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裾野を広げること(2)

 ユーロ2008は、スペインの44年ぶりの優勝で終わったようですね。常に優勝候補の上位を占める国でありながらあまり準決勝、決勝に大きな大会で出てきたことはありません。ちょっとだけダイジェストでスペインの試合を見ましたが、個人技も連携もお見事だっと思いました。

 さて、W杯の視聴者数はオリンピックを凌ぐと言われるサッカー、どうしてこんなに人気があるのでしょう。

 それはボールさえあれば、富めるも貧しいも関係なく、誰もが平等にできること、そして、弱いチームが強いチームを倒す可能性、つまり番狂わせが一番多いスポーツだから、という意見があるそうです。ちなみに、番狂わせが一番少ないスポーツは相撲だそうです。確かに横綱を倒すと「金星」と言って座布団が飛んだりして大騒ぎになりますものね。

 さて、少し個人的にもなりますが、私の出身地静岡においては、私が生まれ育った頃、そしておそらく今も「サッカー王国静岡」はサッカー関係者および静岡県民の誇りです。何しろ、中学校、高校、大学、そして社会人の大会でそれぞれすべて静岡県のチームが優勝した年もあるほど、サッカーが盛んだったのです。私がよく覚えているのは、中学や高校の頃(私が在籍した高校は特にサッカーが強い学校ではありませんでしたが)、冬になると、正月2日から行われる「全国高校サッカー選手権」の話題で持ちきりでした。同選手権の静岡代表になることは全国で優勝するよりも難しいと言われていて、静岡の代表となったチームには誇りがありましたし、相当プレッシャーがかかっていたと思います。数年前、正月を静岡で過ごしたときに昼間銭湯に行ったのですが、老いも若きも休憩室のテレビにかじり付いて高校サッカーに見入っていたのを見て、まだ伝統が生きている――と思ったものです。

 しかし静岡のチームや、一部の強い県のチームが一人勝ちしていたのは今は昔、今では「one of them」です。静岡の関係者はそれを嘆いているようですが、日本全国のレベルが上がり、日本のサッカーが進歩した証でしょうから、当然の結果でしょう。しかしそれでも、静岡には今も王国の痕跡はあります。それはテクニックがしっかりしたプレイヤーが多いこと、そして層が厚いこと、です

 なぜ、層が厚く、テクニックがしっかりしたプレイヤーが出てくるのか。それはサッカー人口が多い、すなわち裾野が広い、ということがあげられます。静岡県の中でとりわけサッカーが盛んな街は、静岡市清水区です。(以前は清水市だった)釜本氏ともにメキシコ五輪の中心選手だった杉山隆一をはじめ、澤登正朗、長谷川健太、堀池巧、武田修宏(高校のみ清水)、名波浩、相馬直樹、川口能活、小野伸二(高校)、高原直泰(中学・高校)など、数多くの日本代表、Jリーガーを輩出しています。清水は日本における少年サッカー、そして女子サッカー発祥の地とも言われています。

 その清水には、ワールドカップの出場など、夢のまた夢だった30年以上も前、その夢を未来の選手に小学校の教員がいました。その人は、元日本サッカー協会理事、堀田哲爾さんです。堀田さんは私の母校、静岡高校の大先輩であり、地元では「Mr. フットボール」と呼ばれているそうです。

 サッカーの王様ペレ氏と出会ったことがきっかけで清水にサッカーを普及させようと立ち上がった堀田氏は、サッカーを普及させるには少年の育成に力を入れたい、そしてそのためには指導者を育成しなければならないとコーチングクラスを開きます。そして小学生のうちから楽しいながらも、本物のサッカーを教えることが大切、とハード、ソフトの両面の整備を行います。通常は小学生の使うゴールは大人の規格よりも小さめだそうですが、大人と同じゴールを使い、そして夜間も練習できるように、清水市(当時)の全ての小学校、中学校のグランウンドには照明設備が全て整えてしまいました。一方、父兄の力を借りながら人間としての教育、つまりサッカーだけができるような人間ではなく、サッカーを通して人間としても成熟する事をも念頭に置いたのでした。

