« アメリカ人の知り合い | トップページ | 5月の母親教室 »

最近のこと

 こちらに来たばかりの頃、もう何十年もアメリカに住んでいる日本人の方から、「私は英語がうまくしゃべれないんだけど、日本語の方もおかしくなってきちゃって……」と言う方がいました。そのときはそんなものか、と思っていましたが、だんだんその気持ちが分かるようになってきました。

 特に日本語の文章を書くのに時間がかかるようになり、目上の方へ使う尊敬語、そして謙譲語の使い方があやふやになってきているのを感じるときがあります。逆に言うと、日頃使い慣れていないと、尊敬語、謙譲語は使うのが難しく、従って、日本語を外国語として使う人たちが、なかなかうまく使えないのも合点がいきます。

 それでも話す方はまだ健在で、英語の講話をした後に日本語の講話をすると、母国語で話すことができるのは何と有り難いのだろう、と思います。英語で講話をするのと日本語で講話をするのを喩えると、水の中を歩いているか平地を歩くような差を感じます。

 ところで先週末は、金曜日から日曜日にかけて「第118回生長の家ハワイ教区英語練成会」が実相センターで行われました。谷口清超先生のご著書『智慧と愛のメッセージ』の英語版(Messages of Wisdom and Love)をメインテキストとして講話、輪読会、献労、浄心行、キャンドルサービス、祈り合いの神想観などが行われました。家内は英語の練成会でもあり、娘の面倒を見ながらなので集中して行事を受けることはできませんでしたが、それでも、寝かしつけたときや、出来る限り参加するように努力をしていました。

 その中で印象に残ったのは、昨年から生長の家の行事に参加されるようになった韓国人のアウさんという方で、もうこちらに40年も住んでいる方ですが、浄心行のときにお父様と自分を育ててくれたおじいさまのことを思い出して、心から感謝できたことを涙ながらに語ってくださいました。彼女は生まれて9か月のときにお父様を朝鮮戦争で亡くし、それ以来、自分の人生でお父様を思い出すことはほとんどなかったそうです。

 浄心行では英語の行事であっても、お父さん、お母さんへ大きな声で感謝を述べるときは、それぞれの参加者が母国語で呼び掛けるようにしています。アウさんは韓国語で、「アボジー、カムサムニダ、オモニー、カムサムニダ」と唱えていると、ご自身の記憶にはないお父様がご自身を包んでくださっているのが分かり、「父に愛されている自分を初めて実感しました」と涙ながらにおっしゃっていました。

 その他練成会では、谷口清超先生が作詞された歌がとても美しいメロディーなので(三ーデーサービスの前などによくテープを掛けているので皆、メロディーは知っています)、日本語のままでいいから歌いたいという要望が幹部から寄せられたため(英語にはまだ訳されていません)、歌唱指導に定評のある元本部講師、岩谷レスリーさんの指導で、谷口清超先生が作詞された聖歌『日の輝くように』と『かみをたたえて』を歌いました。岩谷さんは以前、高校で音楽を教えておられていたので、ハワイ教区のみならず、アメリカでの行事では決まって、歌唱指導や先導を担当されています。また、この2曲を伴奏できる人がまだハワイ教区にはいないので、私が伴奏を担当しました。

 私は小さい頃から電子オルガンを習っていたのが功を奏して、何度もメロディーを聴いているとだいたいの曲は弾くことができるのです。しかも『日の輝くように』は結婚した年に発表された曲であり、『かみをたたえて』は生長の家本部の聖歌隊の事務局を担当していたときに発表された曲で当時行われていた全国大会で聖歌隊が発表をしたこともあり、歌も伴奏も何度も聞いているので耳で覚えている曲なのです。しかしスコアを見ながら弾くことは事実上できません。全く出来ないことはないのですが、手間暇がかかりすぎることと、練習している余裕がありません。

 この2曲の練習に45分ほど時間を取ってありましたが、練習が白熱して、1時間ほどの時間があっという間に過ぎてしまいました。指導にあたった岩谷さんも「みんながこんなに上手に歌えるとは思わなかった」と驚くほど、「well-done!」でした。

 あとこの練成会には、日本からワーキングビザで1年ほどハワイに滞在している最中の若い女性、梨絵さんが参加してくださり、高校のときに音楽学校に通っていたという特技を生かして、私とは比べものにならないお見事なピアノの技を披露してくださり、聖歌『實相を観ずる歌』と『使命行進曲』をほとんど初見で伴奏してくださり、皆さんが心から喜んでおられました。

-TA

にほんブログ村 英語ブログ 英語で仕事へ

にほんブログ村 海外生活ブログ ハワイ情報へ

|

« アメリカ人の知り合い | トップページ | 5月の母親教室 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

日本語を忘れるというのはよくありますが、忘れていると言うことすら忘れていることを本日気づきました。というのは、朝お祈りが終わってから一旦自宅に帰り、日本語のニュースを見ていたら、アナウンサーが自分の後ろのお城を指して「天守閣」と言ったとき、「ああそうだ、あれはお城ではなく天守閣だ」とそのコトバが有ることを思い出しました。これなどはまだ良い方で、三週間ほど前、日本語の母親教室出講講師の勉強会で指導していた際、ある英語のビデオを数分間見せたのですが、その後、説明していたら参加者が怪訝な顔をしているのです。そしたら、一番前に座っていた女性が「先生、英語のなってる」というのです。自分でも呆れてしまうのですが、ビデオが英語だったので、そのまま英語で説明をしていたのでした。悲しいかな、コトバを忘れていることすら忘れるし、いきなり日本語と英語の区別がつかなくなってしまったのです。少し休養が必要なのかとも思います。

投稿: mario | 2009/05/23 02:00

mario-san,

 コメント、ありがとうございました。

 日本語と英語の区別がつかないほど話ができるようになったらどんなに良いのだろうと思っていましたが、実際には困ることもあるのですね。うちの娘が、父親がアメリカ人で母親が日本人のお友達と遊んでいると、英語で話しているときと、日本語で話しているときがありますが、おそらく2人とも言語のことは意識しないで話しているのだと思います。
 ところで、「天守閣」は「お城」の一部ですから、天守閣を指してお城と呼んでも差し支えないと思いますけど。
 私はここ2年ほど、日本語のニュースをほとんど聞いていないのと、日本で発行されている新聞をほとんど読んでいなかったので、先日『朝日新聞』の国際版を読んだときにはとても懐かしい気がしました。

-TA

投稿: TA | 2009/05/23 05:47

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« アメリカ人の知り合い | トップページ | 5月の母親教室 »