« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

報いを求めない

 私が勤める生長の家本部では、毎週月曜日に全体朝礼があり、そのときに担当者が、『伸びゆく日々の言葉』(前生長の家総裁、谷口清超先生著)の一節を読んで、参加者一同が聞いている時間があります。このご著書は365章に分かれていて、今日は11月29日の箇所が読まれました。この箇所がとても素晴らしく、感動したので、紹介させていただきます:

 キーボードを、一本の指で叩くより、二本の指で交(かわ)る交(がわ)る叩く方が速く打てる。二本指よりも十本の指を全部使って叩くと、非常に能率的に打てる。それ故ワープロやパソコンを練習する時は、十本指の運指法を練習しなければならない。しかも各指が夫々同じ役割を受持つのではなく、主として守備範囲がきまっていて、遠方はそこを叩ちやすい指にまかせる。屢々(しばしば)使われる指もあるし、そうでもない指もある。とかく拇指はよく使われるが、「自分ばかり働かされて損だ」などと、決してグチをこぼさない。だからたのもしく、いつも重要な役割を果すのである。人間も亦同じである。(『同書』260~261頁)

 私は就職した平成4年当時は、キーボードを打つのに「カナ打ち」をしていました。それを見た、他部課の先輩が、「カナ打ちでは将来、英語を打つときに困るよ」と助言してくれたので、「ローマ字打ち」に変えました。それから何年も経ってから、英語で文章を書く必要が出てきたので、この時の助言にとても感謝しています。そしてそのとき、ブラインドタッチができるように、どのキーをどの指を打つ、ということを覚えました。そのときは、一々、指とキーボードを気にしながら打たなければならず、時間がかかって仕方がありませんでしたが、しばらくしたら、速く打てるようになったので、これもまたやって良かったと思います。

 谷口清超先生の上記のご文章の前半をお聞きして、以上のようなことを考えていましたが、後半部分になって、非常に感動しました。そういえば、よく使う指と使わない指がありますが、よく使われる指は「こき使う」などと文句を言いませんし、あまり使われない指も「使ってくれない」などとは言いません。全部の指が、脳の命令に従って、一糸乱れず、しかも無意識のうちにキーボードを叩いてくれるので、こうして文章が打てるのだ、ということに改めて気づきました。そして、私たちの生活や仕事でも、今、与えられている仕事に全力を尽くすことが全体のためになるのであり、そしてそれが自分の人生全般にも役に立つということを常に心に留めて、生活していきたいと思います。

 阿部 哲也

| | コメント (0)

娘の小学校受験(6)

 学校側からの連絡では、「受験日の12日は、通常の授業が行われる日でもあるので、受験はそれが終わってからになります。ですからなるべく午後3時ぎりぎりに学校にいらしてください」とのことでした。それで午後3時少し前に学校に到着すると、同じように運動会が受験日に行われた子供さんとその両親が20組ほど来ていました。

 面接では、予想通り、仕事のことを聞かれました。私は宗教法人「生長の家」に務めていて、講師として布教をしているので、私が持っている信仰が学校の方針に反しないものであるかを確かめる意図があったのだと思います。キリスト教の方に万教帰一をどのように説明するか、色々と考えましたが、イギリスの宗教学者でキリスト教徒のジョン・ヒックが唱えた「宗教多元主義」という考え方に近いこと、生長の家ではキリスト教を尊敬し、聖書も勉強していることなどを説明し、学校の方針を尊重することを約束します、ということを誠意をもって伝えました。仕事以外の質問は驚くほど拍子抜けしたもので、子育てについて家内が聞かれたのと、子供とどのように触れあっているかを私が聞かれた以外は、入学にあたって心得て欲しいことなどの「説明」を受けている感じがしました。

 私たちの面接を担当されたのは教頭先生で、「個人的なことを言えば、私は子供の試験結果など気に留めません。大切なのは親御さんです。親御さんが学校の方針を理解してくださって、協力してくださったら、必ず伸びます」ということを繰り返し述べておられました。そして、私たちがハワイに3年間住んでいたことなど、学校説明会で担当の先生にお話した内容はほとんど引き継がれていて、「環境が大きく変わったのですから、娘さんは、ストレスを感じているでしょうね」などと、娘を気遣う言葉もかけてくださり、最後は「読み書きなどできなくても大丈夫です。娘さんを信じて待ちましょう」とおっしゃって終わりました。

 この学校は倍率はそれほど高くなく例年、1.5倍から2.2倍ほどだそうですが、当日だけの審査だけで合否を決めていないことは明かな感じがしました。

 合否は、翌日、私が岡山から帰ってきたときには既に速達で届いていました。結果は合格で、合格通知の日付は、10月12日。私の誕生日でした。娘は誕生してから数々の喜びを私たち夫婦にもたらしてくれましたが、今回も素晴らしい、神の子無限力を発揮してくれて、親孝行をしてくれました。

 2ヶ月間、頑張ったことが目に見える成果となり、娘はとても自信がついたと思います。日本に戻ってきて、自分では分からない文化の壁があり、自分の知らないことを多くの友達が知っていて、何となく、場違いな感じがするなどして、少し自信を失っていたのですが、この受験を通して、大きな自信を得ることができ、成長したと思います。

