活動グループ、森に学ぶグループ(後でご紹介します)などがあります。私はこの4月から同チームのメンバーとなり、環境教育研修会のグループの所属となり、そこのリーダーということになりました。

 環境教育研修会は、本部事務所の「環境マネジメントマニュアル」に職員の環境意識を高めるための研修会を1年に1回開催する、と定められていることに基づいて行われるものです。昨年は、岐阜県にあるオークビレッジの稲本正・代表にお越しいただき、森に関する魅力溢れる研修が行われました。

 それで環境教育研修会グループでは、昨年の6月頃から講師の検討をグループの皆さんと始めました。今回、プロジェクトチームの会議に提案するにあたって、色々な方を候補としてあげて検討しましたが、あと1年ほどで森に行くという時期でもあり、昨年、オークビレッジの稲本正さんに来て頂いたことから、今年も引き続いて「森」について深い造詣のある方が良い、ということになりました。その中でも、谷口雅宣・生長の家総裁が開設されている旧ブログ『小閑雑感』で2回にわたって(2011年3月22日:“森の3人組”に期待する、2011年5月5日「めんどくさい」が世界を救う)紹介されているのを拝読して、多くのメンバーが、C.W.ニコルさんを候補としてあげたほか、お2人の候補を提案しました。

 その後、色々な話し合いが行われ、最終的には本部事務所の最高環境責任者の承認を得て、C.W.ニコルさんにお越し頂くことなりました。(続く)

| | Comments (0)

尊い人生のレッスン

 先週の金曜日と土曜日、仕事で三重教区に出張しましたが、その途中、名古屋市にお住まいのIさんという、元本部講師の方のお宅を訪問しました。Iさんは8年ほど前からALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病にかかっているのですが、娘のNさんの献身的に介護を受けながらご自宅で静かに過ごされています。

 私は愛知県に住んでいたとき(20年も前のことですが)から生長の家の布教活動に元気に邁進されていたIさんのことは存じ上げており、またNさんとは平成4年に生長の家本部に奉職した同期でもあります。(Nさんは平成9年に退職)家内も生長の家本部に勤めていたときにはIさんとは同じ部署に勤めていて、母親を亡くしたときにとても力づけてくれるなど、大変お世話になった方で、Nさんとも旧知の仲です。最近では、Nさんとは家内も私もfacebookでお友達同士などのご縁もあって、今回出張前に少し時間を作って訪問させていただきました。

 ALSは運動神経が衰え、筋肉が消耗し、麻痺していく病気です。実は、2006年にNHK教育テレビ(現在のEテレ)の「介護百人一首」という番組で、Nさんが詠んだ歌が取り上げられて、取材されたことがあります。

 私はIさんのお宅を訪ねることを決めてから、お母様が倒れられてから8年余りの間、毎日ずっと看護を続けるとはどういうことだろう、と考えを巡らせました。もちろん、医療やヘルパーさんの手を借りて、自分の出来る範囲で、ということでしょうが、自由時間はほとんどありませんし、外の世界との関係は必然的に薄くなってしまいます。お父さんを早くに亡くされたNさんにしてみれば、掛け替えのない大切な母親を守りたい、その一途な、真剣な、純粋なお気持を思うと、お会いしたときにどのように声をかければ良いのか、正直戸惑いもありました。

 Nさんに前回お会いしたのはおそらく平成9年に本部を退職される時だと思うので、お会いするのは実に15年ぶりです。しかし玄関でお会いしたときには、前回お会いしたときと変わっていませんでしたが、お1人で家を守っておられるからでしょうか、凛とした筋の通った感じが印象的でした。一歩お部屋に入ると、ゆったりとした時間が流れ、惜しみなく愛を与え続けることで醸し出されているような、愛と癒しの空間が広がっていることを感じました。

 その日の前日は木曜日だったので、Iさんがお元気だった頃の話をしながら家内とデパートに行って、何をお土産に持って行こうか色々と話し合いながら買い物をしました。そして、私たちがハワイに行っていた時の写真を整理して、現像して、小さなアルバムに入れ、家内はNさん宛に手紙を書きました。それをお渡しすると、まるで宝物を手にしたかのように喜んでくださったので、とても嬉しく思いました。

 Iさんが外出できる時間は、1週間に5回ヘルパーさんが来られるときで、それも1回2時間だそうです。その時間を縫って、わざわざケーキを買ってきてくださった(ものすごく美味しかったです!)ので、そのケーキを頂きながら、ハワイでのことを話したり、また、Nさんの知っている人が今どうしているいるかなどをNさんに色々話している内に、あっという間に時間が過ぎていきました。

 その後、携帯電話をスピーカーフォンにしてしばらく家内とNさん、Iさんでお話しをしましたが、私は出張先に向かう電車の時間が迫ってきましたので、お暇しました。感謝と喜びの中で尊い人生のレッスンをしておられるお2人の幸せを心から祈っています。

 阿部 哲也

P.S. Nさんのお宅は、私が浪人時代(昭和62年!)に住んでいたところからほど近いところです。名古屋の地下鉄東山線、とても久しぶりに乗りました。懐かしかったです。。。

| | Comments (0)

感謝祭にちなんで

 今日は北米では感謝祭(Thanksgiving)の日です。11月22日付のAP通信の記事で、他の人に感謝をすると自分のためにもなるのだけれども、その方法についてのヒントを掲載していましたので内容をご紹介します。

 感謝についての研究をしている心理学者は、人に感謝をするときには次のことに留意すると自分の心の満足度が高まると教えています:

・感謝したいことを日記に書くこと。夜に、その日やその週に起こった良かったことを書くこと。(どこかで聞いたことがありますね!)感謝すべきことに対して感情を込めて書くこと。

・感謝すべきことを書くときには、人に焦点を当てること。ある人に感謝をするときに、その人がしてくれたことよりも、その人自身に感謝することに重きをおくこと。

・自分と親しい人が、もしいないといたらどんな気持ちになるかを考え、感謝の気持ちをつづること。

・「どういたしまして」(you're welcome)の力を過小評価しない。誰かがあなたに対して感謝をしてくれたことを心で認めることが大切。それがあるからあなたに感謝をしてくれるのだから。

 という内容でした。「見えざる同志」に出会った気がして、嬉しい気持ちになりました。原文はこちらです。http://abcn.ws/tnO1aY

| | Comments (2)

アメリカのCO2排出量は4年間で7%の減少

 11月2日付のアース・ポリシー研究所(Earth Policy Institute)からオンラインで配信されたニュースレターによると、この4年間でアメリカの二酸化炭素排出量は7%減少したそうです。2007年から2011年の4年間で石炭火力による二酸化炭素排出量は10%減少、石油火力による排出量は11%減少、天然ガスによる利用は6%増加、差し引きして全体としては7%の減少だそうです。

 アメリカでは依然として石炭火力による発電が全体の発電量の半分を占めているそうですから(日本は約4分の1)、石炭による発電が減少することは、二酸化炭素排出の削減には追い風です。

 同ニュースレターによると、石炭火力発電所の反対運動が盛んに行われたこと(新規建設の反対運動が積極的に行われ、現存する石炭火力発電所のいくつかが閉鎖された)、それに伴って石油の使用が減少したこと(石炭の輸送が必要なくなるため)、経済不況の影響などで車の利用や保有台数が減ったこと、車の燃費が向上したこと、今の若い人は車への関心が以前の若者よりも薄いことなどが、アメリカにおけるCO2排出量が減少した原因として挙げられています。

 私が同記事の中でとても驚いたことが2つあります。一つは、アメリカにおいて石炭火力発電所に関することで亡くなる人の数は1年間で13,200人、この数字は過去10年間におけるアフガニスタンとイラクでの戦死者の合計を上回る、との事実でした。これは社会が化石燃料から自然エネルギーへ移行することで、人の命をも救うことができる、ということを有力に物語っていると思います。もう一つは、ハーバード大学の教授の試算によると、風力発電で作られた電力で車を動かした場合、1リットルあたり約17円のガソリンを使うのと同じ値段で動かせる、ということです。

 自然エネルギーの利用も急速に増えているようです。例えば、この4年間で400もの風力発電所――合計で2万7千メガワットの発電容量――が利用可能となり、800万世帯分に供給できる発電量で、さらにおよそ30万メガワット分の発電が計画されているそうです。

 そして、次のような勇気づけられる言葉で結ばれています。

 2007年にCO2排出量がピークを記録して以来、現在は7%の削減を実現していますが、2020年までに20%、あるいはもしかしたら30%にまで削減幅が拡大する可能性もあると我々は予測しています。もしそうであれば、アメリカは二酸化炭素の排出量削減と気候を安定させるという点において、世界のリーダーとなることができるのです。(拙訳)
(原文:We are now looking at a situation where the 7 percent decline in carbon emissions since the 2007 peak could expand to 20 percent by 2020, and possibly even to 30 percent. If so, the United States could become a world leader in cutting carbon emissions and stabilizing climate. )

 英語の記事の全文はこちらです。http://bit.ly/ulvYPA

 阿部 哲也

| | Comments (4)

万歩計の効用

 1カ月ほど前から、万歩計を付けて歩いています。それは、健康診断の結果、血圧が高めでかかりつけのお医者さんから、「よく歩くようにして下さい」と言われているからです。そのお医者さんは、八丈島の病院で院長をされていたのをはじめ、過疎地の医療に傾倒されてきた方で、とても患者さんの話をよく聞いて、薬の飲み方も説明してくれて、何か困ったことがあったら時間外でも電話で問い合わせができるようにと、携帯番号まで薬の袋に印刷をしてあるほど、親切なお医者さんです。そのお医者さんから言われたので、早速その気になり、万歩計を購入して歩いている、というわけです。

 実は万歩計は12、3年ぐらい前に買って2年間ほど毎日つけていました。そのときは、ぎっくり腰をやってしまい、やはりお医者さんから「毎日、30分程度は歩いて下さい」と言われ、1日1万歩を目指して歩いていました。そのときは通勤に結構、時間がかかっていましたから、昼休みに20分から30分も歩けば、後は普通に生活していればだいたい1万歩ぐらいになったのでした。(日によって多い少ないはもちろんありましたが)

 それから2年ぐらいはつけていましたが、だいたい、生活の中でこれぐらい歩けば何歩というのが分かってきた頃に万歩計が壊れてしまい、それを修理することもなく、買い直すこともなく、それ以降も「1日1万歩ペース」で生活を続けていました。そうした甲斐もあって、血圧は極めて正常でした。

 ところが2007年6月から3年間、ハワイに転勤になり、歩く量がかなり減ったのではないかと思います。ハワイには電車がなく、通勤も車、どこかに移動するのも車です。「これはいかん!」と思い、午前中に1回、昼休み、そして午後と教化部周辺を歩いていたのですが、それにしても日中は暑いので、そう長くは歩けません。それと日本の気温の感覚で言えば、1年のうち10カ月ぐらいは“夏”なので、なかなか歩く気になれないのでした。それと、ハワイではなるべく日本食を食べていましたが(正確に言うと最初はなるべく現地の食べ物を食べていましたが、1年間でギブアップ。。。)それでも現地の人と食事をする機会も多く、油っぽいものを多く食べていたのではないかと思います。それと、何かがある度に(それは生長の家の行事、会議、その他を含め)、スナックが出てくるのです。それほど多くは食べたつもりはありませんが、やはり、私からすると油っぽい物が多いかったかと思います。

 そんな理由もあってか、2年ほど前から血圧の低い方が100ぐらいになってしまいました。それが日本に戻ってきてからも下がらなくて、健康診断で「要注意」ということになってしまったのでした。

 それで、新たに万歩計を購入して歩いているのですが、以前よりも年齢が加わっていることもあり、最初は疲労を感じてしまいました。それでも、数字が目に見えると、つまり目標があるとついつい、歩いてしまいます。それと、今の機械は便利に出来ていて、平均の歩数、有酸素運動した量(ある一定以上の分数を歩いた時間、距離、歩数)などの数値がパソコンに簡単に取り込めるようになっていて、累計、年間、月間の歩数のグラフ、平均値等、実に様々な値がひと目で分かるようになっていて、それが結構励みになるのです。

 そんなこともあり、この1カ月間、昼休みに歩くのはもちろん、朝晩の通勤も、時々わざと遠回りをして歩数を稼いだりしています。また、以前からエスカレーターやエレベーターはなるべく使わないで階段で歩くようにしていますが、今は、荷物を持っていたりするなどの場合を除いては、エスカレーターやエレベーターに誘惑を感じなくなりました。やはり目に見える、ということは大きいと思います。ちなみにこの1カ月はだいぶはりきってしまい、平均の歩数は1万2千歩を少し上回っています。

 家族からは、「始めるとすぐに入り込むんだから……」と言われていますので、あまり無理をしないで、1万歩程度を目標にずっと続けていきたいと思っています。

 阿部 哲也

| | Comments (4)

スティーブ・ジョブズ氏逝く

 アップルの共同創設者で前CEOのスティーブ・ジョブズ氏(Steve Jobs)が、去る10月5日に亡くなりました。創造性を“国是”とも考えるアメリカでは、ジョブズ氏の功績を称え、追悼するプログラムがメディアで多く組まれているようです。ABCニュースでは、ジョブズ氏にちなんで、「天才とはどういう人のことを言うのか?」という質問を子供に投げかけているアナウンサーもいました。

 2005年6月にジョブズ氏が、アメリカのスタンフォード大学の卒業式で講演したときのことを、今年1月2日の本欄でご紹介しました。それは、彼の生き様に沢山学ぶべき事があると感じたのと、色々な意味で人生を考えさせられたからです。(アドレスはこちら→http://bit.ly/qEsIDf

 そのスピーチの前年(2004年)に膵臓がんが見つかり、手術を受けたジョブズ氏は、ご自身の寿命が何年持つか分からない、そういう日々の中で、1日たりとも無駄にしたり、後悔する生き方はしたくない、自分の本心に忠実に生きたい、そしてそういう生き方を若い皆さんにもして欲しい、という遺言のような強烈な“メッセージ”が込められていると思いました。そして最後の言葉は、「Stay hungry, stay foolish」でした。スピーチは、下記のアドレスで見ることができます。

http://bit.ly/eaKmOi
http://bit.ly/dBvRB7

 2、3日前に見た新聞では、ジョブズ氏がペプシコーラの会長をアップルに引き抜くとき、「君は一生砂糖水を作っていたいのか、それとも、世界を変える仕事をしたいのか」と口説いたということが書かれていました。ペプシの関係者には失礼に映るかもしれませんが、自身の仕事に対する凄まじいほどの自信と誇りを感じます。人の心をつかむ彼の“名言”は、「名言集」として出版されています。

 新しい技術には素晴らしい可能性とともに、それによって失われる面もあるので、それをどの程度まで使うかどうかは私たちの「心」いかんによるものですが、彼のアイディアが私たちの生活を変えてしまったことは間違いありませんし、私もその恩恵を大いに受けている1人です。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

シドニーへの出張(2)

 シドニーの行事が終わって月曜日(9/12)の夜8時過ぎに無事に帰宅しました。

 日本に到着して飛行機から空港内へ続く通路の暑いこと。そう、オーストラリアは南半球なので季節は逆で、今、冬から春へ向かうところです。私が滞在していた期間は昼間でも寒い風が吹き、朝晩は結構温度が下がったようです。12度とか13度。私は現地の方から週末は寒くなる見込みなので暖かい服装を、というアドバイスを受けていたので、押し入れにしまってある冬物のアンダーウェアを沢山引っ張り出してきて、セーターも2枚用意して、防寒には万全を期して行きましたので、特に風邪を引くこともなく、過ごすことができました。しかし、夏の暑さに体が慣れているのもあり、朝晩の寒さはかなり身体に堪えました。

 オーストラリアと日本は時差が1時間。日本人がよく訪れる地域で、日本よりも時計が進んでいる国はおそらくオーストラリアとニュージーランドだけではないかと思います。私が搭乗した飛行機は、日本を午後7時50分に出て、現地に6時10分に着く便でした。狭い機内ではなかなか寝られません。その上、到着の2時間前から朝食を配り始めるのですが、その時間は日本時間ではおよそ午前3時。着いた日はどうしても睡眠が不足気味になります。そこへ持ってきて、睡眠不足の状態では頭痛がよく起こる私の頭に、例外に漏れず、到着してしばらくしたらかなりひどい頭痛が訪れてきました。一応頭痛薬は持っていましたが、それを飲んでもあまり効かず困っていたら、打ち合わせの後に市内観光に連れて行ってくださった生長の家のメンバーの方が頭痛薬を持っていて、それが効いたので助かりました。

 オーストラリアは1828年から1901年までイギリスの植民地だった影響で、イギリスの影響が色濃く残っています。同国で話される英語はなまりがあるとも言われていますが、基本的にはイギリス英語に近く、通りの名前の多くは、イギリスの地名から取られています。また、車はイギリスと同じ左車線を走るので、ハンドルは右側で、日本と同じです。

 オンライン上の百科事典『ウィキペディア』によると、『戦後、ヨーロッパからの白人移民は減り続け、国力となる人口増加は鈍った。そこで1980年代からは白豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れることとし、「多文化主義」へと移行した』そうで、現地の人々も、「ここには色々な国の人がいますし、色々な国のレストランがありますよ」と言っていました。

 ホテルの近くを少し散策しましたが、目立って多かったのがタイ料理店です。現地の人も、「なぜかタイ料理の店は多いですね」と言っていました。ちなみに、日曜日、浄心行と座談会が終わった後に参加者全員で“出前”を頂きましたが、それもタイ料理でした。

 概して、海外の人たちは表現が上手です。地域性もあるでしょうけど、日本の皆さんよりも喜びを素直に表現する人は多いと思います。生長の家の行事に参加する人同士は、皆ハグ(抱擁)をします。初めての人だろうが、昨日会っていようが、関係ありません。

 今回は4人の方を個人指導させていただいたり、会の運営に熱心に取り組んでくださっている方と個人的にも色々お話しさせていただいて、それぞれの立場で悩みを抱えながらも、生長の家の教えを学び、伝道に励んでくださっていることを知り、大変感動をしました。

 ちなみに生長の家の行事のために訪れたのはアメリカ、カナダ、ブラジル、香港、韓国、ドイツに次いで7カ国目です。それぞれの地域で今日もご活躍くださる皆様に感謝しながら、日々の業務に励んでいく決意を新たにしました。ありがとうございます。

