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対話の灯

 イスラエルとパレスチナの争い、ローマ法王の発言によるイスラーム社会の反応、インドにおけるヒンドゥー教徒とムスリムの争い――こういう現実を目の前にするとき、宗教間の融和は可能なのだろうか、と思わずにはおられません。日本の新聞では宗教による争いは、よほど大きな事件を除いては、国際面に少しのるくらいですが、英字新聞では割合大きく取り上げられていることが少なくありません。
 ところで、エッセイストでシュタイナー学園の教員をしておられる、不二陽子さんの文章を読み、目が点になりました。以下、引用です。

 (前略)台湾で開かれた国際自由宗教連盟(IARF)の世界大会である。諸宗教
 の儀式、祈りや討論などの中で、とくに心打たれたのはパレスチナに住むユダヤ
 教徒とイスラム教徒たちのスピーチだった。ユダヤ教徒の青年は、イスラム教徒
 による自爆テロで母がケガをし、友人や知人を失っている。イスラム教徒の青年
 はパレスチナ難民で、父はイスラエルの刑務所に投獄されていた。
  いわば彼らは敵どうしだが、諸宗教間の対話を進めるグループ活動をしている。
 むろん彼らは少数派だ。ユダヤ青年が語る。
 《そんな対話が何の役に立つのか、それで平和になるか、と言われることがある。
 そういう人に、私は答える。道端で飢えた子どもが手を差し出したら、どうするか
 ? その子にお金をあげても、世界から貧困がなくなるわけではない。それでもや
 っぱり、なにがしかのお金をあげるだろう。自分たちがやっているのはそれと同じ、
 草の根レベルの活動だ。相手の顔を見つめ、ともに美術館に行き、同じ作品を見て
 も感じ方が違うことを学ぶ。自分たちが無知であることを学ぶのだ》
  イスラム青年は、《ラマダン(イスラム教の断食)明けの食事作りは、家族だけ
 の大切な、精神的な儀式だが、そこにユダヤ人を招いた。ユダヤ教の厳しい戒律も
 クリアして、ともに食事を作り、ともに食べた。それは、彼が私たちの家族になっ
 たということだ》
  宗教対話の目的を、彼らはどう考えているのか? 答えは明快だ。「相手の宗教を
 理解することで、ユダヤ教徒はよりよいユダヤ教徒になり、イスラム教徒はよりよ
 りイスラム教徒になる」と断言する。つまり共存である。
     (不二陽子「対話の灯を掲げて」『光の泉』(2006年11月号、34~35頁)

「相手の宗教を理解することで、ユダヤ教徒はよりよいユダヤ教徒になり、イスラム教徒はよりよりイスラム教徒になる」――これが実現したらどんなに、平和な、美しい世の中になるだろうと思います。生長の家では、1930年(昭和5年)の立教当初から、すべての宗教の礼拝の本尊は一つであり、各宗教はその時代、文化、民族によって色づけられたものである、と考える「万教帰一」の立場を説いています。上記の言葉は、「万教帰一」の考えを別の側面から説明してくれているように思いました。

 宗教同士の対話も、人間間の対話も、家族の対話も、相手の考えを受け入れ、理解することによって自らが豊かになる、そして一層成長する、と捉えることが大切だと思います。

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世界平和に関すること」カテゴリの記事

コメント

すみません、メモ代わりに使って・・・。貴方のアドレスが見つからなかったので、ここに書きます。ドイツの大塚さんのウェブサイトのアドレス教えて下さい。

ヒンシュク(笑って赦して)

投稿: mario | 2006/11/04 10:36

 どうぞご自由にメモにでも、ノートにでも使ってください。

 大塚さんのブログアドレス:

http://yujio1957.cocolog-nifty.com/blog/

投稿: T.Abe | 2006/11/04 10:44

ありがとうございました。月末の週と月初めの二週間はスケジュールがいつもめいっぱい入っているので、確認するのが遅れてお礼が遅くなりました。すみません。

マリオ 感謝です。

投稿: mario | 2006/11/07 02:54

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