 今は受験で遊べなかった分を取り戻そうと、幼稚園の体操教室などの習い事、そして近所の友達、知り合いの友達と毎日遊び回っています。

 私たちも、自分のときには考えもしなかった経験をさせてもらい、新しい世界を垣間見たような気持ちがしました。ハワイにいたときには、娘を通して、娘の友人のご両親であるアメリカ人の友人もできました。娘がいなかったら決して知り合いになったり、親しくなることはなかったであろう、人たちも沢山います。

 このようにして、お互いが影響を与え合い、勉強し合っていくのが「人生学校」なのだと思います。また次にはどのような展開が待っているのか、楽しみにしています。(終わり)

 阿部 哲也

| | コメント (4)

娘の小学校受験(5)

 このプロセスは私たち夫婦にとっては新鮮な驚きがありました。それぞれが、今まで考えていても言葉にしたことがなかったことがあり、私自身としても色々考えていたことがあってもそれを文章化していなかったため、こんなことを考えていたのか、ということに気づいたりもしました。妻と私とでは多少表現が違いますが、私はわが家の教育方針をおよそ次のようにまとめました:

・神様、両親や家族、周囲の人々、大自然を含む天地の万物の恩恵にいつも感謝できること
・広い視野で物事を見ること、そのために色々なことに興味を持ち、多くの本を読むこと
・自分と違う価値観、ものの考え方を受け入れること
・自分で考え、判断する力をつけること

 幼児教室の先生からは、「模擬面接」を受けるよう何度も言われましたが、基本的に聞かれることに関しては自分たちで納得のいくように回答を考え、それ以外のことを聞かれたら、夫婦で準備した考えた回答を基本に、心から出てきた言葉で対処しようと思いましたし、面接のイロハは本を読めば分かりますので、模擬面接は受けずに臨みました。

 受験が迫ってきて、だんだん親がピリピリしてきたのが反映するのだと思いますが、子供が体調を崩してしまいました。親としては少しでも、出来なかったところを繰り返してできるようにさせてあげたいと思うものですが、2カ月もお友達ともほとんど遊ばないで、集中して勉強していたので、ストレスもかなり溜まっていたのだと思います。そこにきて、受験の2日前に行われる運動会の練習も熱を帯びてきて、疲れも出たのだと思います。

 大人なら無理をさせるところでも子供にはさせられませんから、思い切って勉強をしない日を何日も作りました。また、子供は「日頃、お父さんとどのようなことをして遊ぶの?」と聞かれたとき、せいぜい覚えているのは1週間前までのことだそうですので、最後の1週間で子供とどのように触れあうかは、とても大切なことでした。

 運動会については、先の書き込みでご紹介したように、綿密に練習した組み体操もあり、ぜひ、参加させたかったのですが、前の日は熱も出てしまい、咳もひどく、残念ながら参加を見合わせなければならない状態でした。受験がなければ無理もできるのですが、相当悩んだ末、参加を見合わせることに決めました。

 ところが、運動会の予定日の9日は午前中は雨の予報で、6時過ぎに「延期」の連絡が回ってきました。さらに、次の日も雨で順延の順延となり、11日に行われることになったのです。それで運動会には参加できることになったのは良かったのですが、また大変なことになりました。受験をする小学校側が、運動会と受験がかさなった場合はその日の朝、連絡をくれれば、受験を次の日にずらすことができる、と学校説明会の時に言ってくれていたので、受験を延期していただくよう、依頼しなくてはならなくなりました。そうするとさらに問題がありました。私は、翌12日には岡山へ出張が入っていたのです。

 しかし、全てがうまく運ぶことになりました。まず、9日だったらとても参加出来ない状態だった娘の体調は劇的に回復し、11日の運動会には元気に出席することができました。そして12日の受験日も体調も気分もよく、日頃の勉強の成果を発揮することができました。私の出張に関しては上司の配慮で、12日中に岡山に着いていれば良い、ということになり、12日に小学校で面接を受け、終了後、すぐに岡山に向かいました。ホテルに到着したのは午後11時半近くでしたが、無事に次の日の仕事に臨むことができたのでした。(続く)

| | コメント (0)

娘の小学校受験(4)

 学校説明会のときには、両親はスーツが基本、子供も受験に相応しい服装があるのだそうで、くつ、かばん、スリッパなど、いわゆる“お受験グッズ”が売られています。高いです、当然ですけど。中には、あるブランドの鞄や靴でそろえた方が良いなどという噂を聞いたこともあります。そんなことは常識で考えればあり得ないと思うのですが、子供を合格させたいという親心からすると、少しでも粗相のないようにしたいという気持ちは分からないではありません。