 阿部 哲也

※下記に写真が載っていますので、よろしければご参照ください。
http://on.fb.me/n8TNNx

| | Comments (0)

シドニーへの出張

 今、出張でオーストラリアのシドニーに来ています。オーストラリアは未組織の地域で、講師や伝道員がいないなか、本部国際部の指導のもと、毎月、誌友会が開かれています。そして、1年に2回ほど、国際本部から講師が派遣され、指導を行うことがここ数年続いています。

 今回は9月10日にシドニー市内のホテルで誌友会が、11日には信徒宅で浄心行や座談会などが行われ、私が講師として出講させていただきました。オーストラリアは初めてで、海外への出張は昨年5月にハワイから帰任して初めてですので、少し緊張しました。

 しかし、現地の方々の明るさ、そして行き届いた心配りに緊張はすぐに解け、充実した2日間を過ごすことができたのは大変有難い事でした。

 10日の誌友会は見真会のようなプログラムで、私は「感謝は幸福への鍵」「喜びを世界中に広げよう!」と題して2つの講話と、最後に世界平和の祈りを担当しました。英語の講話は1年4カ月ぶりで、その間、英語で人と話す機会は数回を超えませんでしたので、とても不安がありましたが、聞き上手な皆さんのおかげで、無事に役を終えることができたと思います。

 参加者は14名で、その中には現地の方が開設したfacebookによる誌友会を紹介するページを見て参加した人が2人いました。また、参加者の出身国はイギリス、ブラジル、コロンビア、日本と国際色も豊かでした。

 今日の浄心行と座談会には9名が参加し、座談会では昨日の講話で生長の家がイスラームをなぜ学ぶか等について言及したことについて、また、生長の家が取り組む環境問題についてディスカッションが行われ、現代の人々にタイムリーに教えを説いている生長の家は素晴らしい、などという内容でとても盛り上がりました。

 現地の皆さんのご努力と、国際部からの適切な支援、そして、これまで出講された講師の方のご活躍により、少しずつではありますが、前進していることを感じ、そういう中に派遣していただいたことにとても感謝の思いが湧いてきました。金曜日の朝に現地に着き、ここまでたった3日間の滞在ですが、1週間ぐらいを過ごしたような気がします。関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

 下記の写真は、ハーバーブリッジ、オペラハウス(いずれもシドニーを代表する風景として知られているそうです)、カフェで飲んだカフェラテ、誌友会の参加者の皆さんと。

Sydney_1
Sydney_2
Sydney_3
Sydney_4

| | Comments (6)

視点の違い

 今年の4月から小学校1年生になった娘と、朝は一緒に駅まで行くようにしています。娘が朝出る時間に合わせると7時10分か15分に家を出ることになるのですが、そうすると職場にも早めに着くのでちょうど良いです。しかし、7月中旬から娘が夏休みに入ったのでこの1カ月半間は1人で駅まで歩いていました。

 1人で歩けば6、7分の距離ですが、娘と歩くと10分から12、3分はかかります。荷物が多いとき、睡眠が不足気味なとき、雨が降っているときなどは歩く時間が遅くなります。今日は学期はじめで荷物が多く、私からすると「のらりくらり」歩いているので、「早く歩こうよ」などとせかしていましたが、ふと、あることに気がつきました。

 それはいつもと景色が違う、ということです。景色が違うと言っても、通る道は同じです。違うのは歩く速度と、目に付く「もの」です。1人で歩くときは、何か考え事をしているか、特に考えることがなくても、目的はただ一つ、駅に無事に着くことです。だから、周りを見ることはあっても、だいたい見るものは同じものが多いのです。ところが娘と歩いていると、歩く速度は遅いし、あまりに重そうなときはちょっとの時間だけバッグを持ってあげたりしているうちに、日頃は見ないものをよく見ていることに気がつきました。

 私の通勤路には残念ながら目にも心にも優しい“緑”はあまりないのですが、それでも、こんなところにこんな看板があったんだ、とか、こんな字が書いてあったのか、などと、これまで気づかなかったことに目が行くのは新鮮です。これは視点の違いなのだと思います。

 もちろん、娘と2人で話す時間というのは割合少ないので、大切なコミュニケーションの場でもあります。

 視点の違いと言えば、私は日本を3年間離れていたので、遠くから日本を眺めることができ、日本人特有の視点というものが目に付くときがあります。その一つはスーパーの品揃えです。アメリカには巨大なスーパーがありますが、日本のように消費者の好みに合わせて、という発想を私はあまり感じません。食品流通の世界的な企業は日本に進出するのは難しいと言われているのもそういう事情があるかもしれません。

 先日(9/1)の『朝日新聞』朝刊には、イギリスのスーパー最大手(営業収入で世界第4位)の「テスコ」が日本市場から撤退すると発表した、という記事が載っていました。同新聞によると、世界で売り上げ第1位のウォルマート(アメリカ)は2005年に西友の子会社に、同第2位のフランスのカルフールは2005年に撤退するなど、日本市場で成功するのはかなり難しいようです。

 日米双方のスーパーを見ていたので、海外の大手スーパーの会社幹部の人たちが、日本人のニーズをつかむのは相当難しいだろうというのは容易に想像がつきます。日本では、良きにつけ悪しきにつけ、お菓子でも、お総菜やお弁当でも、日用雑貨でも、とにかく、人の心をグッと把むような製品が次から次に出てくるのには驚かされます。これも視点の違いだと言うことができると思います。

 日本のスーパーのように顧客のニーズをつかむことは素晴らしいことだとは思いますが、地球温暖化や飢餓の問題がクローズアップされている現代においては、持続可能性とか、環境に配慮したとか、途上国の人の助けになるなどの視点に立った製品がドンドン導入されていかなければならないと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (4)

山梨県北杜市に行きました

 去る8月18日から20日まで、山梨県北杜市に行ってきました。北杜市は2013年、生長の家本部が移転する予定の土地で、同年からは家族でそこに暮らすことになるので、行ってきました。今年1月に、本部職員と家族を対象に現地見学会が開かれ、家族と共に参加しましたが、そのときは僅かな時間しか滞在できなかったので、今回は3日間かけて、地元のスーパーに行ってみたり、娘が通う可能性のある小学校を見たり、下見のようなことを行いました。

 さいたま市を出発した18日は同市では36度の猛暑日でうだるような暑さでしたので、北杜市はどのぐらいの気温なのだろう、などと思いながら出かけました。着いたのは午後3時を過ぎた頃でしたが、出発地と比べればずいぶん爽やかな風が吹いていました。ただし家の中はやや、蒸し暑い感じでした。

 今回はホテルとかペンションではなく、貸別荘に泊まりました。リゾート地のホテルやペンションでは、食事がついていることが多く、そのボリュームが多すぎる場合が多いこと、部屋が狭いので朝早く目が覚めたとき、思うように部屋を使えないことなどがあり、食事がついていなくて、広い部屋が使える貸別荘にしました。1軒屋で2LDKの大きさでした。

 翌日はうって変わって肌寒い天候でした。その日は平地でも肌寒いぐらいの気候ですから標高1,000mの山ではなおさらです。昼間に訪れた牧場では気温が18、9度で、長袖を持ってこなかった私は半袖を4枚重ね着をしました。以前、ハワイでかかっていたお医者さんが、夜、寒く感じるときには(ハワイの夜は夏でもかなり涼しいのです)、半袖を何枚でも重ね着するとよい、その方が暖めるべきところが暖められるから、と教えてくれたことがあったのを思い出したのです。確かに肌寒い気候でもばっちりでした。

 その日は、娘が通う小学校の候補である長坂小学校と泉小学校を見学しました。と言っても特に予約してあったわけではないので外観を眺めるだけですが、どんなところにあるかを見ておきたかったのです。長坂小学校は2年後に、4つの小学校が統合して校舎も新しくなり、新しい学校に生まれ変わるそうで、工事が既に始まっていました。冷たい雨が降ってきていたので外からだけ眺めました。

 続いて泉小学校に行ってみると、校門の外に1人の先生が立ってて、実は再来年から北杜市に住む予定になっていて、通う可能性のある小学校を見たいと思って来ました、と伝えたらご丁寧に校内に入れてくださって、色々と学校の特色等を説明して下さいました。色々お聞きして、なかなか行き届いた学校だと思いました。そして驚くのは校庭が広いこと! その先生の説明によると、400mのトラックを引けるとのことでした。

 あと最終日には小淵沢の「絵本美術館」に立ち寄りました。原画の展示があったり、色々な絵本があり、子供と一緒に絵本を読んだりしました。雨が降っていなかったらお庭の木々を眺めながらテラスでコーヒーが飲めたのがちょっと残念でした。しかし雨の中の緑もまた美しいです。

 その他、毎日温泉に浸かり、道の駅でのんびり買い物をし、地元のスーパーでどんなものが売っているかを眺めたり、美味しそうなパン屋さんで次の日の朝食を買ったり、地元のイタリアンレストラン、ソバ屋さんで舌鼓を打ったりと、ゆっくりとした時間を過ごすことができました。有り難い夏休みでした。

 阿部 哲也

 写真は上から今回宿泊した貸別荘、牧場の風景、ヤギと遊ぶ娘です。娘は寒かったようでタオルを巻いています。

1_hokuto_villa
3_hokuto_scenery
2_hokuto_goat


| | Comments (4)

人間には「エンパシー」がある

 7月18日(現地時間)に「なでしこジャパン」が日本のサッカーの歴史に燦然と輝く女子サッカーワールドカップ優勝を成し遂げたのは記憶に新しいのですが、私の母校である静岡高校が8年ぶり22回目の夏の甲子園出場を果たしたのも、私にとってとても嬉しいことでした。

 しかし考えて見れば不思議なものです。サッカーでは自分は少しもボールを蹴るわけではなく、報酬を受けるのでもないのに、優勝した選手と喜びを共有しています。そして、これまでそれほど関心のなかった女子サッカーについて、色々と記事を読むようになりました。また、母校が甲子園に出場するという報道を読むと、やはり選手や関係者と喜びを共有します。

 この「喜びを共有する」メカニズムについて、谷口雅宣・生長の家総裁はご著書『小閑雑感Part18』で詳しく説明されています。その正体は「empathy」だと書かれています。142頁から引用します。

--------------------------------------------
 empathy という語は、sympathy と間違われやすいですが、少し違います。sympathyの語は、他人の不幸に対して可哀そうに思うことですから、日本語では「同情」とか「あわれみ」と訳されています。これに対し「empathy」は、ドイツ語の「einfuhlung」から来ている。この語は、1872年にドイツの美学者、ロベルト・ヴィッシャー(Robert Vischer)が造語したもので、ある対象に向かって自分の感情を移入して、その対象を理解することを指します。その後、ある人が他の人の立場に立って、その人の感情や考えを理解するという心理的過程を意味するようになりました。英語圏で「empathy」が使われるようになったのは、1909年以降で、アメリカの心理学者がドイツ語からこの語を造語して、「他人の感情の中に入る」という意味となり、日本語では「感情移入」などと訳されています。
--------------------------------------------

 谷口雅宣先生は『同書』で、アメリカの文明批評家であるジェレミー・リフキン氏の著作、『The Empathic Civilization』(感情共有の文明という意味)という英書の内容を紹介されながら、今世紀の人類が地球温暖化の危機を乗り越えるためには、「エンパシー(empathy)で繋がり合った社会とその中の人間」ともいうべき人間観に基づいた新しい文明が必要であることを解説されています。多くの歴史家は、社会における争いや戦いについて書き、人間相互の社会的つながりや、それらが進化し、拡大することで文化や社会にどのような影響を与えたかは語られることがないが、本当は歴史的な事件とは関わりのない、圧倒的多くの日常生活の中に人間の本性が現れているのであり、人々は数多くの小さな思いやりや親切な行動の連続で互いに支え合っている、というのです。そして、リフキン氏の次の言葉を紹介されています:

---------------------------------
「私たちは、他人との日常のやりとりでは、たいてい相手を気遣う。なぜなら、それが私たちの中心的本性だからだ。他人の身になって考えることで、私たちは社会生活を創造し文明を進歩させてきた。だから、端的に言えば、たとえ歴史家から重視されてこなかったとしても、人類史の底を流れる本質的特徴は、この相手を思いやる意識の素晴らしい進化なのである」。(『同書』130頁)
---------------------------------

 そして、人間の中にある「empathy」の一例として、オリンピックの際に起こる私たちの心の動きを例にあげ、次のように述べています:

---------------------------------------------
 ところで、皆さんはカナダのバンクーバーで行われていた冬季オリンピックの競技を、テレビなどで観戦されたと思います。そのときに、私たちは「empathy」を体験したのではないでしょうか。つまり、日本人なら日本の選手に感情移入して、自分自身をその人の立場に置いて、競技や演技の成功を祈ったのではないでしょうか? その時は、自分がその選手になったつもりで、感情移入をしているのです。選手を通して、自分がその競技をしているような体験をする。これが「empathy」であります。(『同書』144頁)
---------------------------------------------

この文章は、2010年3月1日に挨拶されたものが基礎になっていて、浅田真央選手が女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、バンクーバーでの冬期オリンピックの直後でしたのでバンクーバー五輪のことが話題にでています。ちなみに私は、2008年10月に生長の家の行事で派遣されて同地を訪れたことがあります。そのときはオリンピックの2年前で、空港はとてもきれいになっていて、オリンピックを迎えるための準備が着々と進んでいた頃でした。私は当時、ハワイに住んでいて、コートの持ち合わせがなかったので寒かったですが、久しぶりに感じる、朝の凛とした清浄な空気、そして美しい紅葉を堪能したのを覚えています。

 これは明るいニュースに共感した例ですが、その反対もあります。現在、ソマリアでは政情不安と干ばつで、ひどい飢饉が起こっています。先日、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)からその知らせと寄付のお願いのメールが来たので、僅かばかりを寄付しましたが、毎日のようにニュースの映像を見ていると、ものすごく心が痛みます。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

ボランティア

 東日本大震災があって、多くの方がボランティア活動をされていて、本当に素晴らしいと思います。現地に行くことがかなわない私も、何かできることはないかと思っていたところ、大変微力ではありますが、あることに思い当たりました。

 私は家内とともに、13年前からある非営利団体を通して、途上国の子供達の自立を支援するプログラムに参加し、毎月いくらか献金するということを続けています。そのときはまだ子供がいなかったので、日本のような先進国ではない国々の子供達の現状を知り、少しでも支援をしたいと思って始めたものです。そのプログラムでは直接、献金したものがある一つの家庭に届くのではないのですが、支援する側と支援を受ける側の顔が見える方が双方にとって良いということで、スポンサーとその受け手を決めて、受け手の方はスポンサーに現状を報告し、スポンサーの方もお手紙や安価なプレゼントをあげたりして交流するシステムを取っています。

 その際、色々な国の言葉に訳すボランティアを募るのが大変だからでしょうか、まず、書かれた手紙はどの国の言葉であってもまず英語にすることになっているようです。現地語と英語の翻訳はできる人を確保するのはある程度、出来るということなのではないかと思います。

 そのことを知った私は2006年から、同団体に翻訳ボランティアとして応募し、同年からスポンサーと受け手が交流するお手紙の翻訳を始めました。だいたい1年間に3、4回、20通の手紙を訳すことになっています。「日→英」か「英→日」かは自分で選べますので私は半々にしてやっていました。ところが2007年6月からハワイに赴任することになったので、翻訳ボランティアは終了することにしました。それをやっている余裕はないと思ったからです。

 それで昨年帰国をしてからは、引っ越しがあり、娘の受験、震災、そして再度引っ越しなどがあって、翻訳ボランティアの事は忘れていたのですが、多くの方々が震災のボランティアをされていることを知り、今、何かできることはないか考えていたときに、このことを思い出したのです。早速、同団体の事務局の方に連絡をしたところ、「すぐに翻訳を依頼する通信文を送って良いですか?」と言ってくださったので、喜んで引き受けることにしました。

 だいたい2、3週間の間に20通の文章を訳すのですが、1枚あたりの分量は短い場合が多いのですが、難しいのは、書いてある英語を判読することです。今回は、「英→日」の通信物が多いということでしたのですべて20通すべて「英→日」だからそんなに大変ではないと思ったのですが、ベトナムの翻訳ボランティアの方が「ベトナム語→英語」に訳した、そのアルファベットが読みにくくて、とても大変でした。それに加えて、ネイティブでは使わないような(ベトナム語的と言いましょうか)表現があり、訳すよりも判読する方に時間が必要でした。それでも何枚か読んでいると似たような表現が出てきて、無事に全部理解できたと思います。

 ベトナムの子供達の手紙では、震災でスポンサーが被害に遭わなかったかどうかを気遣い文面が多く、胸を打たれました。昨年10月、ベトナムで起きた洪水のことに触れてあるものもあり、「日本とベトナムで自然災害が起こりませんように」などと書かれたものもあり、校正しながらうるうるしてきました。

 そうたいしたことはできませんが、出来る限り続けていきたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

ブログを書くことで得られること

 谷口雅宣・生長の家総裁のご著書『小閑雑感Part18』に、『「わかる」ということ』というタイトルの連載記事があります。このタイトルでの記事は全部で11、関連記事を含めれば13というシリーズものです。

 この連載の中には、分かるということどういうことかについて、細かい分析がなされていてとても興味深く拝読したのですが、その中の一つとしては「言語化して整理すること」の大切さがあげられています。その中で、2歳の男の子がビールを口の中に入れたことを仮定した場合のことが書かれています。『同書』177頁から引用させていただきます。

 この体験の後、男の子はその少ない言葉と概念を使って、自分の生活の中でのこの体験の位置を確かめようとするだろう--母親が禁止したものを口に入れて、大変なめに遭ったこと。世の中には、母乳や牛乳やジュースなどの美味しいもの以外にも、苦いもの、まずいもの、強烈なものがあると知り、そういう“危険物”のカテゴリーの中に「ビール」が投げ込まれる。そして、目に見てきれいなものでも、口に入れると危険な場合がある、などと知る。そういうように実際の体験を“左脳的”に咀嚼した後に、初めて「ビールがわかった」と言えるのではないだろうか。2歳の男の子場合、この作業は十分にできるとは思えない。体験を整理するための言葉や概念の数が足りないからだ。が、私がここで言いたいのは、人間が何かを「わかる」ためには、単に感覚的な体験を得るだけでなく、その体験を論理的に整理し、判断することが必要だということだ。(『同書』177~178頁)