 私が通っていた小学校にもサッカー少年団がありました。この少年団に入れる生徒は、運動神経が抜群でなければ入れません。毎日、暗くなるまで練習を重ね、学校全体のヒーロー的な存在でした。(続く)

-TA

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古池や……

『理想世界』7月号(日本教文社刊)にのっていた、作家の呉善花さんの「古池や……から広がる不思議な世界」、とてもためになりました。

 その中で松尾芭蕉の有名な一句、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」の英訳が3つほど紹介されていました。

 Old Pond ― Frogs jump in ― sound of water.   
 小泉八雲 訳

 The ancient Pond ― / A frog jumps in / The sound of water
 ドナルド・キーン 訳

 An old quiet pond, / A frog jumps into the pond / Splash!
 Silence again.

 カエルが1匹なのか2匹なのか、日本語では問題になりませんが、英語は明確にしないといけません。しかし、「古池や……」の句を聞いて(見て)、何匹ものカエルが一斉に飛び込む姿を想像する日本人はあまりいないと思います。「現在は単数で訳すのが一般的である」(同誌、p32)のも頷けます。そして善花さんは3つ目の訳に関して、次のようにコメントしておられます。

  ~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~
 日本語原文には、「静かな(quiet)」も「[パシャンと]水がはねる(Splash!)」も「再びの静寂(Silence again)」も見えていない。いずれも、日本人の心性では「言うまでもない」ことで、「あえて言わないこと」で示されている。それらを訳文に入れるのはよくないという意見もあるかと思う。それでも、予備知識なしに西洋人がそのまま味わうには、こういうやり方はよいのではないかと思う。
  ~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~

 善花さんがおっしゃっていること、よく分かります。日本人だったら説明しなくても良いこと、説明するとうるさく聞こえてしまうことでも、詳しく説明しないと伝わらないんだぁ~と思うことがしばしばあるからです。しかし、その説明する部分が何かが、なかなか分からなかったのですが、今少しずつ理解しかけてきました。
 
 ところで、上の訳文の1つ目だったらいくつものカエルが、ピョンピョンジャンプして池に飛び込む姿を思い浮かべるかもしれません。文に説明を入れると、原文のニュアンスがかえって損ねることもありますが、この3つ目の入れ方は、表現が簡潔で、上手に日本人の感性を表現してくれていると思います。とくに、最後の「Silence again」に気がつき、入れた方、すごいと思います。最後に静寂がこないと、この場面は完成しないと思うのです。

 日本語と英語と両方の世界に今住んでいて、少しずつ“英語の世界”に住んでいる人たちの感覚が分かりかけてきたところにいますが、言葉や文化は奥が深いなぁと思います。

-TA

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裾野を広げること

 今、ヨーロッパではサッカーのユーロ2008(欧州選手権)たけなわです。(住んでいるのはハワイですので報道で知るだけですが)欧州選手権は、世界的なレベルでは強いと言えないアジアやアフリカのチームが出場しないため、ワールドカップ以上の大会とヨーロッパのファンは考えているそうです。南米のファンはそう思っていないでしょうけど。

 日本ではワールドカップ第3次予選で、日本が何とか最終予選に進めることが決まりましたが、日曜日のホームでのバーレン線ではアウェイでの敗戦の借を返そうと消化試合とは思えない気合いの入りようでした。最近低迷していた代表戦の観客数ですが、消化試合にもかかわらず埼玉スタジアムはほぼ満員だったようです。(しかし、出場したメンバーを見ると本気の部分と、テストの意味合いと両方あって、チグハグ感が出てしまったようです)

 最近のサッカーで特徴的だと私が思うことは、全体として実力が均衡してきた、ということです。一人勝ちするチーム(あるいは国)があまりないのです。欧州選手権ではW杯で決勝を戦ったイタリアとフランスの両チームとも1次リーグ敗退の可能性もありました。(結果はフランスのみ敗退)前回優勝のギリシアは1次リーグ3連敗で敗退。また目を南米に転じると、サッカー王国ブラジルが南米予選で5位に落ちる可能性があり、4位までに自動的に与えられるW杯の出場権も確保できない可能性もあり、これまで18回すべてのW杯に出場してきた王国の足もとが揺るぎはじめていると言えるかもしれません。

