« 目指せ、環境先進州! | トップページ | 大きな行事が終わりました/大統領選挙はなぜこの時期? »

谷口清超先生、心から感謝申し上げます

 谷口清超先生が逝去された10月28日午後10時21分は、ハワイの時間ではその日の朝になります。上司である勅使川原淑子・アメリカ合衆国教化総長からこのことをお聞きしたとき、全身の力が抜けてしまったような気持ちになりました。そして先生から頂いたご指導の数々が次々と蘇ってまいりました。

 私が生長の家のみ教えを自分自身で学ぶようになったのは昭和62年の4月、先生が生長の家総裁になられた1年半後のことでした。ですから私は谷口雅春先生のことはご文章でしか存じ上げない世代です。従って、私にとっては「生長の家総裁」イコール谷口清超先生でした。

 私は先生のご文章が大好きで、体験談を織り交ぜながら真理をどのように生活に生かせばよいのかについて、そして青年に対する力強いご文章に、とりわけみ教えを学び始めた当時は惹かれていました。しかし、大変申し訳ないことに、先生のご講話の価値がその当時は理解できず、ご講話を拝聴しては居眠りをよくしていたものです。

 そんな私でしたが、先生がご指導くださる講習会が当時1年に1回あり、当時愛知県の生長の家で活動をしていた私は、信仰仲間とその盛会を祈念して、3月の講習会の1か月半前ほどから朝5時10分から熱田神宮での神想観に毎日参加していたのです。この神前での神想観は1月の終わり頃から3月はじめまで続きますので、冬の一番寒い時期に行われます。その神想観は石砂利の上に新聞紙を引いて正座をして行いますので、深々と寒さが身に染みてきて、最初の頃は神想観どころではありませんでした(“寒想観”でした……)。ところが慣れてくると、凛とした冷たい空気が体に馴染んでくるようになり、これまで味わったことのない、深い感動が心の底から湧いてくるようになりました。そして病みつきになり、恒例のこの神想観は大学を卒業するまで毎年参加し、ほぼ皆勤だったと思います。

 そして講習会当日を迎え、先生が入場して来られたとき、得も言われぬ熱い思いが涙とともにこみ上げてきました。後から気付いたことですがそれは、先生の深い愛に触れた思いだったと思います。そして先生のご講話を拝聴すると、そこには先生の参加者に対する、信徒に対する、そして全ての人類に対する深いご愛念とユーモアに溢れており、深い真理の言葉を分かりやすい言葉で説かれる先生のご講話にすっかり魅了されるようになりました。

 先生から個人的なご指導を頂いたことはありませんが、とても印象に残っている“事件”があります。それは、生長の家本部の青年会部(当時)で中高生育成活動のスタッフとして働いていたとき、生長の家青年会の最高意志決定機関である、青年会中央委員会が年2回開かれ、その会議に参加させていただいたことがあります。青年会長をはじめ20名ほどの役員が名を連ね、当時25歳だった私ははじめて総裁先生のご指導を間近に頂く機会で、こっちこちに緊張しておりました。

 会議の参加者の中にはいつも面白いことを言う人がいたのですが、先生はその人が指名されるとまだ面白いことを言う前からにっこりされ、その人が期待に違わず面白いことを言うととても楽しそうに笑っておられる姿がとても印象的でした。そしてその会議の最後には先生からお言葉があり、そのお言葉を議事録に載せて全国の委員長はじめ幹部に送るということで、出席者のうち4人の人が手分けをして速記をし、それを照らし合わせてなるべく正確にそのお言葉を再現する手はずになっていました。

 先生はそのとき、神想観について、参加者全員の魂を揺さぶるようなご指導を諄々としてくださったのでした。「神想観は小さい頃からするように指導してください。小さいからと言って単にお祈りをさせるだけでは不十分です。小さい子どもでもピアノを習うときには本物のピアノで練習するでしょう。おもちゃのピアノでは上手になりません。それと同じ事です……」20分間ぐらいお説きくださったでしょうか。魂の底に響くお言葉とはこのことか、と思ったことでした。筆記しながらも魂が高揚したことをだいぶ年月が経った今でもはっきりと覚えています。

 ところがその後“事件”が起きたのでした。速記したものを4人が照らし合わせてみると――その中の1人が、ほとんど速記していないのです。というのは、途中から先生のお話があまりに有り難くて書くことを忘れ、ひたすら合掌していた、というのです。その人は人気サイト、「光のギャラリー~アトリエTK」管理人こと、小関隆史・本部講師です。ご自分の仕事を忘れてしまうのは困ったものですが、小関講師が合掌をして聞き入りたくなるのがよく理解できるほど、そのときのご指導に感動したものです。

 あと音楽が好きな私にとって谷口清超先生が聖歌をこよなく愛され、作曲までしてくださったことは、とても幸いでした。毎年のように先生が新聖歌を発表してくださっていたときはその有り難さにあまり気付きませんでしたが先生が聖歌を発表されなくなって初めてその有り難さに気が付きました。

 広報・編集部(当時)に在籍していた当時、聖歌隊の事務局を担当してこともあり、先生の新聖歌の楽譜をいち早く拝見できたのは、「役得だぁ~」と当時の上司と喜び合ったものです。しかし……最初は先生の曲想があまりに自由奔放のような気がして、歌いにくさを感じたりしてしまったのですが、何度も何度も聞いていると次第にそのメロディーに魅せられてきました。生長の家聖歌隊で長年指導をされている本間充先生もそのようなことを普及誌の中でおっしゃっていたことを覚えています。

 あと先生がお若くして生長の家青年会の会長になられ、講習会の指導に赴かれ、ご文章を発表されていたことは、私にとって大変励みとさせていただいておりました。20代の中頃から人前で話す機会が与えられ、30歳前に講師資格を頂いて人前で講話をするようになり、30代で一教区の教化活動の責任者となり、お役の重さにややもすれば落ち込み気味になっていたとき、先生がお若くして教団を代表する立場におられたことを、恐れ多いことではありましたが、励みとさせていただきました。

 先生から賜りましたご指導の数々を生活に運動に生かしながら、法燈を継承された谷口雅宣先生にますます中心帰一して参りたいと思います。先生、本当にありがとうございました。感謝、頓首、再拝。

|

« 目指せ、環境先進州! | トップページ | 大きな行事が終わりました/大統領選挙はなぜこの時期? »

生長の家のこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 目指せ、環境先進州! | トップページ | 大きな行事が終わりました/大統領選挙はなぜこの時期? »