 引用を終わります。

 私がこのブログを始めたのは2006年(平成18年)7月30日ですので、今月末でちょうど丸5年続けたことになります。あまり頻繁に更新できているわけではありませんし、必ずしも有益な情報をお届けしているわけではありませんが、その時々で心に強く残ったこと、ぜひ、これはお伝えしたいと思うことを書くことにしています。振り返ってみて、とにもかくにも5年間続けてこられた理由としては、読んで下さる方がいること――時々、思いがけない方から「読んでいますよ」と声をかけて頂くことがあります――、それと、自分自身が漠然と考えていることや体験したことを整理できる、ということがあるのだと思います。

 例えば最近の例では、去る6月1日に母方の祖父が93歳で他界しました。祖父は小さい頃から色々な面でお世話になった人で、生長の家の信仰の大先輩でもあり、尊敬する人ですが、ここ数年は日本を離れたりしていたこともあり、あまり会う機会がありませんでした。それでも、祖父が他界したというときには胸に様々な思いが去来しては消えていくのですが、それは何だろうと書き進めていくと、次第に自分の心の中の整理ができてくるのでした。先ほどの『小閑雑感』の中の言葉をお借りすれば、祖父のことについて何かを書くということは、祖父の死は自分にとって何なのかを「分かる」ための方法でもある、ということができると思うのです。もちろんそれを持って全てが「分かる」わけではありません。しかし、書かないよりも書くことにより、遙かに「分かる」度合いが増えたことは間違いありません。書くことによって、これまで忘れていた、祖父が自分にとってどれだけ有り難い存在だったことを具体的に振り返り、思い出すことができ、それは自分の人生にとってどんな意味があるのかということがよりクリアに理解できるようになると、祖父への感謝と尊敬の念が一層深まり、毎朝、ご先祖様を個別霊を含めて奨励して『甘露の法雨』を読誦する際に、より気持ちを込めて行うことができるような気がします。

 なおこの5年間のうち、3年間はハワイで過ごしました。ハワイは観光目的では魅力的な場所ですし、夏でも夜は涼しく(熱帯夜がありません!)とても過ごしやすくて良い所ですが、いざ仕事となると色々な面で厳しい環境にあり、行き詰まったこともありました。が、そんなときにブログを書いて自分を見つめ直したり、なお明るい部分を見ることができることを再確認するなど、多くの点でブログを書いていたことで自分自身が勇気づけられたりしました。

 今、フェイスブックやツイッターなど、新しい手段で表現ができるようになり、ネットでのやりとりは“多様”な形でできるようになりましたし、これからもそういう方向に進んでいくと思います。これはとても素晴らしい可能性を秘めていて、そちらの方面ももっと勉強したいと思いますが(一応、ツイッターはやっています。フェイスブックは人が書いたのを読むのと、たまにコメントをする程度です)、ブログではある程度考えたことをまとめて書くことができるので、生長の家の教えに基づいたものの見方を自分なりに表現していこうと思っています。

 阿部 哲也

P.S. なでしこジャパン、ワールドカップ優勝、おめでとうございます! ドイツに勝つまではあまり事情を知りませんでしたが、長い時間をかけて目標を定め、恵まれているとはとても言えない練習環境で地道に練習をしながら目標に向かって突き進む姿勢、決してあきらめない精神力、そして「フェアプレー賞」の受賞、監督と選手、あるいは選手間の固い絆など、これまでの数々の素晴らしい蓄積があることを、遅まきながら知りました。これだけの結果を残したのですから、これ以外にも沢山、人生全般の参考になることがあるのだと思います。今後出てくる情報を楽しみながら、勉強したいと思います。こういう快挙を目に(耳に)すると、とても元気になります。ありがとうございます!

| | Comments (0)

しぞーかおでん

 お味噌汁、お雑煮、カレー、日本のどのお宅でも食卓にのぼるこれらのメニューは、地方によって味付けがずいぶん違うものですが、おでんもその一つです。おでんに関しては私が生まれ、育った静岡ではとりわけ、独特の味付けと文化があるようで、最近そのことを知りました。「静岡おでんの会」(http://oden.cocolog-shizuoka.com/)なるものがあり、全国に「静岡おでん」をPRしているようです。先日、自宅があるさいたま市浦和区のあるスーパーで、静岡の物産展をやっていて、「静岡おでん」が売られていたので、久しぶりに「―おでん」を食べたところ、ノスタルジーに火が付いて、色々調べてみたくなりました。ちなみに、静岡のことを静岡の人は「しぞーか」と呼んでいます。そう言えば、静岡を18歳で静岡を離れるまでは私もそう呼んでいました。。。

 静岡(しぞーか)おでんの特色の一つは、黒はんぺんを入れるところです。黒はんぺんとは、つみれを半月状に平たくしたようなものですが(写真と説明はこちら)、静岡の人はそれを「はんぺん」と言います。妹が言っていましたが、コンビニのおでんの中に「白はんぺん」が入っているのを見てびっくりしたそうです。この黒はんぺんは特にものすごく美味しいものではないのですが、静岡以外ではなかなかお目にかかれないので、ないと欲しく、懐かしくなるからか、静岡の人たちが同窓会を関東など、静岡から離れた土地で行うときには、この黒はんぺんをクール宅急便で静岡から送ってもらって、郷土の味に舌鼓を打つ、というのが定番のようです。高校の母校の同窓会報にも、「黒はんぺん」の話題は必ずと言って良いほど入っています。。。

 さて、静岡おでんのもう一つの特色は、駄菓子屋におでんがある、ということです。先ほどの「静岡おでんの会」のウェブサイトによると、静岡おでんには、「居酒屋系」と「駄菓子屋系」があるのだとか。静岡人としては、駄菓子屋におでんがあるのは当り前で、夏休みのお楽しみの定番としては、プールに行って、帰りに駄菓子屋に寄っておでんとかき氷を食べる、というものでした。でもそれは、静岡だけの習慣だということに気づいたのはつい最近です。

 それで、私が住んでいた家と母校の高校の割合近くにある、「おおやきいも」というとてもレトロなおでん屋さん(一番下に写真があります)があるのです。そこは何でも、改装しようとしたら常連客から「昔のままがいい」と反対があって改装できなかったと言われているのだそうで、私もずっと行きたかったのですがなかなか機会がなくて行けなかったお店でしたが、先日、祖父の四十九日で帰省した際、ようやくそのお店にいくことができました。妹たちが、お昼時は行列ができるから11時ぐらいに行った方が良い、というので、11時にそこにいた家族9人で行きました。真夏日の暑い日ですが、クーラーはありません。それでも、私たちがおでんを食べ、かき氷を食べている間、ひっきりなしにお客さんが訪れてきました。

 そのことを生長の家が運営している、喜びを投稿するサイトであるポスティングジョイ(英語版)に書き込んだところ、ロサンゼルスに住んでいる、アメリカの生長の家の幹部で、日本語と日本の文化にとても通暁しているアメリカ人女性から、「駄菓子屋におでんですか? 駄菓子屋は子供が行くところですよね? 子供がおでんを喜んで食べるのですか?」という内容の質問が来ました。私は小さい頃から、駄菓子屋でおでんを食べていたので何の違和感もないのですが、確かに駄菓子屋で子供がおでんを食べるのは一般的ではないと思います。下記はそのときのやりとりです。日本の方もコメントを下さっています:

 http://eng.postingjoy.com/users/67101005104656/diary/show/61420

 そのほか、静岡おでんは出汁の色(もちろん味も)、そして、青のりとかつおを削った粉をかけて頂くのもとても特徴があります。

 これまで、自分がこれまで当り前だと思っていたことも、他の人にとっては当り前ではないことがあるということを何度も経験してきましたが、おでんについては最近まで、全く意識していませんでした。意識しないときには、特に食べたいとは思わないのですが、意識し始めるととたんに食べたくなるのが不思議です。

 私は18歳のときに静岡を離れ、名古屋市に5年間住みました。そこで、実家のある静岡とはずいぶん別の暮らしがあることを学び、そしてその後東京に出て、また、さらに別の暮らしを体験しました。結婚して今年で14年経ちましたが、結婚当初は、家によってこうも考え方が違うのか、ということに驚くことがよくありました。そして、2007年から2010年まで日本を離れ、ハワイで暮らしてみて、自分がこれまでどういうことを習慣としていて、今、何に戸惑っているのだろうかということを考えることが多く、自分とは一体何者なのかとか、自分はこういう環境で育ってきたから、このように考えるという説明をする機会が多くありました。

 少しおおげさかもしれませんが、自分がこれまで生まれ、育ってきた場所の特徴的なことを知り、それを人々に説明することは、相互の理解を深め合うきっかけになると、私は思います。今はインターネットで世界の人々の暮らしやものの考え方が瞬時に分かる時代です。そのような時代においては、相手のものの考え方をよく理解し、自分の生き方や考え方もしっかりと説明する能力はますます必要になってくるのだと思います。

 阿部 哲也

※「おおやきいも」さんの写真はこちらから http://twitpic.com/5oygt3

| | Comments (2)

電気自動車に試乗

 少し前のことになりますが、去る6月24日、初めて電気自動車を運転しました。

 生長の家では、谷口雅宣総裁の指導のもと、10年以上も前から、化石燃料から自然エネルギーにベースをおいた、持続可能な社会社会への移行を実現すべく、様々な側面において環境に配慮した生活実践をすべく努力を続けていますが、その中の一つとして、電気自動車の普及促進があります。

 とは言っても、個人が購入するには充電設備等を含めるとまだ手が出ない値段ですので、まずは本部事務所他、いくつかの事務所で購入して、職員が利用しています。それで、2001年にISO14001の認証を取得し、今も更新を続けている本部事務所全体の今年の取り組みとして、各部署毎に電気自動車に試乗して、充電をするという体験を通して、電気自動車の素晴らしさを伝えるということを盛り込みました。

 それで私が所属する教化・講師部講師課では去る6月12日に施設課の担当者の方から電気自動車の説明を受け、実際に試乗しました。ただ、そのときは運転はしませんでしたので、6月24日、生長の家が提供するラジオ放送「幸福への出発」の録音に立ち会うため、赤坂にある世界聖典普及協会のスタジオに行く際、いつも運転してくれる方にお願いして、運転させてもらいました。

 私が運転したのは三菱自動車のアイミーブです。アイミーブのウェブサイトはこちらです。

 車の大きさとしては軽自動車ほどですが、馬力は1,000CCぐらいの普通車ぐらいはあるのではないか、と感じました。男4人で乗りましたので、アクセルを結構踏み込む場面もありましたが、全体としては非常にスムースに進んでいく感じがしました。

 ガソリン車との大きな違いは、スイッチの部分です。鍵を差し込むのではなく、電化製品のスイッチを入れる、という感覚です。ボタンを押すのではありませんが、スイッチをしばらく捻っていると電気が入りました。後は同じです。ただし、音はとても静かで、乗り心地はとても良いです。

 アイミーブの走行距離はフル充電した後で120kmだそうで、後、何km走るかということが表示されるのですが、エアコンを付けるとその数字が一気に減ります。私が見たときには20kmぐらい減ったと思います。無闇にエアコンを付ける気にはなりませんでした。

 充電は、急速充電装置と通常の充電装置が本部事務所に設置されていますが、写真に写っているのは通常の充電器です。急速の方は慣れるまでに少し時間がかかりそうですが、通常のものは、感覚的にはコンセントを入れるのと同じ要領でした。


 現在、JAF(社団法人日本自動車連盟)は全国3箇所に急速充電装置を設置したほか、日産自動車と共同で、電池切れした立ち往生している車を救援する実証実験を開始したそうです。

 ちなみに私が住んでいるさいたま市では、市役所に充電装置が設置されていて、「素晴らしい!」と思いました。

 阿部 哲也

P1010784

P1010798

P1010820

P1010841


| | Comments (0)

九州ブロックの講師会長会議

 少し前のことですが、先週末、福岡に出張しました。九州ブロックの地方講師会長会議の運営のためです。九州会場は今年度、全国7会場で行われるブロック別地方会長会議の6会場目でした。今回は対象となる全ての教区から地方講師会長が集まられ(1教区代理を含む)、8教区の事務担当者も加わり、目等泰夫・教化・講師部長による、「今年度、地方講師会は何を目指すか」と題した説明に耳を傾けたほか、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を出講する講師に対してどのような研修会をしているかなどについて全ての教区から発表があり、活発な意見交換が行われました。

 九州ではすべての教区で同誌友会に出講する講師のための研修が行われており、とりわけ宮崎教区は「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」の開催率が全体の2割を超えていて、大変素晴らしいのですが、これは同教区の阿部圓・会長の同誌友会に対する並々ならない思いがあることを感じました。ご自身が、左脳的に物事を理解するだけではなく、右脳もよく働かせて、物事の真象を見る(観る)という考え方に魅了され、それを自らも実践し、人にも勧めておられることを、心を込めて話しておられました。

 会場を提供してくださった福岡教区でも、今回は都合で参加されませんでしたが、永田良造・会長が率先して同誌友会を開催されている他、同誌友会でヨーグルトの空箱を使ってフラワーアレンジメントをされたり、色々工夫をして取り組んでおられる旨の発表がありました。

 どの教区も新しいタイプの誌友会を盛り上げていこうという気概が満ちておられ、各教区の発表に対しても質問が寄せられるなど、少しでもご自身の教区の運動の参考にしようという真摯なご姿勢に大変感動しました。

 ところで私は、平成4年から9年まで所属していて青年会部(当時の呼称。現在は「組織運動部青年会事務課」)においては九州ブロックを担当していて、九州ブロックの行事の事務局的な役割を担当することが多かったので、福岡教区にはよく出張しました。しかし平成8年を最後に伺っていなかったので、今回の同教区への出張は15年ぶりです。とても懐かしかったです。

 現在、教化部事務局長をしておられる松岡明彦さんは、その当時は光明実践委員会議長をされていたので面識があるのですが、短い時間ではありましたが、その間に起こった色々な出来事をお話くださいました。教化部長をはじめ、人の入れ替わりがあり、運動の形態が変わったりと変化する部分もありますが、相変わらず、教えの素晴らしさに感動し、それを伝える努力をして下さる方々が沢山いることに改めて、有り難いこととと感謝いたしました。

 阿部 哲也 拝

| | Comments (0)

祖父の旅立ち(3)

 弔辞で述べた以外で、私の記憶にある祖父は、自転車に沢山、生長の家の月刊誌を積んで人々に配る愛行に出かける場面と、ロッキングチェアに座って、『生命の實相』や『真理』などの聖典を読んでいる姿です。祖父は、「真理」そのものがズバっと書かれている本が好きで、とりわけ『生命の實相』第21巻を繰り返し繰り返し拝読していました。

 私が生長の家を勉強し始めたのは18歳のときで、郷里の静岡を離れて名古屋で下宿して浪人生活を始めたときでした。それから祖父と会うと、祖父は『生命の實相』第21巻(経典篇)を読むよう、勧めてくれたものです。その本は生長の家の経典である聖経『甘露の法雨』を創始者、谷口雅春先生が解説されたもので、人間とは何か、神とは何か、人生とは何かについて、詳しく説かれています。私は祖父の助言に従って、『生命の實相』全40巻の中でも経典篇は何度も拝読し、み教えへの理解を深め、感動を新たにしたのを覚えています。

 それでこの度、祭壇に飾られた祖父の写真を見ていると、『生命の實相』第21巻を読みたいという気持ちが湧いてきたので、早速読み始めました。確かに、人間とは深淵な真理が、分かりやすい言葉で書かれていて、読み応えがあります。毎日、何頁かを紐解いています。

 この本の中には、念が既に肉体を離れてしまってからも肉体は生きているが、その念の投影が終わると臨終ということになる、それが1カ月以上も前に念がこの世を去っていても肉体が生き続けることもある、と書かれたところがあります。(54~65頁をご参照ください)

 祖母によると、祖父が亡くなった日、祖父がそれまでとは全く違った表情をして空の一点を見つめ、それを何度か指さしたのだで祖母が「どうしたの? 何か見えるの?」と聞いても何も答えなかったそうです。その後、祖父はぐったりとしてしまい、ほとんどの時間寝ていたそうです。そして、看護婦さんが気づいたときには既に息をしていなかった、とのことでした。祖父の念がいつ去ったのかははっきり分かりませんが、何事にも几帳面に取り組んだ祖父のことですから、この世での課題を全て成し遂げて、準備万端で霊界に移行したのだと思います。

 私はハワイにいたときに、生長の家の信徒の遺族の方からご葬儀を依頼されたことが何度もありました。海外では生長の家の本部講師がご葬儀を執り行うことは珍しいことではありません。そして、ご葬儀とセットで50日祭(仏教では49日ですが)を行います。最初は葬儀をするなんて、ととても負担になりましたが、何度も何度もご葬儀と50日祭をして、約50日の間に、この世で起こった出来事を映画のように見て、反省すべき所は反省し、この世の成績に従って一番相応しい霊界に行く、ということをご遺族に説明していると、心の底から、「この御霊様は生きておられる。往生とは生きて往くことである」という感を自分自身が深くしたものでした。祖父は生前、神想観や聖経読誦が大好きで、生長の家の雑誌を配ったりして伝道したのはもちろん、人知れず深切を行ずる人でしたので、とても幸せな境涯に置かれると思います。

 祖父の葬儀があった日、娘は遠足の日でした。それまでペアを組んで、入学以来、毎朝のようにお世話をしてくれた6年生と一緒に遠足に行くことを心待ちにしていた娘にとって、遠足に行けなかったことはとても残念なことでした。しかし、身近な人の死を経験することは、とても大切なことで、娘にとってはとても貴重な機会となったと思います。人が死んでしまうと、冷たくなってしまうこと、肉体は焼いてしまって、骨だけをお箸で拾って骨壺へ入れ、お墓の下にしまうこと、そして家族や縁のある方が集まって葬儀をし、故人を偲ぶこと。。。これらは、人生では避けて通れない課目であり、娘にとっては、死んだ人の肉体が焼かれてしまうことにとても衝撃を受けたようでした。ご先祖様から受け継がれているいのちの尊さを、少しずつ娘に話していこうと思っています。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

祖父の旅立ち(2)

 6月1日に他界した祖父の通夜は6月2日に、葬儀は3日に法蔵寺という堅田家の菩提寺で厳かに執り行われました。2日の夜に対面した祖父は、とても穏やかで、安らかな表情で、まるで眠っているようでした。通夜が終わり、会葬してくださった方々が帰ると、それまで静かにしていた祖父のひ孫たちの“運動会”が始まりました。小学校1年生が3人いますので致し方ありません。祖父も、微笑みながら見守ってくれていたと思います。