 これはサッカー自体が進歩しているのか、退歩しているのか。実は、野球についても似たようなことが言えるようで、4割打者が出なくなったのは野球が進歩しているのか、退歩しているのかを論じた記事があります。これは谷口雅宣先生のブログ、2005年4月18日の欄からの引用です。

~~~~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~~~~~~
かつて本欄の前身である『小閑雑感 Part 3』で、アメリカの進化生物学者、スティーブン・J・グールド博士の死を悼んで書いたとき(2002年5月22日)、同博士の著書『フルハウス』(早川書房刊)に出てくる大リーグの打率の“進歩”の考え方を紹介した。それによると、米野球界では1941年にテッド・ウィリアムズがシーズン中、最高打率「0.406」を記録して以来、いわゆる“四割打者”は出ていないが、これは野球の進歩であって退歩ではない--こういう考え方である。理由は明快である。高打率の打者が出るというのは、守備側の投手や野手の努力にもかかわらず、一人の打者がそれを上回って打ち続けるということだから、野球全体のレベルが上がっていない証拠と考えられるからだ。逆に、ある打者の“一人勝ち”ができにくくなることは、投手も野手も実力を伸ばしていることを示し、それこそ野球の進歩と言える、というわけだ。
~~~~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~~~~~~

 このように考えると、サッカーは進歩していると言えそうです。(続く)

-TA

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似顔絵

Dad_by_manami
 親ばかで申し訳ありません……。娘が私の似顔絵を描いてくれたのですが、とても楽しそうにしている感じが伝わってきて嬉しくなってアップしてしまいました。

 それとこの前、夕食が終わってしばらくした頃、ものすごい睡魔に襲われてゴローンと横になったら、「パパー、起きて、起きて! ブタになっちゃうよ!」。ものすごく真剣な顔をして起こされました。何でも、『千と千尋の神隠し』をこの前見たのだそうで、まだやることがかわいいお年頃です。

 しかしプリスクールではだいぶ苦労もしているようです。ここ数日、スクールから帰ってきて、元気がありません。そして聞いてみると仲のよいお友達とケンカした、というのです。それで先生に話を聞いてみると、だいたいこんな感じです。

 これまではケンカになりかけても、娘が言い返せなかったからケンカにならなかったのが、最近では短い言葉だけど言い返すようになって、口げんかをしているとのこと。しかし、この週末はどうだった? という話になると英語では説明できないようです。それでも先生の言うことはだいたい分かるらしく、娘は日本語で説明しているのだそうです。「私たちが理解できないのでマナミには気の毒なのよねー」と先生は言っていました。そして「でも、これまでは分からないと下を向いたり、どこかに言ってしまったりしたけど、自分の言いたいことをしっかり表現できるようになって素晴らしいと思いますよ」とも。まだうまく話せないから親には言わないけど、娘なりに努力をしているんだということが分かりました。

 ちなみに娘は今日は遠足です。で場所はというと、カイルアビーチ。ここは全米で最も美しいビーチに選ばれただけあって、ものすごいきれいです。朝から水着を着て、「海だぁ~、海だぁ~」とはしゃいで出かけていきました。

-TA

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最後の授業

 先日、Amazon.comから送られてきたお勧め図書で買おうかなぁと思っていた本を偶然にもカリフォルニアにお住まいの先輩marioさんから勧められたこともあり、"The Last Lecture" を読みました。実は、この本の内容があまりに重すぎると思い(重量ではありません…)、後から読もうと思ったのですが、なぜかどうしても読みたくなり、読み始めました。

 内容はアメリカのある大学のコンピュータサイエンスの、40代半ばというまだ若い教授が末期癌の宣告を受け、大学側からの依頼で「最後の授業」をした、というもの。教授の名は ランディ・パウシュ(Randy Pausche)と言います。

