« あいさつ | トップページ | 10カ国語のおはよう »

裾野を広げること(3)

 さて、世界のサッカー事情の中で不思議なことがあります。それは国民の大半が関心がないのにも関わらず、W杯の常連であり、決勝トーナメントさえも出たことのある国――アメリカ――の存在です。2002年、日韓合同で開かれた大会にはベスト8にまで進出し、慌ててブッシュ大統領が監督に電話をして激励した、と言う話もあります。

 アメリカの3大スポーツは、フットボール(日本ではアメフト)、野球、バスケの3つであり、プロリーグはあるものの、サッカーが新聞のスポーツ覧を飾ることはデービッド・ベッカムが活躍しているときを除いてはあまりありません。

 ところが、「国民の大半が関心がない」というフレーズに間違いがあります。それは代表の試合にはあまり関心がないようですが、草の根レベルではとても盛んなのです。ハワイの地元の新聞でも、子供のサッカーのことはよく記事になっていて、親が子供の試合に熱狂している様子が報道されています。ときには親同士がケンカになることもあるそうです。特に女子のサッカーはものすごく盛んです。つまりアメリカでは、サッカーの裾野は広いのです。しかしサッカーは、(アメリカン)フットボールに比べてあたりが弱く、子供がするスポーツという認識があり、一般にはあまり普及しないのだそうです。

 もちろん王国ブラジル、そしてサッカー先進国のヨーロッパも裾野が広いことでは言うまでもないでしょう。かつて15歳で単身でブラジルに乗り込み、底辺からプロリーグのレギュラーの座を把むにいたった三浦知良選手は、底辺の厳しさについて、次のように語っています。

「プロになれるかどうかのふるいにかけられる一歩手前。これで食べていくんだ、はい上がるんだというハングリーさがみなぎっていた。向こうでは貧しくて教育を受けられない子供もいる。そんな中ではい上がるためには、やっぱりサッカーしかない。彼らを見ていて、自分が17歳のころを思い出した。僕もあんな目をしていたんだろうな」(『日本経済新聞』2006年10月20日)

 ちなみに三浦選手は、底辺からはい上がり見事、同国の名門サントスFCに加わりますが、そのときはあまり活躍できず、ドラム缶を投げられたこともあったとか。ワールドカップに日本が初出場した1998年、予選全敗の“戦犯”となった城選手が成田空港で水をかけられたのを知り、この自分のエピソードを交えて、「日本中がおまえをエースと認めたんだ」と電話で激励した話は有名です。自分が出るはずだったポジションを任され、うまくいかなかった後輩にかけた言葉ですから、感動です。

 もちろん、ヨーロッパの裾野の広さも負けていません。子ども達は日本のように学校の部活としてサッカーをするのではなく、強いクラブでは何層にも下部組織があり、エリートを育成するシステムができています。そしてグラウンドもちゃんとサッカーに向いている堅さの土や芝が用意されているそうです。

 ちなみにブラジルの好敵手、アルゼンチンではサッカーのアナウンサーの人気がものすごく、それ専用の専門学校がある、ということを聞いたことがあります。リズミカルに、そしてアルゼンチンの攻撃をより効果的にアナウンスをし、ゴールしたときに熱狂できるようなアナウンサーが好まれ、中には日本円で1億円も稼ぐアナウンサーもいるとか。

 これらのことから、裾野を広げること、そしてその広い底辺からはい上がろうとする強力な意志があるところに、強さ、そして成功の秘訣があるようです。少し飛躍するかもしれませんが、底辺の広さとそこに加わる圧力によって、信仰運動も盛り上がることを示された、谷口清超先生のご文章を最後にご紹介します。

~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~~~~~
 例えば日本ではかつて大学の数が飛躍的にふえたことがあった。戦後の教育改革で、それまでの旧制高校が大学に昇格したからである。当時はこの種の大学を“駅弁大学”などと言った人もいたが、今では夫々立派な教授もふえ、学生間でも実力にはほとんど差がなくなったように思われる(但し全般的に大学教育のあり方はナマヌルく、改善の余地はたっぷりとある)。少なくともトップ・レヴェルは低下することはなく、より一層向上すること、あたかも大リーグの数の上昇と同じ現象である。
その原因は、富士山の高さと、その裾野の広さとの関連を考えると分かりやすいだろう。狭い敷地には、高い建物は建てられない。法的規制もあるが、物理的に考えても、自然にそうなって来る。しかし広い野原があるというだけでは、そこに高い山や建物が建つわけではない。やはりそこにある種の“圧力”が加わらないと高さの盛り上がりはないのである。その“圧力”は内圧であったり、外圧であったりする。両方の圧力である場合も多いのだ。
高山がそびえ立つ場合は、地球内部のマグマ内部の噴出する力であったり、もっと深くはプレートの移動による圧力も加わることもある。しかし建築物や社会現象の場合は、人の心の変化や圧力が強くないと実現しないのである。ことに信仰の運動や活動では、心の力が本物でないと大きく盛り上がるものではない。つまり金儲けや病気治しのためといった小さなご利益を求める心ではなく、人間の本心即ち「真・善・美」「本来心」が湧き上がるような運動でないと、真実の「人類光明化運動」とはならないのである。(『理想世界』平成11年3月号)
~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~~~~~

(おわり)

-TA

|

« あいさつ | トップページ | 10カ国語のおはよう »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« あいさつ | トップページ | 10カ国語のおはよう »