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食べ物の恨み……

 異文化コミュニケーションで欠かせないのは、通訳の存在です。通訳をする、ということと、2つの言語がそれぞれ話せる、ということは全然違います。言語には文化的な側面が含まれますから、置き換えられない言葉も少なくありません。最近、よく話題に上る「Mottainai」はその代表的な例だと思います。その他、日本語にも精通し、『日本人の英語』の著者として有名なマーク・ピーターセン・明治大学教授は、「えらい」という言葉も、日本語のニュアンスをそのまま英語にするのはかなり難しい、と同書の中で述べておられます。

 さて、通訳者の直面する問題について、一般の方々が「通訳」に対して抱いているイメージのギャップについて語らせたら、米原万里さんを置いて他にはいないと思います。とりわけ、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』は衝撃的でした。抱腹絶倒間違いありません。私が通訳という存在に興味を持ったのはこの本を読んでからです。その後、通訳養成学校に入り、「エライ目」に逢いましたが(あまりに厳しくって)、今ではその経験に感謝しています。

 しかし、残念ながら米原さんは、昨年5月、56歳という若さでに逝去されました。

 以下には、米原さんの痛快なエッセーがあります。

 食べ物の恨みについて書かれている米原さんの作品
 http://www.alc.co.jp/eng/hontsu/soutsu/0006.html

 その他の米原さんの作品を読みたい方はこちらからどうぞ
 http://www.alc.co.jp/eng/hontsu/soutsu/yonehara.html

-TA

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異文化コミュニケーションに関すること」カテゴリの記事

コメント

米原さんの面白いサイトを紹介して下さってありがとうございます。そのサイトの中で日本人は羅列型の表現、西洋人は論理的表現であるから自然と前者は内容を覚えづらい、後者は長くなってもある程度意味がとれるという内容があり、それは東洋では昔から紙を利用して書くことを中心にしているというエントリーがありました。私は日本語と英語の大きな違いは表音文字と表意文字の違いではないかと考えています(2005年8月25日ブログエントリー参照)。

最近は、文章を書く上で表音ということをとりわけ重視しています。ですから翻訳という作業はできるだけ避け、自分の文章を書くようにしています。翻訳の場合だと、例えば、「無明」を「まよい」とふりがなをあえてつけてある場合は、宗教上は「光がない真っ暗闇の状態を迷いという」という説明でふりがなをそうつけてあるのでありますから、表音文字では内容を十分に伝えられません。

一方で、英語の韻を踏んだ文章は日本語には翻訳しづらい。先日亡くなられたナナさんの文章が新年号の『Truth of Life』誌に寄稿されていましたが、その中で彼女(多分、意識して書いたのだと想像しますが)「attitude of gratitude」という表現がありました。日本語にすると単なる「感謝の態度」という何の変哲もない言葉になりますが、英語で読むと韻を踏んでいて面白いのです。こういう文章は覚えやすいし、印象を強く与えるわけです。とりとめのない話になりました。やはり、私は日本人的羅列表現ですね。

投稿: mario | 2007/03/09 02:13

>> 最近は、文章を書く上で表音ということをとりわけ重視しています。ですから翻訳という作業はできるだけ避け、自分の文章を書くようにしています。<<

 私も家庭教師の先生からの強いアドバイスにより、ヘタなりに翻訳しないで書くようにしています。そうしないと、日本語にない表現をいつまでたっても使えるようになりませんものね。

-TA

投稿: TA | 2007/03/09 09:51

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