 祖父の戒名は、「實相院緑壽慈豊居士」。お寺で付けて頂いた戒名に「實相」の文字があることに、家族一同、驚きを隠せませんでした。生長の家の信仰に触れて75年、み教え一筋に生きてきた祖父に相応しいものと感謝しています。

 祖父の体は祖父が生前好んできていた紫色の着物に着替えられ、遺体には沢山の花が添えられました。また、多くの方のご愛念で沢山の花輪で祭壇が飾られました。祖父は花がとても好きな人でしたので、祖父も喜んでいると思います。

 葬儀では弔辞として、4人のひ孫がそれぞれかわいらしくお別れの言葉を述べ、私も孫の代表として述べさせていただきました。当日は原稿を見ないで写真に語りかけようと思ったのですが、写真に写った優しく微笑んだ祖父の顔を見ると思いがこみ上げ、涙が溢れてくるので、話している間はあまり写真を見ることができませんでした。そのときに作ったドラフトを下記に掲載いたします:

********************************************

 私がおじいさんが亡くなったを知ったのは、札幌への出張中、仕事が終わり、札幌駅近くの駅で電車を待っているときでした。母から届いた短いメールでした。その後、羽田行きの飛行機に乗りましたが、空席が多かったので窓側の席を取り、外の景色を眺めていました。するとそこには、どこまでも続く美しい雲海、夕暮れに沈む太陽が山々を照らし、この世のものとは思えない、美しい、荘厳な風景が眼前に広がっていました。私はそのとき、「ああおじいさんは神様、仏様に守られ、静かにこの世界から旅立ち、こんな美しい世界にいるんだなあ」という感慨に満たされていました。そして、おじいさんは幸せの最中にいる、という何とも言えない温かい感情がわき上がってきました。そして、おじいさんとの様々な思い出が次から次へと心に浮かび、涙が溢れてきました。飛行機の隣とその隣の席に誰もいなくて良かったです。。。

 小学生の頃、おじいさんのお家によく遊びに行きました。そして夏休みや冬休みには泊まりに行ったのですが、平日に泊まるときには大好きなおじいさんに早く会いたくて、おじいさんが自転車で帰ってくる道を迎えに行ったものです。それでおじいさんの自転車の後部に乗せてもらって帰ってくるのを楽しみにしていました。ところがある日、おじいさんはいつもと違った道を通り、僕に会わずに家に着いてしまったのです。僕が迎えに出ていることをおばあさんから知らされたおじいさんは、スーツのまま自転車にまたがり、また戻って、いつもの道を通り、何食わぬ顔で僕を乗せて帰ってくれましたね。後からおばあさんから聞きました。

(祖父の旅立ち(1)で紹介した内容の概略を述べた上で)おじいさんは、信仰を口で語るだけではなく、信仰を生活にそのまま生きるお手本のような人でした。信仰者としてはおじいさんの足もとにも及びませんが、おじいさんが身をもって生きて、伝えてくれた生長の家の信仰を僕も生き、微力ながら伝える活動にまい進していきたいと思います。

 2000年を前にした年末年始、おじいさんはおばあさんと、僕の両親、そして僕、妹2人、それぞれの配偶者総勢10人を沖縄旅行に招待してくれました。豪華なホテルに宿泊し、飛行機もファーストクラスでの移動と大盤振る舞いでした。私たち兄弟が結婚して、家族が増えるとおじいさんはますます、家族の精神的な中心になっていきましたね。それは威張ったり、権威ぶってそうなったのではなく、おじいさんの包容力と徳によって、自然に、皆がおじいさんの周りに集まってくるようになりました。

 僕が2007年から2010年までハワイに行っている間、少しずつ体の機能が衰えていきました。僕はその3年間、一度も日本に帰国する機会がなかったので、おじいさんの体のことは聞いていましたが、電話でおじいさんに「ハワイに来てね」と言うと、「そうだね、ハワイに行きたいね~」と元気に答えてくれましたね。おそらく、それは無理だと言うことは分かっていたのでしょうけど。おばあさんが生長の家本部を退職してから献身的な介護をしたのをはじめ、多くの家族がおじいさんの介護を通して、心が一つにつながっていきました。これもおじいさんが、身をもって家族の大切さを教えてくれたのですね。先ほど、このお寺に献資した人のお名前が貼られているボードがあったのですが(献資額の多い順に記載)、おじいさんの名前は一番前の方にありました。見えないところで、いつも愛行、献資をしていたのですね。

 昨年、日本に帰国し、今年の正月にようやく家族でおじいさんに会うことができました。そのときは家族全員がそろい、14名で賑やかに、楽しい時を過ごしましたね。それから1カ月もしない、1月の下旬、僕は出張で滋賀県に行ったのですが、どうしてもおじいさんに会いたくなり、出張前の時間を使って2時間ほど、おじいさんのおうちに寄りました。おばあさんの手料理を頂いて、色々と話をして、おじいさんが「哲也、毎月来てくれよな」と言ったので、「そうだね、毎月は難しいけど、出来るだけ来るようにするよ」と言って、出張先へと向かいました。それが今生の別れになってしまいました。

 93年の長きにわたり、真摯に教えを学び、行じ、伝え、家族を心から愛し、世のため、人のために労を惜しまない、人生の範を示してくれました。生長の家では、人間は死なない、永遠不滅の生命であることを教えていただいています。毎朝、おじいさんの大好きだった聖経『甘露の法雨』を読み、おじいさんを招霊しますから、聞きに来てくださいね。そして家族を、生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動を導いてください。

 おじいさんへの思いは尽きませんが今日はこの辺で。ありがとう。おじいさん。

| | Comments (0)

祖父の旅立ち

 去る6月1日、母方の祖父、堅田豊が他界しました。享年93歳でした。私は今年の3月に生長の家が提供するラジオ放送「幸福への出発」を担当させていただきましたが、第2週目の放送で祖父の体験を紹介しながら、教義の解説をさせていただきました。祖父の入信のきっかけ等にも触れているので、その部分を以下に転載させていただきます。なおこの原稿を用意したのは、昨年12月です。

***************************************************

 ところで、私の家族は両親をはじめ、多くが生長の家の信仰者ですが、とりわけ母方の祖父と祖母は大変熱心な生長の家の信仰者であり布教者です。祖父は生長の家が創始されて10年も経たない昭和10年代のはじめ、肋膜炎のため自宅療養をしていたとき生長の家に触れました。姉の婚家先の書棚にあった創始者、谷口雅春先生のご著書『生命の實相』を見つけて、「病気は本来ない」「認めたものが現れる」などの真理に大変感銘を受けたのです。そして、「私は神の子だから病気は本来ない。健康なのが当り前なのだ」との自覚を得、次の日から職場に出勤し、それ以来健康になってしまったという体験を持っています。それから、祖父は住まいのある静岡から東京に出たときには、当時、赤坂にあった生長の家の道場に通って、谷口雅春先生のご講話を聞くなどして信仰を深めるようになりました。

 祖父はそれ以降も熱心に教えを学び、また多くの人にこの教えを伝えたいとの思いが強く、ボランティア講師である地方講師にもなり、一層、伝道に励んでいました。昭和50年代のはじめ、祖父が会社勤めをしていたときのことです。その会社の社長さんは、生長の家のことを大変理解してくださっていて、祖父が生長の家の幹部をしていることを知り、「それは人のためになることだから大いにやってください」ととても喜んでくれるような人でした。ところがある日、その会社の社長さんが突然亡くなってしまったのです。その後、その会社は事情があって整理されることになりました。

 祖父はそれでも、「大丈夫。どんなことが起こっても必ず良くなる」と信じて疑わなかったそうですが、祖母はその後のことを考えると、とても心配でした。社長亡き後の業務整理を、他のどの社員よりも熱心にしていた祖父は、ある日会社から祖母に電話をかけて、「今日は素晴らしい日だから、お赤飯と鯛でお祝いの用意をしておいて」と言ったそうです。それで祖母は、祖父の新しい就職先が決まったのだと思い、「どんなことがあったのですか?」と聞いたら、「今日で、会社のことは全て整理がついた。僕は今日から失業者だ。神様、ご先祖様に感謝して、新しい人生の出発を一緒にお祝いしよう」との答えでした。

 祖母は内心とてもがっかりしました。祖父はそのとき60歳の少し手前。車の運転はしない、ソロバン以外は使わない、ペンより重い物を持ったことのない人の就職先がどこにあるのか、と思ったのでした。その後、生長の家の布教活動を自由にやることができるようにと、小さな会社の経理担当者として勤務することになりました。

 その会社はしかし、経営がうまくいかず負債を抱えており、社長はときおり祖父に、お金を貸してくれるよう頼んだのでした。祖父はとても気持ちの広い人でしたので、社長の求めに応じて、少しばかりの貯金を出すようになりました。それで貯金がほとんど底をついた頃、こともあろうに、その社長が祖父が出したお金をもって行方不明になってしまったのです。しかし祖父はそれでも決して人を恨まず、自暴自棄にもならず、次のように祖母に言ったのです。「僕は前世で借金をしたのだけど、それを返さなかったのかもしれない。これで全部返済できたのだから有り難いことだね。これから良くなるぞ、益々よくなる。嬉しいね」と。念のために申し上げますが、生長の家では金銭の横領に対して社会的責任を問わなくてよい、と考えているのではありません。この事例では、何事かよくないことが起こったときでも、考えようによっては感謝の心を持つことができる、ということを示しているものです。

 さて、その後、間もなくして、ご縁があってリサイクルを専門にする会社への就職が決まりました。地球環境問題がクローズアップされている今でこそ、リサイクルを専門にする会社はいくらでもありますが、昭和50年代では大変珍しい会社でした。しかもその会社は、人材もリサイクルする会社で、当時社員はほとんどが中途採用者でした。祖父は当時60歳の手前でしたが、誠実な働きぶりが評価され、役員となり、給料も上がり、85歳でリタイアするまで元気でその会社に勤めることができたのです。ちなみにその会社のモットーは、「感謝の心」だそうです。

 祖父は、良い条件を与えられたから感謝をしたのではありませんでした。何事が起こっても人を責めず、恨まず、自分の心を反省し、そして感謝すべき点を見つけ、明るい心で努力をしたのでした。そのような祖父から生長の家を伝えられた祖母は、とても厳しい姑に対しても、徹底して礼拝と感謝の生活を送り、本当の親子以上の信頼関係を築き、100歳の誕生日を目前にあの世に旅立った姑の最期を看取ったのでした。そして、生長の家の教えを熱心に布教するようになり、やがて生長の家本部の職員となり、本部講師となり、女性の組織である生長の家白鳩会の副会長として東奔西走し、皆様から惜しまれながら、4年前に定年をむかえ、退職をしました。現在は、祖父を介護しながら、楽しく暮らしています。(引用終わり)

| | Comments (0)

梅雨に入って

 梅雨に入りました。今年はずいぶん早いようです。5月に入って暖かい日が続くようになり、ハワイのことを思い出すようになっていました。昨年の5月22日に3年間のハワイ滞在を終えて帰ってきて、ちょうど1年が経ちました。とても早く時が過ぎていったような気がします。

 その間、仕事面では新しい部署に移って、色々と新しいことに遭遇してはいますが、内容的にはこれまで積み重ねたものを生かすことができることもあり、大きな変化はなかったのですが、私生活の方はかなり変化に富んでいました。

 海外からの引っ越しは、大きく分けて航空便と船便があり、航空便は10日ほどで到着しますが、船便が到着するまでは早く1カ月ぐらい、遅いと3カ月ぐらいかかることもあり、わが家の荷物が到着したのは私が帰国してから2カ月後ぐらいでした。それから荷物を出し、段ボールを片付け、などとしているうちに、あっという間に半年が過ぎてしまいました。そしてその間に、娘の受験について話し合いを重ね、受験の準備をして(親も含めて)受験をし、住む場所を検討し、その間、大震災が起こり、そして再度の引っ越し……。とても目まぐるしかったです。

 それでも最近はだいぶ落ち着いてきて、家族共々徐々にペースをつかめるようになってきました。

 梅雨はじめじめしてうっとうしい面もありますが、3年間、日本の梅雨を味わっていなかった私は、昨年の梅雨はことのほか、新鮮に感じました。たっぷりの水を浴びて、伸び伸びと葉を茂らせている新緑を見ていると、生きる力をもらっているような気持ちになったのをよく覚えています。梅雨というと、谷口清超・前生長の家総裁の次のご文章を思い出します:

 雨がふる日は、天気が悪い――と、一体誰がきめたのか。カラカラにかわき上った畑は、雨がふる日は天気がよいのだ。そのような「よい天気」にめぐまれたといって、感謝する人も多いのである。では、晴れた日は天気が悪いのか――というと、決してそうではない。雨の日も、風の日も、晴れた日も、秋も冬も夏も、いつも天気がよいのである。いや、よい天気なのだ。それが分れば日々是好日、毎日毎日がよろこびの連続である。(『伸びゆく日々の言葉』204頁)

 今年の梅雨も、雨の恩恵を数え、味わいながら過ごしたいと思います。

 ところで先日の土曜日は初めての授業参観がありました。どの子も、最初は緊張していましたが、先生からの質問に元気よく手を挙げて答えていて、とても微笑ましく思いました。娘も45分の授業中に3回も指してもらって、伸び伸びと授業を受けている様子を知り、嬉しく思いました。

 娘の通っている学校では毎朝20分間、礼拝の時間があります。賛美歌を歌ったり、聖書の一節を朗読したり、そこに書かれている人生訓を先生が説明をします。小学校1年生に説明をするのは難しいことだと思いますが、人生に起る困難をどのように受け止めるかについて、とても上手に話されていたのに感心させられました。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

広島への出張

 先週末(5/15)は、広島県教化部で中国・四国ブロックの地方講師会長会議が開かれたので、その運営のため、広島教区へ出張しました。広島県を訪れるのは15年ぶりぐらいです。呉の道場には2回ほど伺ったことがありますが、教化部は初めてでした。

 今回の会議には、対象教区の講師会長、事務担当の方が全員集まって下さり、和やかな雰囲気の中で、今年の運動方針に基づいた、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」をいかに教区内で盛り上げていくか等について、積極的な意見交換が行われました。

 私は当日、司会兼事務局を務めさせていただいておりましたが、ある教区の地方講師会長の方が、何らかの理由で活動に参加していない地方講師宅を丹念に家庭訪問され、足かけ4年で、40名もの、これまで活動に参加していなかった講師が活動に戻ってこられた、というお話を聞き、深い感動を覚えました。

 他の教区の皆様も、本部の意図方針をよく理解してくださり、教化部長先生のご指導のもと、明るく運動を伸ばそうという気概にあふれておられ、皆様のご多幸とご活躍をお祈りせずにはいられませんでした。

 また会場を提供してくださった広島教区では、池森ヒロ子・地方講師会長をはじめ、多くの職員の方が献身的にお世話をしてくださり、とてもやりやすい環境を整えてくださいました。心から感謝、お礼申し上げます。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

自然食に舌鼓

 今日は木曜日で、妻と実家のある流山に行き、家の掃除を行いました。なるべくきれいに保ち、次に住むときに気持ち良く住めるようにしたいからです。

 2時ごろ埼玉に帰ってきてから、少し遅めの昼食を家から徒歩5分のところにあるレストランで頂きました。Onion Jackという自然食のレストランです。注文したのは、水菜のかき揚げがメインの日替わり定食+コーヒーです。味噌汁のお出汁に煮干しが使われているの以外は動物性のものは使われていない、健康食だそうです。

 私は以前は玄米が苦手でしたが、年齢とともに、体に良い食事を体が求めるようになり、玄米を美味しく感じるようになりました。普段は食べるスピードは速い方なのですが、玄米はよく噛んで、味わって食べるものですから、食べる速度は遅くなります。おかげでおかずも、味噌汁も、漬け物も、有り難く、美味しく頂きました。

 カメラを持っておらず、写真を撮らなかったのは片手落ちでした。。。

 以下は食べログの情報です。この写真に載っているカレーを次回、是非、味わってみたいと思っています。

 http://r.tabelog.com/saitama/A1101/A110102/11003089/

 阿部 哲也

| | Comments (0)

新緑がまぶしい季節

 新緑がまぶしい季節になりました。私は原宿にある生長の家のオフィスに通っているのですが、昼休みに東郷神社の脇を通ると、瑞々しい木々の迫力に圧倒されてしまいます。昨年5月、ハワイから戻ってきて、日本の木々の美しさに目を奪われて、しばし呆然としたことなどを思い出しました。春夏秋冬と、季節がはっきりしていて、それぞれの季節の美しさを堪能できるのは、本当に有り難いことだと思います。

 新しい場所で生活を始めて1カ月が経ちました。小学校1年生になった娘は幼稚園のときよりも、遙かに早い時間(6時20分頃)に起床し、7時過ぎには家を出ます。私たち家族の住む家は最寄り駅の東口側にあるのですが、スクールバスは西口から発着するため、娘は毎日、駅を越えて西口まで行きます。ですので家を出てから、私が通る改札口までは娘と一緒に行くことにしています。

 ハワイ滞在中に通ったプリスクールは職場に行く途中にあり、出勤時間とも重なっていたため、毎日車で送っていきましたし、キンダーガーテンも家から至近距離にあったため、送っていきました。日本に戻ってきて、幼稚園の年長時代の1年間を挟んで、思いがけず一緒に通勤(通学)することになりました。これは貴重な機会だと感謝しています。というのも、娘と2人で話す時間というのはあるようで、意外と少ないので、歩きながら色々話をするのは、良いスキンシップになるのです。

 私自身もこれまでに比べて家を出る時間が早まり、さらに通勤時間が少し短くなったので、職場にも早く着くようになりました。始業までの朝の時間を、有効に活用しようと色々と考えています。新しい生活に慣れるまでは色々と大変なこともありますが、これまでとは違う発見や感動があり、新鮮な気持ちになることができます。

 これまで住んでいた家は、木造で、とても丁寧に作られた家なのですが、夏がものすごく暑くなり、冬はものすごく寒く、光熱費がかさむのが玉に瑕でした。ところが今度の家は軟骨鉄筋で、断熱材がしっかり入っているようで、光熱費が減りそうな感じです。