 パウシュ教授は2006年8月、転移性の膵臓癌と診断されましたが、精力的に治療を受け、癌を克服しようと努力を重ねます。翌年、これまで教壇に立っていたカーネギーメロン大学から「最後の授業」をして欲しいという依頼を受けます。その依頼を一度は受けた同教授でしたが、授業の約1か月前、癌は肝臓や脾臓にまで転移をしてしまい、余命3か月から半年との宣告を受けます。

 授業まであと1か月。残された命は3か月から半年。当時5歳、2歳、1歳の子供と奥さんの5人家族の同教授は授業を受けようか悩みます。残された期間、精一杯子ども達と思い出を作りたい、これから先どう生きていくのか夫婦で話し合い、生きた証を残すためにやりたいことは山ほどある、授業を行っている暇はない――このような思いが押し寄せる半面、最後の大仕事を引き受けたいという気持ちの狭間で悩みます。そして彼が出した結論は、授業を引き受けることでした。

 授業のタイトルは、『子供のころからの夢を本当に実現するために』("Really Achieving Your Childhood Dreams")。もちろん学生に講義をしているのですし、学生のためになる話ですが、実は、一番の目的はまだ幼い子供たちに向けたメッセージだったのです。人生の喜び、夢を描くことの素晴らしさとご自身がそれを実現するために何をしてきたのか、ご両親のこと、愛を生きること、人を尊重すること、それらを卓越した話術で、ユーモアも交えながら、軽快なリズムで紹介されていきます。

 この本によると、授業の前には化学療法の影響で体調がすぐれず、吐き気、激しい腹痛、下痢に襲われたそうです。しかしそれにもかかわらず、280枚以上あったパワーポイントのスライドをカッとしたり、構成を変えたり、または考え直したり、準備は前日の深夜にまで及び、翌朝起きたのは朝5時。午後4時の授業開始直前まで準備に準備を重ねられたようです。

 授業のときのパウシュ教授はとても病人とは思えない、いたって健康そうな姿で登場されています。この授業の様子はYoutubeにのり600万人以上が視聴、またABCニュースや、人気番組でも取り上げられ、それらも含めると2500万人以上が視聴したのだそうです。なおプロの翻訳家による日本語字幕版も出ていますので、興味のある方は下記のアドレスからどうぞ。

 http://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

 この本には授業の内容が主に書かれていますが、私が感動したのは最後に述べられている子供さん、奥さんへのメッセージでした。家族愛、人間愛、そして人としての尊厳に貫かれていて、涙が溢れてきました。

 なお、日本語版は6月19日に発売だそうです。タイトルは、『最後の授業 ぼくの命があるうちに』。

 いのちそのものがどんなに有り難いか、そしてそれを失うことはどういうことなのかを深く考えさせられました。

 しかし、惜しむらくは、彼が生長の家の教えを知り、永遠生き通しのいのちのハッキリと自覚しておられたら、ということです。私は彼の行動にけちを付ける気持ちは微塵もありませんが、実際、余命3か月から半年と宣告されてからも、約10か月間、生きておられます。治る可能性だってほんの僅かではあってもあると思うのです。

 同教授のHPでは、毎日ではありませんが、教授の近況等が更新されていて、6月10日付の報告にはブッシュ大統領からの手紙が添付されていました。

-TA

※同教授は2008年7月25日、膵臓癌のため逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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過去最低の犯罪件数

 今日(6/10)のローカル紙『Honolulu Advertiser』の1面トップの見出しは、「オアフ島の犯罪、4年連続減少」(O'ahu crime declines for 4th straight year)という素晴らしいものでした。しかも、犯罪統計を取り始めた1975年以来、犯罪件数の総数で過去最低という快挙です。統計の情報源はFBI(連邦捜査局)です。

 同紙によるとホノルルはアメリカの主要都市の中でも最も安全な都市だそうですが、私たちが住むカネオヘは、さらに犯罪とは縁がなさそうな空気が漂っています。油断はいけませんが、「アメリカは銃社会だから危ない」という固定観念は完全に覆されました。もちろん住む場所によってはかなりの注意が必要であることは言うまでもありません。