 これまでよりも市街地に移ったため、自然に触れる機会が減ってしまったのは残念ですが、この場所の良い点を多く見つけて、「日時計主義の生活」を実践してきたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

地方講師会長会議

 去る4月10日(日)、生長の家本部新館4階にある「白鳩の間」で関東・甲信越ブロックの「地方講師会長会議」が開かれ、20名の地方講師会長および事務担当者の方と本部員14人、合わせて34名が参加しました。

 今回は震災後、初めての地方講師会の会議であり、被災地の茨城教区からも参加者があり、いつもとはひと味もふた味も違う雰囲気の会議となりました。まず、目等泰夫・教化・講師部長による「開会の祈り」に続き、参加者全員で、谷口雅宣・生長の家総裁が作られた「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を声を出して拝読しました。そして自己紹介の時間には、はじめに発表された茨城教区の方が、安否確認や支援のために信徒さん宅を回ったことを話してくださり、どこに行っても「体験談を聞いているようだった」と感動を交えて話して下さいました。その発言の触発されたかのように、震災を通して信仰を持つことの偉大さに改めて感動されたこと、ささいな日常生活の有り難さに改めて目覚めたこと、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」を毎日拝読して感動していることなど、それぞれの立場から、心のこもった発表があり、大変感動しました。

 会議そのものも、参加者が積極的に発言をする機会が多く、予定していた議題全てはカバーできませんでしたが、今年の運動方針に基づいて、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を盛り上げていくこと、新しい普及誌を使った伝道に一層取り組んでいくことへの機運が高まり、温かい雰囲気の、参加者の信仰があふれ出る会議となりました。

 今年度は全7会場でブロック別の会長会議が開かれます。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

新しい学校

 4月7日(木)に娘の小学校の入学式がありました。昨年の夏に学校を見学して家族全員がとても気に入り、短い期間ながら受験の準備をした小学校への入学です。(そのときの記事は6回シリーズで初回の分はこちらにあります)

 入学式が木曜日で私にとっての休日だったので、仕事に気兼ねすることなく式に参加できたのは幸いでした。式には、ほとんどの家庭の父親が参加しているのではないかと思うほど多くの父親が参加していて、自分たちのときとは隔世の感があると思いました。

 娘にとっては普段よりも遙かに早い時間に起きて準備をして、学校に着いたのは朝7時半少し過ぎ。学校に入ると、6年生と思しき(実際にそうでした)女の子が寄ってきて、「保護者の方はあちらへどうぞ」と簡単に案内をしてくれた後、娘に向かって「お名前は何と言いますか?」と話しかけ、靴を脱いで上履きに変えるのを手伝ってくれた後、受付のところに連れて行ってくれて、教室まで連れて行ってくれました。6年生は集中的に6月まで1年生の面倒を見るのが伝統だそうです。

 入学式は、中学校、高校に進級する生徒も含めて行われ、また全校生徒の始業式と合わせて行われました。参加したのは、全校生徒・児童と初等部に入学する児童の保護者が参加して行われました。全校生徒・児童は1年生から12年生まで合わせて700人ほどです。学校の理事長、校長のご挨拶は通り一遍ではなく、キリスト教の教えを反映した建学の精神に則り、また震災での人助けのエピソードに触れるなどしながら、「隣人を愛する児童・生徒になってほしい」というメッセージが分かりやすく、力強く発せられていて、大変感動しました。

 今年の1年生は色々な事情で2クラス合計で36人とのことで、1クラス18人の少人数のクラスになりました。多くの子ども達は電車通学ですが、私たち家族は義父の強い意向で、学校の近くに引っ越したので娘は徒歩とスクールバスでの通学です。4月9日から新しい住まいに移り、朝7時過ぎに娘と一緒に家を出て娘を最寄り駅の、スクールバスが止まる場所まで連れて行き、出勤しています。真新しい制服はかなり大きく、教科書が詰まったランドセルは見るからに重そうですが、そのうち慣れて、板に付いてくるのだと思います。

 学校の先生方の説明を聞いていて、子供の個性を大切にしながらじっくり育てたいという気概と責任感を感じたのと、「お子さんとともに保護者の方々もご一緒に学んで頂ければと思います」という言葉を聞き、心新たに、新しいことを学んでいこうと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

新年度の幕開け

 震災から3週間余りが経ちました。被災地の被害状況が克明に分かってくるにつれて被害の傷跡の大きさを実感しないわけにはいきませんが、ほんの少しずつであっても復興が進みつつあることは有り難いことだと思います。

 関東地方においてはここ数日間、計画停電が無くなり、電車もほぼ通常通りに運行されるようになり、日常を取り戻してきました。計画停電が始まってから夕方や夜に外を歩くと、電気の明かりがついている部屋が1家に1つのお宅が多く、皆さんが節電されている様子が窺われます。

 わが家でも暖房を使うときには一つの部屋に集まるようになりましたし、なるべくエネルギー効率がよい使い方を色々と画策しています。また、これまで数回、計画停電で電気が切れたことにより、頭では分かっていても電気を当り前のように使っていたことを反省する良い機会となり、一層、節電を心がけるようになりました。

 また、それほど回数は多くなかったのですが昼間に停電したときには太陽光発電装置が活躍してくれました。普段は電気系統に接続されているのですが、停電時は独立させて太陽光によって発電された電気をそのまま使うことができます。(最大1.5kwまで)2006年に同装置を設置して以来、初めて独立させて使ってみて、この装置の偉大さを改めて実感しました。

 今年の夏は電力がだいぶ足りなくなるとのことで、企業も家庭も相当節電する必要があると言われています。が、私はこのことは今の社会にとってはむしろ必要なことだと思います。夏のデパートやスーパー、そしてオフィスや電車の中は寒くて、私などは上着は欠かせないほどですが、これは私だけではなくて、夏になると冷え性の人がよく外来に来るというお医者さんの話が以前、新聞に載っていましたので、夏の冷房に悩んでいる人は結構多いのだと思います。これは明らかに常軌を逸しています。夏は暑いもの、冬は寒いものという、極めて当り前の事実を受け入れることが必要だと思うのです。昨年のような異常に暑い夏であれば多少、クーラーを使う必要があるにせよ、節度をもって使う良い訓練になると思います。

 また、エネルギーの視点からも、決して枯渇することがなく、地球上に溢れるほど存在している自然エネルギーを使わない手はありません。アメリカの著名な環境活動家のレスター・ブラウン氏は、最新刊の『WORLD ON THE EDGE』(瀬戸際に立つ地球、という意味になりましょうか)の中で、「business as usual」、つまり「従来通り」を続けていたら文明は危機に瀕するが、自然エネルギーの可能性が計り知れないことを、具体的な数字をもって示してくれています。その中のいくつかを翻訳して紹介します。

・米国科学アカデミー(US National Academy of Science)が2009年に発表した世界の風力についての調査によると、陸地における風力発電は、現在あらゆる手段によって発電され使用されている電力の40倍も発電できる能力がある、とのことである。(117~118頁)

・2000年から2010年までの10年間で、驚くべき事に風力による発電量は1万7千メガワットから20万メガワットにまで増えた。(118頁)

・アルジェリアには、同国の砂漠にふりそそぐ太陽のエネルギーだけでも世界全体の経済をまかなう分だけある。これは数学上の誤りではない。同じような指摘がしばしば太陽光発電に関する記事には見られる。すなわち地上に1時間ふり注ぐ太陽光は世界経済1年分をまかなう量である。(124頁)

・The American Solar Energy Societyは、アメリカ南西部における太陽熱の資源だけで現在、アメリカで使用している電気の4倍以上にも及ぶと言っている。(125頁)

・地上から6マイル(約10km)の層には世界全体の石油、石炭の埋蔵量を合わせた分のエネルギーの実に5万倍ものエネルギーが埋蔵されている――これは驚くべき統計データだ。これほど豊かなエネルギー源であるにもかかわらず2010年半ば現在、世界における地熱発電はわずか10,700メガワット分しか利用されていない。(127頁)

・2006年にマサチューセッツ工科大学(MIT)による各種学問分野合同の科学者、技術者13人が地熱発電能力の可能性について試算を行った。石油やガス会社が掘ったり、原油の二次回収で使う技術も含んだ最新の技術を含む、改良された地熱発電装置を使うと、地熱発電はアメリカでの電力需要の2,000倍をもまかなうことができる、とのことだ。(128頁)

 4月1日から新しい年度になりました。わが国における、目の前にある困難は計り知れませんが、化石燃料や危険を伴う原子力発電に頼らず、自然の恵みに私たちの心を振り向け、その恵みに感謝しながら、節度を持ってエネルギーを使う社会へ一歩を踏み出すことが、今回の震災で犠牲になられた方々への弔いにもなり、「神の御心」にかなう道であると思います。

 新しい年度も、「神意」を思いに、言葉に、生活に表現していくよう、努めたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

震災から1週間

 今日で震災が発生してから1週間が過ぎました。谷口雅宣・生長の家総裁は、今回の地震についての「お祈りの言葉」を発表されました。

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2011/03/post-6f4f.html#search_word=自然と人間の大調和を観ずる祈り

 今から10年以上も前から、人間は自然の一部であることを訴えられ、人間中心主義的なものの考え方を批判され、人々の欲望を正しくコントロールする生き方を人々に伝えるのが宗教の役割であると説かれててきた生長の家総裁の思いがこのお祈りに凝縮されていると思います。とりわけ、愛である、全能である神がいるのであれば、なぜ、このような残酷な出来事が起こるのか、と疑問に思われている方にはぜひ、読んでいただきたいと思います。私自身もこの素晴らしいお祈りを毎日実修して、一日も早く、復興がなされますよう、できることにまい進したいと思います。

 震災が発生した時点では神戸にいた私はその後、長崎で仕事をして、14日のお昼過ぎに帰京しました。私が住んでいる千葉県北西部には常磐線で帰宅するのですが、その日は松戸までしか電車が通っていなかったので、つくばエクスプレスに乗り、運転打ち切りぎりぎりで「流山セントラルパーク駅」に着き、妻に車で迎えに来てもらい、帰宅することが出来ました。

 私が住んでいる地域では15日から計画停電が実施されていて、昨夜はゴールデンタイム(午後6時50分から9時まで)に停電となりました。今日は、多くの方の節電の努力により、停電が回避されたようです。今、人々が一つの目標に向けて努力をする、尊い姿が現れていると思います。他にも指摘しておられる方もいますが、現在供給できる最大の電力容量と現在の使用量をテレビやツイッター等で目に見えるようにすれば、人々の節電意識はさらに高まるのではないか、と思います。

 さて幼稚園の年長だった娘は一昨日、大好きだった幼稚園を卒園しました。ハワイから日本に戻ってきて、3歳から2年半、ずっとハワイで教育を受けてきたため、日本の習慣やリズムに最初は戸惑っていましたが、幼稚園の先生や友達、そして多くの方々のご愛念ですっかりと溶け込み、毎日楽しく通園していました。

 この幼稚園は、海外に住んでいる人で短期間でも日本の幼稚園を経験させたいという場合でも受け入れてくる大変、包容力のある幼稚園です。また娘の担任もとても良い先生で、毎日帰る前に、「今日は○○ちゃんがこんな良いことをした、あんな良いことをした、こんなことが出来た、あんなことが出来た」というように、先生が見つけた子ども達の良い点を発表していて素晴らしい、と園長が賛嘆をされていました。

 卒園式の日、担任の先生は、「このクラスは、縄跳びができない子がいればみんなで頑張って、と応援するし、失敗する子がいても、大丈夫だよ、と励まし合っていける、素晴らしい子供たちでした。そんな子ども達と一緒に過ごすことができて幸せでした」と言っておいおい泣いていたのを見て、先生と子ども達の気持ちが通い合っている、素晴らしいクラスだったことを感じました。そして、この幼稚園は、「日時計幼稚園」だと思いました。また、幼稚園の最後の最後で、大地震が起こり、先生のお宅に初めて1人で一泊するという、忘れようにも忘れられない経験をしたのも、何かのご縁だと思います。

 何かから卒業することは寂しいものですが、また新しい出会いの始まりでもあり、これまでを振り返って有り難いこと、恵まれていることに感謝をして、新しい出会いへの準備とできたら、と思います。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

今回の大地震

 はじめに、この度の東日本大地震で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げ、また負傷、あるいは被災に遭われた方が一日も早く立ち直られますよう、心からお祈り申し上げます。また、復旧作業のために働いて下さっている方々、有り難うございます。

 ITの技術が普及している時代を反映して、色々な国の方が応援やお悔やみのメッセージを送って下さっているのがとても有り難いことと思います。ツイッターでは、「Pray for Japan」というタグが貼られ、多くの方が書き込んでくれています。これも新しい技術の素晴らしい活用法だと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110311-00000061-zdn_n-inet

 私はその日、地方講師試験のため、神戸へ出張中でした。埼玉に用事があって出かけていた妻から電話が受験者の方との面接中にあったため、面接が途切れたときに電話をかけ直したのが午後2時30分頃でした。「後で用件をメールを送るから」と妻が言ったので「分かったよ。待っているから」と言って電話を切ったのですが、地震が起きたのはその直後です。しかし、神戸では全く揺れを感じなかったのでそのような大地震が起きたとは知るよしもありませんでした。

 数人の方の面接が終わり、ホテルにチェックインをして、市内の大手書店に立ち寄った際、携帯電話のメールをチェックしたのですが入っていません。それで電話をしたのですが、何度かけても「接続ができません」と出てきます。これは電話回線がおかしいのだろうと思い、本屋を出て通りを歩いていると何となしに地震とか、津波とかいう言葉が聞こえてくるのでした。私は、そんなに大きくもない地震が関西地域で起きたので自分は揺れを感じなかったが、一時的に電話の回線の使用が増え、回線がつながらないのだろう、などと思っていました。

 その後、書店の近くが三宮駅だったので翌日に乗る電車の時刻を調べに駅まで足を伸ばしたところ、新聞の号外が駅の柱に貼ってあったのを見て、初めて大変な事態になっていることを知りました。それで、私の家がある千葉県北西部は震度6弱、と書かれていてさらに驚いて、家に電話をかけ続けましたがかかりません。それで公衆電話で自宅の固定電話にはつながりましたが、妻は出かけているので留守電になっていました。それにしても震度6弱とは尋常ではありませんから、その時間は幼稚園にいるはずの娘の安否が非常に気がかりでした。

 その後、静岡の母から家内にメールを送って欲しい、という電話を受けたので、すぐにメールをして、ホテルに戻ってパソコンを開けてみると、幼稚園の園長先生から「園児は全員無事です。至急迎えにいらしてください」というメールが入っていました。家内もそれは見ているはずなのですが、おそらく携帯からは電話が出来ないのだと思います。と思っているうちに、奇跡的に妻と携帯で連絡がつきました。妻は埼玉に自分の父親といるときに大地震に遭ったのですぐにタクシーで幼稚園にかけつけているが大渋滞で動かない、ということを幼稚園に伝えて欲しい、とのことでした。

 携帯とホテルの電話から幼稚園に電話をしてもつながらないので、近くのコンビニの前にある公衆電話を使ったらすぐに通じました。すると既に妻とは連絡が取れていて、妻が幼稚園に何時に着けるか分からないので娘は、幼稚園から徒歩圏内に住んでいる事務の先生のお宅に泊めて頂くことにしたのでした。1人での外泊は初めてですが、本人は楽しかったようです。

 その後、家内は義父とともに午後9時半頃には無事に帰宅することができ、また、電気、ガスも使うことができたとのことで、大変有り難いことでした。

 私はといえば、通常は地方講師試験の前日は早くて夕方、あるいは夜に現地に着くように行くのですが、兵庫の翌日には長崎で試験があるため、筆記試験が終わったらすぐに移動する必要があり、前日の午後の早い時間から面接をする段取りを取っていたのです。それが功を奏し、兵庫教区では予定通り試験を行うことができました。もし、面接が前日に行われなかったら、今回の試験は予定を延期しなければならず、多くの方に影響を与えるところでした。大変有り難いことと感謝しています。そして、午後10時すぎに長崎駅に予定通り到着しました。

 被災地が一日も早く復興されますよう、重ねてお祈り申し上げます。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

「男子弁当」

 最近は弁当を作る男性が増えているとのことで、「男子弁当」をテーマにしたブログも沢山あって、びっくりしました。たとえばこんなブログです。。。

 http://food.blogmura.com/bentodanshi/

 生長の家本部に勤務しておられる男性の中でもお弁当を自ら作っておられる方も何人かいるようですが、私も昨年の10月頃から「手弁当」を持参するようになりました。それは、谷口純子先生のブログを拝見していて、バランスの取れた食事を取ることが大切だと感じたこと、そして節約する必要もあるため、などです。

 そうはいっても朝、時間を多くは取れませんから、残りものや、まとめて作ったものを冷凍したりして、朝は10分ほどで準備できるようにしています。

 料理ははまると結構楽しいもので、最近は木曜日に可能であれば、娘と一緒に夕食を作ることにしています。最近、毎週出張をするのを娘が寂しがるので、一緒に何かできれば、と思い立ちました。娘は食べられない野菜が結構あるのですが、自分で作ったものであれば食べようという気にもなるようで、そちらの効果も大きいです。

 以前は気分転換にもなるので家族でよく外食をしていましたが、最近は妻が料理に目覚め、ウデによりをふるって美味しく作ってくれるので、たまにしか外食をしなくなりました。誠心を込めて作った料理は人の心を幸せにしてくれるのだと思います。

 阿部 哲也

 写真は、アボカドと梅の和え物、かぶと薩摩揚げの煮物、大根の葉と油揚げの煮物です。

Self_made_cooking

| | Comments (2)

代表者会議と立教記念日

 先月末の2月27、28日は東京・原宿にある生長の家本部では、2011年度の運動方針徹底のための会議である代表者会議が行われ、また昨3月1日は同じく生長の家本部会館のホールで立教82年の記念祝賀式が行われました。

 両日とも日本全国はもとより、生長の家の法人がある世界の各国の代表者の方々が集まり、熱気に溢れる3日間でした。私たち本部職員の多くは運営に当たっておりましたが、代表者の方々の真摯な姿勢、そして運動に対する熱意に、深い感動を覚えました。

 私は教化・講師部講師課に所属していますので、28日の午前中に行われた分科会では「全国地方講師会会長会議」に出席し、司会を担当しました。生長の家のボランティア講師で組織される地方講師会の各教区における会長、そして事務担当の方、合わせて約110名ほどが集まられましたが、日頃から多くの方に愛を施しておられる方々ばかりで、3時間の会議は、温かい、そして真剣な雰囲気の中で行われました。

 ということで先週は、地方講師試験はどの教区もお休みでしたが、また、今週末から再開されます。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

北海道への出張

 一昨日から今日まで北海道に出張しました。北海道を訪れるのはとても久しぶりです。とりわけ札幌は15年ぶりぐらいだと思います。現在の札幌教化部は平成14年に建てられたとのことですが、建てられたばかりかと思うように手入れが行き届いておられ、温かい雰囲気に満ちていました。

 よく言われることですが、北海道の室内はとても暖かいです。暖房をよく使うからだとは思いますが、家の構造も寒い地域ならでは作りになっていることもあります。2週間前に函館に伺った際、函館教区の谷垣事務局長に伺ったのですが、北海道の十勝地方は冬でも昼間は太陽が出ることが多く、太陽が出ていれば昼間は暖房がいらないのだそうです。ただし、太陽が沈むと一気に冷えるそうですが。それに比べると函館は、昼間もあまり太陽が出ないので、朝晩の冷え込みは厳しくなくても何となく寒く感じる、と言っておられました。

 このようなことは関東地方に住んでいるとなかなか知り得ないことだと思いました。ちなみにハワイも、一年中、貿易風が吹くので、日向を避ければ涼しいこと、朝晩は涼しく熱帯夜などないこと、エアコンがなくても充分快適に過ごせることなどは、ハワイに住んだことがなければあまり知り得ないことだと思います。

 札幌の教化部の最寄り駅は発寒(「はっさむ」と読みます)という駅で、歩くと10分ほどの距離ですので、「駅まで迎えにいきましょうか」とおっしゃってくださった講師会の事務担当の方のお誘いを丁重にお断りし、歩きました。いつ購入したのか分からないのですが、だいぶ前に買った登山靴のような靴があり、冬の雪国に伺うとき以外に使い道がないので使いたかったのと、シェイブアイスのようなパウダースノーの上をぜひ歩きたかったこと、そして歩くと、そこここに色々な「発見」があって楽しいからです。ただし方向音痴の私は、地図があっても迷うことがあり、先方様にご迷惑をかけてはいけないので、あまり周囲の景色に気を取られてはいられません。それでもあちらこちらでシャッターを切りながら、無事に教化部に着きました。途中、歩いていてもなかなか着かないので「間違えたかな?」と不安になったのですが、大型の太陽光発電装置が太陽に当たってきらきら輝いているのがちらっと見えましたので、「大丈夫だ!」と確信しました。札幌の太陽光発電装置の電力容量は31kwです。

 札幌教区の次に伺ったのは空知教区(教化部は滝川市にある)でした。滝川駅に着いたのは午後7時頃でしたが、粉雪が舞っていました。こちらも例によって登山靴で、テクテクと歩いてホテルへ向かい、翌朝も歩いて教化部に伺いました。空知教化部にも立派な太陽光発電装置があります。滝川は札幌よりもさらに寒いのですが、空気が澄んでいて、長く歩くのでなければ快適に歩くことができます。(ただし少し筋肉痛。。。)

 札幌、空知の両教区では地方講師試験が行われました。どの会場でもそうですが、受験者の皆様がこれまで努力して教えを学ばれてきたことが一目で分かる、充実した表情をされていたのに、またまた感動しました。

 ここのところ雪国への出張が続きましたが、いずれもお天気に恵まれて、仕事の緊張感から解放された後には、美しい雪の風景を堪能させていただきました。感謝、合掌。

 阿部 哲也

写真は、ローカル線の車窓から、札幌教化部内にある「技能と芸術を生かした誌友会」発表された作品、札幌教化部外観、滝川のホテルの前にあるライトアップした飾り、空知教化部です。
1_sapporo_1
2_sapporo_2
3_sapporo_missionary_center
4_hotel_miurakaen
5_sorachi_mc

| | Comments (0)

「主体者」の自覚について

 私はipodにダウンロードした、アメリカのABC テレビのWORLD NEWS を見ることを日課にしています。この番組はipod用に無料で提供されていて、月曜日から金曜日の週5日間、1日20分ほどにコンパクトに世界のニュースがまとめられと思うので(主にアメリカの視点だと思いますが)、毎日見ています。たとえ同じ内容のニュースであっても、日本の番組とは視点が違うのが面白いです。

 ここ最近は、当然のことながらエジプトのタハリール広場を中心に繰り広げられたデモ、そしてムバラク大統領の辞任、その後の様子がレポートされていますが、大統領が辞任する少し前の日の番組で、あるエジプトの若者が、「これまではエジプト人であることが恥ずかしかった。エジプトのパスポートを持っているのは恥をかいているようなものだ。しかし、今は違う。エジプト人であることに誇りを持っている」というようなことを言っているが印象的でした。

 その同じ日に、トーマス・フリードマン(Thoms Friedman)という『The New York Times』のコラムニストが、同紙に書いていたコラムにも同じ事がでていました。それは、彼が取材したエジプト人は、「これまではエジプトは自国でありながら、借りてきた国のようだった。しかし今は違う。わが国になったのだ」というのです。

 フリードマン氏は、街角で手袋をはめて、大きなゴミ袋を持った若者に出会ったそうで、その若者たちは熱心にお掃除をしていました。それでその中の23歳の若者に「どうしてお掃除をするのか?」と聞いたのです。すると、「ここは私の地球だ。私の国だ。私の家だ。ムバラクが出て行くから私はここをきれいにするのだ」。

 フリードマンさんはよく、「レンタカーを掃除する人はいない」というたとえを使うそうですが、それと同じように“借りものの国”を掃除する人はいない、と言います。そして20世紀までのアラブ諸国は、王や独裁者、植民地の支配者によって支配されていた、借り物の国だった。しかし、主権を取り戻したことで、わが国になった、その意識が、国に対する愛を生み、国をよくしよう、という気持ちになるのだ、ということを述べています。

 私はこれを読んで、何事をするのにも自分がしているという、「主体者の自覚」を持つことが大切だと思いました。させられていると思うと意欲が湧かず、実力も出てきませんが、同じするにしても「自らがやっている」と思えば楽しく、結果を出すことができるのですから。

 しかし現実には、エジプトの政治はそう簡単にはいきそうもありません。今後、良い方向に民主主義が根付くよう祈っています。

 ちなみに、フリードマンさんのコラムの原文は下記のアドレスにあります:

 http://www.nytimes.com/2011/02/11/opinion/11friedman.html

 阿部 哲也

| | Comments (0)

地方講師の試験が各教区で行われています

 1月の終わりから毎週末出張しています。生長の家のボランティア講師である地方講師の試験が行われているためで、その試験官として色々な教区に伺っています。受験される方々が真摯に試験に取り組んでおられる様子を拝見して、感動で胸がいっぱいになります。

 受験される方との何気ない会話から、そして面接をさせていただいた方との会話からは、受験のための勉強をして、教えの奥深さ、そして素晴らしさに感動した、ということをよく耳にします。それは、これまで教えを受ける側だった方が、教えの内容を説明する勉強を通して、これはこういうことだったのか、と新しい発見があったのではないかと思うのです。私も数年前に本部講師の試験を受けたときに沢山の新しい発見がありました。

 また、自分のために学ぶときと、人様にお伝えするために学ぶのとでは、後者の方がより多くのことが身につく気がします。それは「自他一体」の気持ちが深まるからではないかと思うのです。

「自他一体」と言えば、今年の本部講師の試験の前に説明に立たれた目等泰夫・教化部長が受験者に、「自分のことはさておいて、他の受験者のために祈りましょう」と呼びかけ、「他の受験者のための祈り」を行いました。私はこれはとても素晴らしい事だ思いました。なぜなら、受験前は誰でも気持ちが委縮して緊張するものですが、他の人のために一心に祈るとき、「生命」が広がり、萎縮していた気持ちが溶けていくと思うからです。私自身も、英語の試験を受ける機会が以前にはよくありましたが、そのときに、他の受験者のための祈りをよくしました。

 これまで滋賀、函館、そして青森の各教区へ伺いましたが、それぞれの教区で教化活動上の責任者である教化部長の皆様がわが子の受験を心配する親のような表情をされていたこと、そしてその期待に応えるかのように、日頃の成果を出そうとされている方の真剣なまなざしには、いつもこちらの姿勢が正される思いになります。そして、試験が終わったときの安堵の表情に、こちらも癒されます。

 ちなみに一昨日と昨日は初めて、青森新幹線に乗りました。私は上野から乗車しましたが、行きは3時間半、帰りは3時間20分でした。感覚としては東京から岡山に行く感じです。

 生長の家では、「自然と共に伸びる運動」を進めており、職員が出張する際に二酸化炭素をどれだけ排出したかを報告することにしています。(そうしないと旅費の精算をして頂けません。。。)すると、飛行機での出張は電車の出張と比べて一桁、排出量が違うのです。そういう意味では、新幹線が青森まで開通したのはとても良いことだと思います。

 阿部 哲也 拝

※写真は新幹線の車窓から見た美しい伊吹山、滋賀県教化部の掲示板、函館教区の講習会のポスター(写真は教化部事務局長が撮影したもの。カレンダーが組み込まれていて)、教化部から撮影した函館山、雪の青森県教化部、青森県教化部の太陽光発電装置(装置の下を雪を取り除かないと発電装置にのった雪が下りないので、ここの部分の雪かきは欠かせないそうです。ちなみに雪かきをされているのは田中・教化部長)、ホテルから撮影した青森市内と青森港

1_shiga_1
2_shiga_2
3_hakodate_1
4_hakodate_2
5_aomori_1
6_aomori_2
7_aomori_3

| | Comments (4)

“森の中”を下見

 現在生長の家では、2013年(平成25年)から北杜市に本部の建物と機能を移す、いわゆる「“森の中”のオフィス」構想が進行中ですが、1月14日から16日までの3日間のうちの1日、本部職員と家族(希望者)を対象に“森の中”のオフィスと職員寮予定地の下見が行われました。私は妻と娘と共に、14日に参加しました。

 ※“森のオフィス”構想については、下記をご参照ください。
 http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/12/post-c4a7.html#search_word=なぜ“森の中”なのか? 
 http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20100124.html

 私の家ではケーブルテレビを引いていて、その中のお天気チャンネルで、自宅とともに北杜市の天気をよくチェックしています。海抜1,100mから1,300mの高地ですから、気温が低いだろうことは予想していましたが、予想に違わず、底冷えのする気候でした。しかし、海抜1,300mにある「オフィス」建設予定地あたりにはいくらか雪が残っていましたが、道路にはほとんどなかったのには驚きました。現地で説明してくださった方によると、「雪は積もるほどは降りません」とのことでした。

 私は娘に、「雪があるからね」と言ってしまっていたので娘ががっかりするかと心配しましたが、道ばたや林の中にある雪を見つけて「雪だ、雪だ!」と喜んでいる様子を見て安心しました。娘は1歳半のときに雪に触れたのを最後に、これまで雪を見たことがないのです。昨年までハワイにいましたから。ですから雪を見たときの喜びようは相当のものがありました。

「百聞は一見にしかず」とは良く言ったもので、実際に見てみるとこういう所に住むのだな、というイメージが湧いてきます。

 以前、ハワイに赴任しましたときには事前に、海外で暮らすということ、そしてハワイで暮らすということがどういうことかが分からず――海外暮らしが初めてでは分かるはずもないのですが――色々大変だったので、今回はよく調べ、よく考えを巡らして、そのときに備えようと思います。

 色々な点で都会と比べて不便なこともあるでしょうし、自然は人間にとって都合の良い面だけではないということもありますが、やはりきれいな空、空気、水に囲まれ、雄大な富士山を臨める“森の中”の生活は、これまで経験したことのないことを感じ、学ぶことができるような気がします。

 阿部 哲也

Hokuto_1
Hokuto_2
Hokuto_3
Hokuto_4

| | Comments (0)

娘の日時計日記(2)

 私は有り難いことに、娘が寝る前までに帰ることが出来る日が割合多いので、出来る限り、寝る前には絵本を読み、歯磨きの仕上げ磨きをするようにしています。絵本は、家にある本を読むときもあれば、私が勤めている生長の家本部の近くにある渋谷中央図書館で借りてきた絵本を読む場合もあります。私は通常の日の昼休みは、お弁当を食べた後に図書館で過ごすことが多く、新着の絵本や、季節にあった絵本などを見ていると、娘に読んで聞かせてあげたい本がよく見つかるので、よく借りています。

 昨年の末から、絵本を読み聞かせるときに、娘に「今日あった良かったこと」を聞くようにしています。言わば、『日時計日記』を口頭で付けよう、ということです。そうすることでその日にあった良かったこと、嬉しかったこと、楽しかったことを思い出して、楽しい気持ちで寝ることができれば、と思っています。

 だいたい、娘が見る夢を聞くと、身近なお友達と遊んだり、大きなクッキーやケーキが出てきたり、聞いているだけで楽しくなるような夢を見ているので、いつも明るく、楽しいことを考えているのだと思いますが、その日にあった良い出来事を言語化する練習は、色々な点で役に立つのではないか、と思っています。

 そして、娘が良かったことを話した後には、娘と関連のありそうなことで、私自身が良かったと思うことを話して、「生まれてきてくれて有り難うね。あなたのおかげで、パパとママはとっても幸せだよ」という意味のことを言って「お休み」をすることにしています。そして、自分もそのようにして育ててもらったことへの感謝の気持ちを起こします。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

3年半ぶりの帰省

 昨日は日帰りで、家族で静岡に帰省しました。静岡に行ったのは3年半ぶりです。「近いのでいつでも行ける」という気軽さが逆に、行くのを遠ざけてしまったのは否めません。。。あと、せっかく行くのなら、2人の妹の子ども達とも都合を付けようとするので、日曜日がお休みではない私の勤務日程で合わせるのが難しい、ということもありました。

 ということで、朝8時半に家を出て、東京駅から新幹線ひかり号に乗ること1時間、あっという間に静岡駅に着きました。それで驚いたのが、車内に外国人の方が多いこと。前の席も隣の席も、そして、その前後も。。。どうしてかなあ、と思ったのですが、思い当たるのは、外国の方だけが買える「ジャパンレールパス」のことです。(厳密には、日本国籍以外の旅行者と、日本国籍で外国に永住権を有しているか、日本国外に居住する外国人と結婚している人に購入資格に与えられます)このパスの存在を知ったのは7、8年ぐらい前のことですが、その時は、「のぞみ号」には乗れず、「ひかり」と「こだま」のみ、という条件でした。それで、インターネットで調べてみると、やはり今も「のぞみ号」には乗車不可、でした。だから、多くの外国人の方が「ひかり号」に乗車していた、というのは合点がいきます。ちなみに、新幹線や特急、そして高速バスなどが乗り放題で、1週間で28,300円です。

 静岡駅まで浜松に住む、上の妹の家族が迎えに来てくれていて、母方の堅田家のお墓参りに行きました。3年半ぶりに合った甥はもう6歳になっていて、すっかり男の子らしくなっていました。娘と同い年です。その後、堅田の祖父母の家に行って祖父母を連れて、両親の家に行きました。堅田の祖母は、堅田敦子・元生長の家白鳩会副会長です。現在は、祖父が体が自由に動かないため、介護をしています。祖父は、「つながっている」ときと、そうではないときがありますが、久々の再会を涙を流して喜んでくれました。

 祖父は「神想観、聖経読誦の鬼(いや、仏!)」のようなところがあり、体調を崩すまでは、行をしないことがない人でした。子供の頃によく祖父母の家に遊びに行くと、祖父がソファに座って『生命の實相』や『真理』などの書籍を拝読していたり、また、自転車で生長の家の月刊誌を愛行に行っている姿がよく、印象に残っています。祖父の堅固で、まっすぐな信仰があったればこそ、祖母が導かれ、そして、私にも信仰が引き継がれたことを、心から感謝しています。

 父は、父自身の祖父から信仰を受け継ぎ、青年会、相愛会、講師会で活躍し、昨年の改選まで静岡教区連合会長を務めました。また母も青年会で父と知り合い、現在は白鳩会の支部長をしています。

 今回は、両親、祖父母、上の妹の家族(夫と息子)、下の妹の家族(夫と娘2人)と私の家族3人で、総勢14人が集まりました。とりわけ下の妹の家族は前日の深夜に海外旅行から戻ってきたばかりでしたが、元気に姿を見せてくれました。私の兄弟の子供は合わせて4人で、9歳が1人とあとの3人は6歳で同級生です。娘は顔が似ている自分の従姉妹ととても気があったようで、とても仲良く遊んでいました。

 阿部 哲也

| | Comments (4) | TrackBack (0)

おめでとうございます

 新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 今年の元旦は、新年祝賀式に出席し(初めて運営委員をしました)、総裁先生のご挨拶を拝聴し、帰ってからは家族で産土神社に初詣をし、夜には手巻き寿司を堪能し、最後は、近くにある源泉掛け流しの銭湯で、ゆっくりとくつろいで2011年の最初の日が終わりました。この銭湯は昨年見つけた“掘り出し物”で、あまり混まず、料金も安く、本格的な温泉が楽しめる“優れもの”です。昨年末に、肩こりによる頭痛が起きた際、何度か通ったところ、血の巡りが良くなった気がしたので、時々お世話になっています。

 それはさておき、昨年末私は、ipod や iphone を生み出したアップルコンピュータの創業者、スティーブ・ジョブズ氏(Steve Jobs)が2005年6月、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの原稿を読みました。これはとても有名なスピーチで、アメリカの学校の教科書にものっているのだそうです。英語で卒業式はコメンスメント・セレモニー(commencement ceremony)と言い、「commencement」は出発という意味です。新たな人生への出発ということでこの言葉を使うそうです。

 この演説では、ジョブズ氏が生まれる前から養子に出されることが決まっていたこと、大学を中退したが、完全に辞める前にカリグラフィー(calligraphy、装飾書法)を学んだことが10年以上たって iMac を発売するときに役に立ったこと、そして、創業した会社を首になったこと、そして、ガンになって死に直面したこと、そして、自分の座右の銘が紹介されています。