 米連邦刑事事務所のハワイ地区担当のエド・クボ(Ed Kubo)氏によると、重犯罪を防ぐ努力をしていること、地域住民がグループを作り、通りの監視を自主的にしていること、ドラッグをやっていると思われる家や犯罪があったことを住民が積極的に通報していることなどが犯罪の減少につながっているのでは、と述べていました。

 約1年前に日本からの留学生(20歳ぐらいの女性)が殺された事件がオアフ島の北部で起きましたが、そのときに自警団の責任者の方が「こんな平和な町で殺人事件が起きるなんて信じられない。住民が協力して二度と起こらないようにしたい」と述べておられたのを思い出しました。

-TA

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結婚11周年

 この木曜日(5日)は、結婚11周年の記念日でした。去年は引っ越し、新しい仕事、環境に慣れることに精一杯で10周年だった記念日はどこかに飛んでしまいましたが、今年は割合、ゆったりと迎えることができました。

 当たり前のことですが別の人と結婚していたら、私自身も全く違った人生になっているのだと思います。日本とは別世界で、私自身にも色々な事が起こりましたが、妻の立場では私が想像できないような思いをし、そして自分自身に折り合いをつけながら、明るく、人の役に立てるようにと願いながら、小さい子を抱えながら一所懸命前向きに生きている姿は大変素晴らしく、とても感謝しています。

 また、大人が笑って話している側で一緒になって笑っている子供の顔を見ると、選んで生まれてきてくれたこ、そして、縁があって家族になることの神秘を思わずにはいられません。

 ところで最近、若くしてマイクロソフトの要職を辞し、途上国の子ども達のために学校や図書館を寄贈する運動を行っている非営利団体「Room to Read」の創設者、ジョンウッド(John Wood)さんが書かれた『Leaving Microsoft to Change the Wordl』(邦題、『マイクロソフトで出会えなかった転職』)を読みました。

 ハワイには(正確にはオアフ島かも…)残念なことに日本語の本屋さんがありません。全くないことはないのですが、ブックオフがアラモアナセンターにあるのと、雑誌や漫画、そしてほんの少しの文庫本を扱っている小さな書店はありますが、色々な方に聞いた情報を統合すると、日本語の書籍を扱っているいわゆる“書店”はないみたいなのです。それで欲しい本はアマゾンコムで日本の自宅に取り寄せておいて、義父がこちらに来るときとか、家内が一時帰国したときに持ってきたもらうかするのですが、しかしそれでも持ってきてもらう本には限界があります。それでこの事態は、「英語の本をなるべく読め」という天命ではなかろうかという気がしてきました。

 しかし英語の本を読むのにはとにかく時間がかかります。全く辞書を使わないと理解出来ない部分がでてきて筋を追うのにかえって時間がかかったりするし、辞書を引きすぎるとペースが乱れて読むスピードが落ち、読む気力が失せ、興味も失せ、いつのまにか積読状態……と失敗した経験は数知れず。かつて、NHKビジネス英会話の講師で、日本の英語教育における重鎮の1人、杉田敏氏の「辞書で引く単語は最低限に」がアドバイスされていたのを今度こそは忠実に守るべくチャレンジしました。

 ノンフィクションの力強さと彼の信念、そして寄贈された本が届いたときの子ども達の感動、そして学校の先生方の喜び、子ども達の勉強に対する情熱と他に頼るまいとする自立心、献金をする人々の思いなどが文章から滲み出ていて、わりあいペース良く読み進めることが出来ました。

 John氏が最も力を入れているのは女の子への教育です。女の子に教育は必要ない――今日の日本では想像すらできませんがかつては日本でも考えられていたこの間違った固定観念が、とりわけ教育を受けていない両親に育てられた途上国の子供たちの上にのしかかり、それが貧困に繋がりと、悪循環が続いてしまっている現状に、胸が詰まりそうになります。

 少しでも途上国の人々のお役に立てればと、結婚して1、2年が経った頃、途上国の支援をしている『プラン・ジャパン』(当時は『フォスター・プラン』だった)のことを知り、財政支援ではありますが、支援が生かされている証として、途上国のある家庭と通信をし合うことができるという制度が気に入り、今も続けています。私が通信しているのはホンジュラスの家庭の子です。もう10歳ぐらいになったでしょうか。