 私はこのスピーチを読み(聞いて)、この人が、何が起こっても前向きにとらえることができる「日時計主義」の生き方をしていることを感じました。そして、自分の外側にあって執着したりするもの――他の人からの期待に応えようとする自分、プライド、屈辱や挫折に対する恐怖――こうしたものは、死の瞬間にどこかに消えてしまう。だから、自分の中からの声、直感――それは昔から知っていることだが――に従って生きてほしい、というメッセージに共感を覚えました。

 また、スティーブ・ジョブズ氏はこの演説の中で「本当に愛していること、自分が本当に素晴らしいと信じていることをする」よう、スタンフォード大学の卒業生に促していますが、私はこれはとても大切なことだと思います。与えられた仕事の中には好きなものも、そうではないものもあると思いますが、仕事のやり方を工夫したり、見方を変えるなどして、その仕事の重要性を認識して、仕事に情熱を注ぐことができれば、その仕事を通して多くの人の役に立つことができると思います。今年はそういう一年にしたい、と思いました。

 以下のアドレスで、日本語の字幕付きのスピーチをお聞きになれます。時間は15分弱です。

 http://www.youtube.com/watch?v=0Sr2DY74ps4&feature=related

 今年もよろしくお願いいたします。

 阿部 哲也

| | Comments (2)

今年1年ありがとうございました

 今年もあと僅かとなりました。本ブログにお越し頂きました皆様に、心から感謝、お礼申し上げます。

 今年は、生活と仕事の場がハワイから日本に戻るという、家族にとって大きな一年でした。年賀状の作成、年末の買い物や大掃除、その他をしていて、4年ぶりに味わう日本の年末をとても心地良く感じています。

 私は11月の終わりから鈍い頭痛が続き、3週間ぐらい様子を見ても引かなかったので医者にかかって、MRIを撮ってもらったら何も異常がなく、原因はひどい肩こりでした。それから1、2週間して、頭痛はやみました。家内と娘はときどき体調を崩したりして、たった3年間抜けていただけでも、この寒さに体が一所懸命調整していることを窺い知りました。今は、皆、健康です。健康でいられることは、本当に有り難いことです。

 来年も一層、色々なことを学び、ここでご紹介できるよう励みたいと思います。皆様方におかれましては、一層のご指導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。

 感謝、合掌。

 阿部 哲也 拝

| | Comments (2)

「つなぎっぱなし」の人生

 NHK「実践ビジネス英会話」の今月後半のトピックは、「Staying Connected」(ネット接続)でした。このビニェット(小話)の中には携帯電話を持つことを意図的に拒否している人が登場していました。そしてその登場人物は、「携帯電話を使わないことで得られる自立感が気に入っている」(I like the sense of independence I get by not using a cell phone)と述べていました。アメリカでは携帯電話を使わない人は、全体のわずか15%だそうで、さらに、意図的にそうしている人はほんの僅かだということです。日本も似たような状況ではないかと思います。

 私もどちらかというと“携帯が好きではない派”ですが、最近は公衆電話が減ってきているので、携帯を持っていないと連絡に困る場合があります。といっても積極的に持っていないのではなく、近いうちに持つ予定です。ハワイ駐在中は仕事柄持たざるを得ませんでしたが、いつでもどこからでも掛かってくる電話はどうも、好きになれません。しかも英語での携帯での会話は私にとってはものすごく大変だったので、それも好きになれなかった理由かも知れません。

 さて、今回のトピックでは、ラップトップを開いて、スプレッドシートに目を通しながら、同時にスマートフォンで別のいくつかのことをしている人のことも出てきました。結局、ネットに常時接続していると、疲れてしまい、結局生産性も落ちるのではないか、と述べている登場人物もいました。

 私もその意見に同感です。現在はネット接続の料金設定では、従量制で契約することはほとんどないと思いますので、休みの日にメールをチェックするのでも、朝と晩の2回、などと決めておかないと、ついつい色々なことに気をとられ、インターネットのサイトをのぞいてしまい、やりたかったことができなかった、ということもあります。私は、ipodにABCニュースを入れたり、NHKのラジオ講座を入れるなどしているので、毎日家に帰ってからパソコンを立ち上げるのですが、目的以外のことに使わないのは、事のほか自制心が必要と感じます。

 その他、新聞やテレビでは、携帯電話を使わないと禁断症状が出てくる高校生が出ていたりして、どのような用途でもネットに「つなぎっぱなし」の人生には弊害の方が多いようです。年末年始は家にいる時間が長いので、気をつけようと思っています。

 道具を使いこなすか、道具に振り回されるのかで大きな違いが出てくると思いますが、自分のやりたいことを明確にして、その中で優先順位をつけておき、ネットには執着しない、という姿勢が大切だと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ラジオ放送を通して学んだこと

 今回担当したラジオ放送のテーマは4つで、主に、生長の家の3つの基本的教義である「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」の解説と、地球環境問題に関する内容になっています。

「唯神実相」は、本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で、「唯心所現」は、この現象世界は人間の心によって作り出している世界であるという意味、そして、「万教帰一」はすべての正しい宗教の神髄は共通している、というものです。詳しくはこちらをご覧ください。

 http://www.jp.seicho-no-ie.org/about/doctrine.html

 第1週目では、前生長の家総裁、谷口清超先生ご監修の『人生の扉を開く』第4集をテキストに、「喜びの人生を送るために」と題してお話いたしました。このテキストは、真理の言葉がコンパクトにまとめられ、見開きで日英対照になっています。私はハワイに駐在時に英語で講話をするために、英語の部分を毎日1頁ずる覚えたので、このテキストはとても親しみがあります。この週は、娘がハワイのキンダーガーテンに通っていたときの体験と、村上シンディーさんというハワイの信徒の方の体験を紹介しています。娘の体験は言葉の力についてで、村上さんは30年もの間、家庭内離婚状態だったご夫婦が生長の家の教えに導かれて今も、とても幸せな家庭を築かれている体験です。ちなみに村上さんは色々な宗教を遍歴しましたが、ハワイの日本語ラジオ局、Kzoo(ケーズー)で、生長の家が提供しているラジオ放送番組「幸福への出発」を聴いて、「これだ!」と直感してすぐに教化部に連絡をしてこられて教えに導かれた方です。

 2週目の放送は、生長の家総裁、谷口雅宣先生のご著書『日々の祈り』をテキストに「幸せは感謝から」と題してお話いたしました。『日々の祈り』の中の、「曇り空を感謝する祈り」から、曇り空の効用を学び、また、人生の曇天であっても感謝すべきことを見つけて感謝を実践するとき、人生が好転していくことを、2人の体験を通して学ぶ内容になっています。その1人は、同僚の講師課課員の吉川晶子さん、もう1人は、堅田の祖父と祖母の体験です。

 3週目は、谷口雅宣先生のご著書、『衝撃から理解へ』をテキストに、「世界平和を実現する宗教の役割」と題したお話です。この中では、ハワイ駐在中に感じた、日米における宗教者の役割の違いなどに言及するとともに、谷口雅宣先生が日頃から説かれている、宗教が互いの違いを強調するとき争いが生じることから、宗教が共通点を見出す努力が必要であること、そして、宗教の中には普遍的な教えの部分(中心部分)と時代や地理的な広がりによって変化する部分(周縁部分)があり、それを多くの宗教者が理解するようになると宗教間の調和が実現することなどを説明しています。そして、著名なイスラーム法学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のカリード・アブ・エル・ファドル教授の講演を、2007年の国際教修会でお聴きできたことなどにも触れています。

 4週目は、谷口雅宣先生、谷口純子先生初の共著で、今年10月10日に出版されたばかりの『“森の中”へ行く』をテキストに、「未来世代に美しい地球を」と題してお話をいたしました。この中では、環境問題の解決には宗教的な視点からの取り組みが不可欠であること、そして、伝統的な宗教や先住民族の思想の中には「自然尊重の教え」があり、それが宗教間の共通部分として強調していくことにより世界平和に貢献できること、そして生長の家本部を“森”に移転する意義を盛り込みました。色々と触れたいことが沢山あって、何を、どのような流れで入れるのか、とても苦労しましたが、私自身がとても良い勉強になりました。

 最初の2週は、生活の体験から色々と説明できるので、割合早く原稿を作ることができたのですが、3週目の「世界平和を――」と4週目の「未来世代――」は、テキストやその他の谷口雅宣先生のご著書を何度も読み返しながら、話している内容が本当に正しいのか、自問自答しながら、またインターネットの検索機能にも大変お世話になりながら、何とか作り上げました。伝えることにより、自分自身が一番勉強になることを実感しています。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

クリスマス

 昨年までは、華やかなムードで祝っていたクリスマスは、日本ではかなりトーンダウンという感じがします。ハワイでは、クリスマスになると、会う人ことごとくが、「メリークリスマス!」とお祝いムード一色で、日本人の「明けましておめでとうございます」と好対照だと思います。クリスマスの直前は、何となく殺気立っているのも日本の大晦日に似ていて、日頃、寛大なハワイの人々も、刺々しくなっていたのが印象に残っています。

 さて、サンタを信じている6歳の娘は今年もクリスマスは大イベントで、前日には小さなクリスマスツリーの下に靴下を用意しましたが、その後、サンタさんにあげるお菓子と、トナカイさんにあげる人参も用意していました。これは今は他の子供さん方もされるのでしょうか、あちらこちらで、サンタさん用のクッキーを焼いたとか、ホットケーキを焼いたなどの話を聞き、心の豊かさを感じました。娘は、自分が確保しているお菓子の中からどのお菓子をあげようか真剣に悩んだ末、ビスコに決めたようでした。

 2、3年前でしょうか、娘が「サンタさんを見たい」と言ってなかなか寝ようとしないので、「サンタさんは起きていると来てくれないんだよ」と言って寝かせたことがあります。それで、今でもそれを覚えている娘は、夜中にトイレに行きたくなって用を済ませたのですが、もし起きているときにサンタさんが来ては困るので、トイレにダッシュで駆け込み、速攻で手を洗い、ベッドに滑り込んだ、ということを話しておりました。

 昨日のクリスマスは、妻の手作りの料理で、お祝いでした。最近、手作りのスープとドレッシング作りにはまっていて、メインのチキンとともに、美味しく頂きました。日頃はチップスを食べることはあまりないのですが、昨夜はサラダにかけたり、サルサにディップして(アメリカではこの手の料理を頂きました)懐かしがったり、そして、ケーキで締めを行いました。

 写真を撮れば良かったのですが、食べるまで時間があったのですぐに食べてしまったので、残念ながら撮っていません。

 なお、今日は妻の誕生日だったので、花束をプレゼントしました。

 阿部 哲也

Js55

| | Comments (0)

ラジオ放送の収録風景

 昨日、生長の家が日本放送系列で提供しているラジオ放送「幸福への出発」の収録を行いました。12月12日の本サイトに書きましたように、私はこの放送の担当講師のお世話を仕事でしているのですが、今回は自分が担当講師となって、収録が行われたのでした。放送は来年3月の予定です。

 今回は、収録に立ち会うスタッフとスタジオを少しご紹介します。スタッフは、生長の家本部の出版・広報部ネット出版課の西村誠課長と池田達輝さん、そして(財)世界聖典普及協会の製品企画課、永井和一郎課長と三好由希子さんです。永井課長と三好さんは主に音の調節(声の大小、音質の高低など)を、西村課長と池田さんは、放送倫理規定、その他に照らし合わせて、言い回しや表現が適切かどうか等をチェックします。普段はこの4人に、講師課に所属する私が加わり、生長の家の教義に照らし合わせて問題がないか等のチェックを行います。もちろん担当講師の原稿は事前に、教化・講師部長によって内容の指導は受けてあるので問題はないのですが、声に出して実際に読んでみた場合に表現が変わったりするなど、当日になって変更が出てくる場合がありますので、表現に関する観点と、教義に関する観点からもモニターすることになっています。

 この放送を担当される講師の多くは初めてなので、緊張して臨まれる方が多いのですが、2回目の方は割合、落ち着いてされています。私は今回で2回目でしたので、それほど緊張せずに臨むことができると思ったのですが、潜在意識の方は緊張していたみたいで、ここ2、3日、夜、何度か目が覚めました。

 原稿はあらかじめ用意していたものを原則として読み上げます。そして、生長の家の書籍から引用をする場合は、正確を期すため、その部分をコピーして、読み上げます。原稿を読んでいて間違えた場合は、直前の句読点まで戻って、読み直します。マイクは非常に性能が良いので、紙を持っていると紙が動いただけでもその音を拾ってしまうので、原稿は下において読みます。その他、お腹がすいてお腹が鳴ってしまった場合、その音をマイクが拾ってしまう場合があるので、「朝食は充分とってください」と注意事項には書かれています。にもかかわらず、私は第4週目の録音のとき、お腹が鳴ってしまいました。。。

 録音は結構、体力が要ります。収録は4週分の場合は2時間から2時間半ぐらい、5週分の場合は2時間半から3時間ぐらいかかります。1週目は緊張してスタート、2、3週目は割合ペースがつかめて良いのですが、4週目になると、頭が真っ白になってきて、言い間違いが増えてきてしまいました。それでも10時始まった収録は順調に進み、12時前には終了しました。収録された放送は、ネット出版課で編集が行われ、20分放送分と15分放送分が作られます。そして、オンエアされる日に合わせて、生長の家のホームページから入ることができる、ポドキャストにも登録されます。

 写真は、録音に立ち会うスタッフ(永井課長、西村課長、池田さん、三好さん)、仕事風景(仕事中には撮影できませんので終わってから位置についていただきました)、録音室です。

 阿部 哲也

Radio_1
Radio_2
Radio_3
Radio_4


| | Comments (0)

ヤフーに生長の家の環境問題の取り組みとポスジョイの紹介が!

 既に生長の家のポスティングジョイ、その他で紹介されていますけど、「YAHOO!ニュース」で生長の家の環境問題の取り組み、そしてポスティングジョイのことが取り上げられています。

 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101217-00000301-alterna-soci

 この記事は、生長の家が取り組んでいること、目指していることを正確にまとめて書いてくれていて、とても有り難いことです。

 11月6日には、東洋大学で、「宗教と環境――地球社会の共生を求めて」と題したシンポジウムが行われ、お2人研究者が基調講演をされ、生長の家を含む、環境問題の解決に真剣に取り組んでおられる宗教者5人がそれぞれの立場で実践されていることなどを発表し、反響を呼びました。そのほか、キリスト教の立場からも環境問題の解決のために積極的に取り組んでおられる方もいますし、人々の生活スタイルを見直したり、人生観や世界観に関わるものとして、環境問題に取り組む宗教団体が、現在は増えてきています。

 生長の家はそのような団体の一つではありますが、生長の家は10年以上も前から環境問題に真剣に取り組み始めています。生長の家総裁、谷口雅宣先生からは、環境問題は国益を超えた価値観が必要であること、環境問題は次世代に影響が及ぶことであり世代間倫理の視点が欠かせないこと、そして、人間中心主義を脱して「すべての生命は神において一体である」との価値観を共有する必要があることなどの指導を受けており、それを多くの会員の皆様にご理解いただき、また社会に対してもお伝えしてます。

 環境問題を取り上げる際には、そもそも問題が起こった原因は何(誰)か、などと、特定の宗教や団体、そして、産業をやり玉にあげる場合がありますが、生長の家では、それは人々の欲望であり、人間さえよければというものの考え方であり、その考えを元に行動した結果である、と考えます。そして、環境に配慮した生き方をした人々がお互いに喜びをネット上で投稿し合う、「ポスティングジョイ」というシステムを使い、喜びを増幅する運動をしています。現在は、日本語版、英語版、そしてポルトガル語版があります。小さな喜びを投稿すると、沢山の人が共感してくれたり、コメントを入れてくれて、とても勇気づけられます。

 また、宗教は、信仰の違いを強調することによって争いの元になることもありますが、多くの聖典や経典にある、「自然を大切にする教え」など、共通点を強調することにより、世界平和に貢献できる、という考え方があることが『“森の中”へ行く』で詳しく述べられています。ご一読をお勧めいたします。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

ソムリエの表現力

ソムリエの田崎真也さんが書かれた、『言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力』という本を読みました。私は最近はほとんどアルコールを口にすることはなく、全くと言って良いほどワインを飲みません。ではなぜ、この本を読んだかと言いますと、タイトルに惹かれたからです。

 田崎さんは1995年、第8回世界最優秀ソムリエコンクールで優勝されるなど、ワインに興味のない方でも多くの人が名前ぐらいは知っているのではないかと思います。インターネット百科事典の「ウィキペディア」には、「今年の11月23日に国際ソムリエ協会の会長に就任」と書かれていました。

 私はソムリエの方からワインについて説明を受けたことはありませんが、ソムリエが表現の達人であることは見当がつきます。お客さんの好み、一緒に食べる料理、予算、季節、その他の様々な要因のことを考えながら、今お店にあるワインの中からお勧めのワインを理由をつけてお勧めするのですから、記憶力と表現力にたけていて、さらに優れた閃きをされるであろうことは、容易に想像できます。

 種類は全く違いますが、宗教の教義を日常生活や世界情勢などを絡めて伝える仕事をしえいる関係上、表現力が要求される場合がありますので、何か参考になることはないかと読んでみたのです。

 田崎さんがこの本を通して伝えたいと思っておられるメッセージの一つは、「もっと五感を使おう」ということで、私はこの部分にとても共感を覚えました。現代の人が五感の中でも最も置き去りにされている感覚というのは、田崎さんに言わせると「嗅覚」であり、嗅覚は五感のうちで、最も鍛えることが可能な感覚であり、嗅覚を鍛えれば、生活でもっと豊かな表現が身につく、というのです。田崎さんは、日本では数多くのグルメ番組があり、沢山の人が料理についてのレポートをしていますが、そのほとんどは視覚からくるものと、熱いとか冷たいとか、固いとか柔らかいとかでしか表現されていないものが多く、どのような香りで、どのような味なのか聞いていても分からない紋切り型のコメントが多い、と嘆いておられました。確かに、確かに。。。

 また以前は、食品に賞味期限や消費期限の表示は義務づけられておらず、製造年月日だけしか記載されていなかったそうです。賞味・消費期限を表示するようになったおかげで、人々の嗅覚はますます衰え、食品が大量に廃棄されるようになり、賞味・消費期限を偽装する問題までも起るようになったのですが、私たちが臭いを確認して、まだ大丈夫、もう捨てた方が良いという判断ができれば、どれだけ食品の廃棄が減ることかと、とも書かれていました。

 私はこの本を読んで、以前、『太陽はいつも輝いている』(谷口雅宣・生長の家総裁著)という本の中に書かれていた、次の話を思い出しました。それは、マサチューセッツ大学の医学部のジョン・カバト=ジン教授(ストレス緩和クリニック所長)が、ストレスを抱えている患者に干しぶどうを1粒1粒、じっくり味わって食べるよう指導すると、ストレスを感じている人に効果があるという話です。干しぶどうを手にとって感触を確かめ、甘酸っぱい匂いをかぎ、口の中で何度も噛んで静かに飲み込む――このように五感をめいっぱい使って味わって食べることを通して、新鮮な心を回復し、豊かに生きるきっかけになる、というのです。

 わが身を振り返ると、もっと食事のときをはじめ、歩いているとき、花を目にしたときなど、生活の様々な場面で、香りを楽しむ生活をしたいと思いました。私はただし、コーヒーだけは、香りを楽しんで頂いていたような気がします。私は毎日1、2杯のコーヒーを飲みますが、コーヒーの味が好き、というよりも香りが好きなので、できることならば、コーヒーを飲む直前に豆をひいて飲みたい、と思っています。道具はあるのですが、まだ使っていなかったので、今度の休日にぜひ、試してみたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

ラジオの魅力(3)

 私のラジオとの関わりに戻りますが、浪人生時代の次にラジオを聴き始めたのは、おそらく2001年のことです。その前年から英語学習を始めた私は、同じ職場に勤める、英語と日本語の通訳・翻訳を手がけておられる日系アメリカ人の方から、「NHKラジオの講座はどれも質が良いから、どれでも良いから試してみたら?」と言われたのがきっかけで、「NHKやさしいビジネス英会話」(当時の呼称。現在は「NHK実践ビジネス英会話」)を聞き始めました。

 講師は、日本における英語教育の重鎮で、現在、外資系PR会社の日本支社長も務める杉田敏氏。私はたちまち、杉田氏の講座の魅力に魅せられ、毎日必ずして録音して、聞くようになりました。私には少し難しいレベルのものでしたが、内容が「up-to-date」で、テンポもよく、語句などを解説してくれるネイティブの方の説明もとても分かりやすくて勉強になるので、ハワイに滞在中の3年間を除いて、今に到るまでこの講座を聴いています。

 英語の講座はテレビでもありますが、ラジオの方が効果が上がりやすい、と言われています。それは、テレビでは画面を通して内容を想像できるが、ラジオの場合は音声だけだから、リスニング力が鍛えられること、そして外国語を理解する上で必要な、言葉を聞いてイメージする力が養われる、ということがあります。今はカセットテープに録音しなくても、タイマーをセットしておけば録音してくれて、再生もできる便利な機械があるので、文明の利器を利用して聞いています。

 そのほかでは私は現在、ニッポン放送系で生長の家が提供するラジオ放送「幸福への出発」の番組作成に関わる仕事をしています。この番組を担当する講師の選定案の作成から、講師との連絡、そして講師から送られてくるお原稿の内容が生長の家の教義上問題がないか、あるいは、放送倫理の規定上問題ないか等のチェックを行い、必要な場合は上司の指導のもと、修正を加えたりして、担当する講師のサポートをしています。この放送は15分または20分番組で、毎週日曜日に放送されるので毎月1回、収録日があります。

 先日、生長の家函館教区の会員用の機関紙に、次のようなお話が載っていました。10月のはじめ、Yさんという女性が生長の家の布教・伝道の中心拠点である教化部を訪ねて来られました。Yさんは、「今朝の生長の家のラジオ放送を聞いて感動した。講師の方が毎朝、繰り返し唱えていたら、人生が大きく変わったとおっしゃっていた、その言葉を書き取れなかったので、教えて欲しい」と言って来られたというのです。

 この時の放送の担当は、生長の家富山教区に赴任されている、後藤富善・本部講師でした。後藤講師は、生長の家に触れるまでは暗い性格だったそうですが、生長の家の教えを学び、言葉には素晴らしい力があることを知り、「私は神の子、完全円満。これから毎日あらゆる点で、一層良くなる。必ず良くなる」という言葉を暇さえあれば唱えておられたのです。すると、自分でも驚くほど明るい性格になられたのでした。それと同時に、それまでセールスの成績が営業所内でビリだったのが、右肩上がりとなり、最後には全国でも役職者別で第2位の売り上げを残すほどになった、という内容を話されたのでした。

 Yさんは、その2週間後にさらに教化部に電話をかけてこられ、「今回もまたラジオ放送に感動し、嬉しさの余り電話をしました」とのことで、さらに、最終週の放送後には、ラジオに向かって拍手までされたということでした。

 先日、函館教区の責任者である、井下昌典・教化部長にお会いしたら、Yさんは生長の家の教えを学ぶ小集会である誌友会にも来てくださって喜びを語ってくれた、とおっしゃっていました。

 私もこの放送に携わっているものとして、このお話を聞いて、とても嬉しく、感動しました。なお、「幸福への出発」で放送された講話は、ポドキャストでもお聞きになることができます。興味のある方はこちらをクリックしてください。前出の後藤講師は10月の担当講師です。

 http://onair.jp.seicho-no-ie.org/

 阿部 哲也

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ラジオの魅力(2)

 前回ご紹介した『ラジオが好き!』の中には、沢山のほのぼのとしたストーリーが収録されています。たとえば、『魔法の言葉「ありがとう」』という章には、何度も補導され、退学寸前だった当時高校3年生の男子生徒の話があります。この男子生徒は、元校長先生が開いていた私塾に参加し、畑仕事や薪割りなどをしているうちに心がほぐれ、あるときに囲炉裏端で食事をしているときに「誰にでも、ありがとうと言ってみたら?」と言われます。それを彼は、学校に戻ったときに素直に実践したのでした。いつものように先生からお説教をされた後、「ありがとうございました」と言ったら、先生が驚き、以後、先生とその男子生徒の距離が縮まります。それ以後、彼は「ありがとう」の言葉の力に感激し、使い続け、また先生方も協力して彼に集中講義をして、無事に卒業を出来た、というお話です。

 生長の家では、合宿して教えを学び、実践する集いである練成会では、人と会う度に、また、司会者が何か発声する度に、「ありがとうございます」という言葉を唱えます。それは、人の中に内在する「神性・仏性」を礼拝するためなのですが、そういう意義を特に知らない人でも、何度も「ありがとうございます」と言っていると、「コトバの力」で有り難くなってくる、という体験はゴマンとあります。

 また、「老眼鏡」という言葉、何とかならないか、というリスナーがいて、「何かいい言い換えありますか?」という村上さんの問いに対して、沢山のお便りが来たということが書かれています。例えば、

 「眼科の先生がお近く用と言われます」
 「お年頃メガネ、いいでしょう!」
 「シルバー用だから銀眼は?」
 「中国では花眼というらしいです」
 「労るという意味を込めて労眼にしたら」
 「自分の時間を持てるようになり、ゆとりができて、すべてのものを慈しみながら見られるようになったから、慈眼はどうでしょうか」
 「海外ではリーディンググラスと言うらしいですよ」(英語ではそういう言い方があります)

 素晴らしい発想力だと思います。私はある産婦人科が書かれた本で、「不妊」という呼び方は不適切である、「未妊」と呼ぶべきだ、ということを読んだことがあります。そのお医者さんが言うのには、いわゆる「不妊」と診断されている方が妊娠しない原因の大半は精神的なことであり、未だ妊娠していない、というだけのことである。ところが「不妊」と言われたとたんに、その言葉の力で妊娠する力が押さえつけられてしまう、というのです。私はそのときこのお医者さんの発想に感動しました。

 これらは、言葉には力がある、ということを示す有力なエピソードだと思います。分かってはいても、つい、悪い言葉を使わなくてもよいところで使ってしまったとか、褒めるべきときに恥ずかしくて褒められなかったなどということは誰しも経験があることだと思いますが、言葉の持つ影響力ははかりしれないのも事実です。肩に力を入れず、素直に心の中に浮かんできた、出来るだけ明るい、楽しい思いを言葉にしていきたいものだと思います。(続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

健康教育研修会

 今日は生長の家本部会館で1年に1回の「健康教育研修会」がありました。講師には、担当医の佐藤周三先生(佐藤診療所院長)と元サッカー日本代表選手の北澤豪氏が招かれました。どのようなつてで北澤氏が来られたのかと思いましたが、担当医の佐藤先生とお知り合いとのことでした。サッカーファンの私としては、とても楽しみにしておりました。

 北澤氏は最初の40分間ほど、講演をされましたが、ご自身が健康管理、とりわけ食事面に気をつけるようになったきっかけなどを話されました。それは選手同士でぶつかって怪我をしたのではなく、代表合宿の練習の最中、普通にボールを蹴ったときに骨がポキッと折れてしまったのでした。それは、子供の頃からの偏食が原因と知った北澤氏はそれから栄養管理に気をつけるようになり、それ以降は怪我をしなくなった、と語っておられました。

 あと興味深かったのは、今は帰宅が深夜2時や3時になることも珍しくなく、ただでさえ忙しい中に、ヨーロッパの試合のゲームなどを何試合も見なければならないそうですが、自分はサッカーが好きだから、どんなに忙しくてもそれを楽しんでやるようにしている、ということでした。もし、嫌々やっていたら、ただでさえ帰宅が遅くて疲れている上に、テレビを見ていたら、眼も悪くなるし、ますます体に悪くなるし……。

 そのほか、現在はドーピング検査が大変厳しく、アスリートは市販薬は飲めず、医師から処方される薬は抗生物質ともう1種類で、薬を飲むときには「これを飲めば治る」と自分に言い聞かせて飲んでいたそうです。だから、いつも良いパフォーマンスをするためには健康管理は絶対欠かせない、と言っておられました。それを聞いて、生長の家聖歌隊を指導しておられるテノール歌手の先生と話していたときに、「声楽家はドーピング検査がなくていいですよ。風邪薬が飲めますから」と言っておられたのを思い出しました。今の検査は風邪薬はもちろん、コーヒーも10杯飲んだら引っかかる精度だそうです。

 そのほか、北澤氏は面白い実験をされていました。参加者にペアを組ませ、お互いに手を握って、そして座らせるのです。それで、どちらが上で、どちらが下かを質問しました。一般論としては、上の人の方が消極的、下の人の方が積極的だそうです。というのは、通常先に手を出した人が下で、後から手を出した人が上にかぶせるからだそうです。私はたまたま、きれいな女性とペアだったので、早く手を出したようで、積極的な方でした。。。

 このような研修会は毎年しているそうですが、私は3年間抜けているので、私は初めて参加した気がします。担当医の佐藤先生のお話を初めて伺いましたが、ユーモアと柔軟性を持ち合わせた方だと思いました。

 私が面白いと思ったのは、健康管理で大切なのは、塩分を控えるとか、何かを控える、というよりも、量を減らすべし、ということです。先生が言われるには、食べ物への嗜好を今更変えることは難しいのだから、塩辛シャケを塩気の少ないシャケに変えるのではなく、食べる量を半分にすれば良い、とのことでした。だいたい、人類の歴史の中では、ここ数十年を除いてはほとんどが飢餓の恐れと隣り合わせだったので、遺伝的に脂肪になりやすい、炭水化物、甘い物、油が好きなようになっているのだから、食べる量を減らすことがダイエットにも健康にもなる、というのは説得力がある指摘だと思いました。なお、1キログラムの脂肪は7,200キロカロリーにもなるのだそうで、1kgを燃焼させるためにはオフィスに務めている人だったら、何も食べなくても4日かかるので、体重60kg、脂肪率25%の人は、計算上60日は何も食べなくても生きていられるそうです。それでダイエットのコツは、お腹が空いたときにすぐに食べないこと。それは、原油の輸入がストップしたら備蓄している油を使うのと同じように、お腹が空くということは、これから備蓄されている脂肪を使います、というサインだからだそうです。

 1時間半弱の研修会でしたが、色々と勉強になりました。関係者の皆様、ありがとうございました。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

ラジオの魅力

 最近、村上信夫さんというNHKのエグゼクティブアナウンサーが書いた、『ラジオが好き!』という本を読みました。30分ぐらいで読めるエッセー風の本です。これに、心温まるお話が沢山載っていて、感動しました。

 この本を読むと、インターネット、スマートフォンがこれだけ広まっている現代でも、ラジオ番組の需要は衰えていないことが分かりました。私は小学校のときに野球中継を、中学生、高校生の頃、深夜番組を聞いていたほか、今もラジオと関わる生活をしています。

 まず小学校の話ですが、野球が好きだった私はナイターが始まってテレビ中継が始まるまでの間と、テレビ中継が終わった後に、よくラジオで中継を聞いていました。また受験期は、テレビを見なかったので、時々休憩と言い訳をして、途中経過をラジオで聞いていました。このラジオの実況中継は非常に臨場感があります。なにしろ、プレー中の出来事を全て紹介してさらに、解説者のコメントを引き出すわけですから、アナウンサーはとてもテンポの良い話し方をし、聞く方も想像を膨らませながら聞くので、ワクワクしたのではないかと思うのです。例えば、「9回裏、ワンナウト。ランナーは1、3塁。ボールカウントツースリー。ピッチャー投げた。1塁ランナー走った。外角への直球に、バッター三振。キャッチャー二塁に送球した。セーフ。その間に3塁ランナー飛び出した……」などという場面は手に汗握って、アウトになったのか、セーフになったのか、ハラハラしながら、当時ひいきにしていた球団の選手の顔を思い浮かべながら、聞いていました。

 それから受験期の話ですが、受験勉強をしているうちに午前1時ぐらいになってしまい、「オールナイトニッポン」という番組の時間に突入していった、という感じです。(この放送は今もあるそうですね)そして当時は、午前3時から始まった「歌うヘッドライト」まで聞いたこともありましたが、この時間になるともう、起きているのか聞いているのか分からず、朝になってしまった、などということもありました。この番組は今はやっていないようです。今考えると、体力があったなぁ~と思います。当時の私の家では、テレビが居間に1台と父の部屋に小さいのが1台しかなかったので、皆が寝静まった夜中はラジオを聞くのが定番でした。

 その後、大学受験に失敗して、1人で下宿をしながら浪人生活をしたのですが、そのときには「NHKラジオ英会話」を1年間聞いていました。

 その後、10年間ほどはラジオを聞く機会がほとんどなかったのですが、その後は現在に到るまで、毎日のように聞く(関わる)ようになります。(続く)

| | Comments (0)

大掃除

 今日から12月です。早いもので日本に戻ってきて早、半年が経ちました。秋口からの寒さは応えましたが、紅葉が見られ、年の瀬を迎える日本の習慣はとても心地よいです。とは言え、街全体がクリスマスムード一色になるハワイのこの季節も懐かしいです。私は通勤途中などの車中ではNPR(非営利の放送局による放送)のハワイ版、HPRを毎日聞いていましたが、様々なクリスマスソングを聞くことができるこの季節は、とても華やいだ気持ちになったものです。それとこの時季は雨期なので、雨がよく降ります。それで落雷があって、何時間も電気が止まって困ったこともありました。。。

 さて、日本の年の瀬と言えば忘年会、年賀状の作成、そして大掃除……など、やることは一杯ありますが、今日は一足早い、職場の大掃除でした。生長の家本部では部課毎に12月のうちの1日を選んで行うことになっています。今日は幸い、暖かい日でしたので、水仕事も辛くなく、順調に進みました。そして、お昼ご飯は課内費でまかなわれ(金額の上限はありますが)、全員が好みの宅配カレーを注文し、全員で一緒に頂いたので、賑やかな昼食でした。写真を撮れば良かったのですが、そのときには目の前のことで頭がいっぱいでしたので……。

 今月は、私が担当している業務である、生長の家のラジオ放送の担当講師の収録が6日にあり、私自身の収録が21日にあるので、原稿の校正と自分の原稿の作成を併行して行っているので、最近、脳の使用量が増えている気がします。1年の締めくくりを、気を引き締めていきたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (0) | TrackBack (0)

報いを求めない

 私が勤める生長の家本部では、毎週月曜日に全体朝礼があり、そのときに担当者が、『伸びゆく日々の言葉』(前生長の家総裁、谷口清超先生著)の一節を読んで、参加者一同が聞いている時間があります。このご著書は365章に分かれていて、今日は11月29日の箇所が読まれました。この箇所がとても素晴らしく、感動したので、紹介させていただきます:

 キーボードを、一本の指で叩くより、二本の指で交(かわ)る交(がわ)る叩く方が速く打てる。二本指よりも十本の指を全部使って叩くと、非常に能率的に打てる。それ故ワープロやパソコンを練習する時は、十本指の運指法を練習しなければならない。しかも各指が夫々同じ役割を受持つのではなく、主として守備範囲がきまっていて、遠方はそこを叩ちやすい指にまかせる。屢々(しばしば)使われる指もあるし、そうでもない指もある。とかく拇指はよく使われるが、「自分ばかり働かされて損だ」などと、決してグチをこぼさない。だからたのもしく、いつも重要な役割を果すのである。人間も亦同じである。(『同書』260~261頁)

 私は就職した平成4年当時は、キーボードを打つのに「カナ打ち」をしていました。それを見た、他部課の先輩が、「カナ打ちでは将来、英語を打つときに困るよ」と助言してくれたので、「ローマ字打ち」に変えました。それから何年も経ってから、英語で文章を書く必要が出てきたので、この時の助言にとても感謝しています。そしてそのとき、ブラインドタッチができるように、どのキーをどの指を打つ、ということを覚えました。そのときは、一々、指とキーボードを気にしながら打たなければならず、時間がかかって仕方がありませんでしたが、しばらくしたら、速く打てるようになったので、これもまたやって良かったと思います。

 谷口清超先生の上記のご文章の前半をお聞きして、以上のようなことを考えていましたが、後半部分になって、非常に感動しました。そういえば、よく使う指と使わない指がありますが、よく使われる指は「こき使う」などと文句を言いませんし、あまり使われない指も「使ってくれない」などとは言いません。全部の指が、脳の命令に従って、一糸乱れず、しかも無意識のうちにキーボードを叩いてくれるので、こうして文章が打てるのだ、ということに改めて気づきました。そして、私たちの生活や仕事でも、今、与えられている仕事に全力を尽くすことが全体のためになるのであり、そしてそれが自分の人生全般にも役に立つということを常に心に留めて、生活していきたいと思います。

 阿部 哲也

| | Comments (0)

«娘の小学校受験(6)