 そんなこともあって、Johnさんの活動が貧困の連鎖を解消するための素晴らしい突破口になることを心から願っています。しかし――と考えてしまいます。彼の活動は本当に素晴らしいですし、心から応援したいと思いますが、やはりそれも現在の所は大海の一滴のようであり、長い道のりを歩まれているのだと思います。

 私の現在の仕事、そして活動がどれほど世界の人々の役に立っているのか、目に見える形ではなかなか分かりませんが、「正しい人間観」「正しい世界観」の確立なしに、このような問題が解決されることはないのだと思います。

 目の前に与えられた仕事、使命を大切に、一日、一日を大切に、そして自らの生活が神のみ心に恥じない生き方をしているかを問いながら、生きていきたいと思います。

-TA

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ハワイの夏――そして1年

 ハワイにも穏やかながら四季があります。冬は肌寒く感じる日もありますし、とりわけ私たちの住まいのあるカネオヘはホノルルよりも摂氏で2~3度低く感じます。

 今はもちろん「夏」です。正午過ぎには太陽が真上にあり、おそらく地面に対して直角に照っているのではないでしょうか、とても太陽の下に長くはいられません。しかし一端日陰に入れば日本の秋のような涼しい風が吹き、夜には心地よい風が湯上がりの体を冷やしてくれます。

 私が説明すると何の変哲もない説明文になってしまいますが、作家の村上春樹さんがハワイの夏のことを書いていましたので紹介します。

~~~~~~~~~(ここから引用)~~~~~~~~~~~
 ハワイはよく常夏の島と言われるが、いちおう北半球に位置しているから、四季はひととおり揃っている。夏は冬よりは(比較的)暑い。しかしマサチューセッツ州ケンブリッジの、煉瓦とコンクリートに囲まれた、拷問にも似た蒸し暑さに比べれば、ここの心地よさは天国並みだ。エアコンもまったく必要ない。窓を開けておけばさわやかな風が勝手に入ってくる。ケンブリッジの人々は、僕が8月をハワイで過ごすと言うと「夏なのに、わざわざそんな暑いところに行くなんて、どうかしているんじゃないかと一様に驚く。しかし彼らは知らないのだ。北東の方角から間断なく吹きわたる貿易風が、ハワイの夏をどれほど涼しくしてくれるかということを。アボガドのクールな樹陰での安らかな読書や、ふと思いたったときにそのまま南太平洋の入り江に泳ぎにいける生活が、人をどれほど幸福な気持ちにしてくれるかを。(村上春樹著『走ることについて語るとき
に僕のかたること』pp.14-15)
~~~~~~~~~(引用終わり)~~~~~~~~~~~~ 

 私はクールな木陰で読書をしたり、入り江で泳ぎにいく余裕がないのでそういう幸福感を味わえていないのが残念ですが気持ちはよく分かります。

 ところで、今日でこちらに来てちょうど1年になります。あっという間だったような、ものすごーく長かったような……。何かドラマの中にいるように、色々な出来事が次々と起こり、必死に毎日を過ごしているうちに1年が過ぎていたような感じです。

 大変だったことは枚挙にいとまがありませんが、有り難いことといえば、1年前に比べると色々な面で鍛えられ、自分で言うのはおこがましいですが、成長したなぁと思います。とりわけ人の痛みを理解できるようになったこと(全部ではないにしても)、そして聖典等に書かれていることの意味を以前と比べれば深く理解できるようになったかなぁということです。

 何よりも、困難な状況の中で「日時計主義の生活」がどれほど有り難いことか、家族が力を合わせて暮らすことがどれほど尊く有り難いことかが身にしみました。海外で生活すると、残念なケースとしては家族の心が離ればなれとなって離婚に至るケースもある一方、家族が一致団結して、より協調的な関係となり、家族の絆が深まるケースもあると聞きます。わが家はどうやら後者のようで、夫婦が色々なことを話し合い、理解を深めるとても良いチャンスをいただいたと思っています。

 あとどれだけいるかは分かりませんけど、与えられた職務を一つ一つ誠心を込めて取り組んでいきたいと思います。

-TA

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