 さて8月の下旬に参加した学校説明会は個別に行われましたが、今考えるとさながら「面接試験」のようでした。教室内に先生が2人いて、親子3人でそろって座り、指導動機や、学校の印象、家庭での教育方針など、様々なことを聞かれました。そして、事前に通知されていたように、子供には模擬試験が行われ、実際の受験で出る問題の説明がありました。これは一般的に言われていることですが、説明会で学校に行った場合、校門をくぐってから出るまで、親子共々全ての行動を観察されると言われますが、まさにその通りでした。受付にいた事務員だと思っていた人たちも含め、対応されたのは全て先生方だったのが、後で分かりました。そのぐらい、当日の試験や面接の結果だけではなく、総合的に家族の様子を見て、判断しているのだと思います。なぜなら、これから12年間(小中高の場合。大学まであるところは16年間)にわたる長い付き合いになる生徒と家族を見極めるのですから、当然と言えるかもしれません。

 娘が受験したのは、浦和ルーテル学院というミッション系の小中高の一貫校で、帰国子女の受け入れもあります。しかしわが家の場合は、一度、一般の幼稚園に入っているので帰国子女枠には入りません。説明会で私たちに説明してくださったのは初等科の副部長の方でした。お話の端々からクリスチャンの信仰者であることを窺うことができ、とても誠実な感じを受けました。中でも一番、感銘を受けたのは、娘がハワイにいたために、語彙力が少なかったり、日本文化に関する知識が同い年の子供と比べて少ないことなど、心配していることを話すと、「その点については充分考慮します。もし試験で、質問内容が分からなければ分かるまで、分かる言葉を使って説明します。その点については安心してください」と、明快に私たちの不安を一掃してくださいました。

 娘の受験対策は、家内がほぼ毎日、2、3時間を使って過去の問題集を使ったり、類似の問題集を探して何度も繰り返したりして進んでいきましたが、受験が近づいてくるに従って、面接のことが気になり出しました。何しろ面接のための本を読んでいると、どの本にも「小学校受験の決め手は親の面接」と書かれているのです。

 それで、聞かれる内容で主なものを列記すると、

 (1) 志望動機
 (2) 家庭の教育方針
 (3) 親の職業
 (4) 子供は日頃どんな子供か(長所と短所)
 (5) 子供とはどのように触れあってるか
 (6) 子育てで気をつけていることは何か

 細かく言えばもっとありますし、学校によっても傾向がありますので一概には言えませんが、だいたい上記のようなことを聞かれることが分かりました。中でも大切なのは (1)から(3)番目までで、私の場合は宗教の団体に務めているため、キリスト教系の学校側からは、どのような信仰をしていて、それが学校の方針とぶつからないかを聞かれることは容易に想像ができました。

 しかしそれ以上に難しいのは、家庭の教育方針、志望動機についてであり、夫婦で意見をしっかりと確認しておく必要がありました。どのような角度で質問が来るか分かりませんし、どちらが聞かれるかは分かりません。しかも学校側に、わが家の教育方針、そしてどのような娘に育ててきたかを、分かりやすく、自分の言葉で、情熱を込めて、しかし大げさにならないよう、長くならないように簡潔に伝えなければなりません。

 これまで何となくこんな子供に、ということを夫婦で話すことはありましたが、今回はだいぶ長い時間をかけて夫婦で教育方針について話し合い、どちらが聞かれても矛盾が起きないよう、それぞれの気持ちに反しないよう、入念に準備をしました。(続く)

| | コメント (0)

総本山での秋季大祭

 11月20日から22日までの3日間、長崎県西海市にある生長の家総本山に行ってきました。21日、22日に行われる秋季大祭には、各教区の地方講師会長が参加されるため、大祭の合間を縫って地方講師会長会議が行われましたが、私は講師課の1人として、その準備、運営に当たっておりました。総本山に来たのは、6、7年ぶりで、とても良い機会を与えて頂いたと、感謝しています。

 羽田空港に行ったのも久しぶりで、浜松町からのモノレール内でのアナウンスが日本語、英語のほか、中国語、韓国語もあったのには驚きました。4カ国語あると、結構迫力があります。

 長崎空港からは、総本山から来て頂いたマイクロバスに乗り、長崎湾をぐるっと回るコースで総本山まで行きました。これまで総本山に来たときにははほとんどが、大村湾を船で横断するコースを取りましたが、夕日が海に映える美しい光景を堪能することができるこのコースも、とてもいいものでした。

 総本山に着いてから少し時間があったので、講師課から一緒に来ていた西山文雄講師とともに奥津城に登りました。この奥津城に行く途中の景色がまた素晴らしく、しばし見とれておりました。谷口家のお墓の前でお祈りしてると、とても清浄な気持ちになり、「総本山は何時きても雅春大聖師の御説法が一面鳴り響いているようである。(中略)そこで寺院や教会や、奥津城や宗教的庭園などに参拝しても、それだけで人々の心が洗われ、魂が浄化され、何らかの説法が聞こえてくるものである」という谷口清超先生のお言葉が思い出されました。

 講師会長会議では、ちょうど地方講師の受験条件が変わったばかりということもあり、本部側からの説明の後には出席者の皆様からは活発な質問が相次ぎ、熱気溢れたものになりました。

 龍宮住吉本宮大祭の途中からと、谷口雅春大聖師御生誕日記念式典に参加することができ、総裁先生のご挨拶を拝聴することができたのは、大変有り難いことでした。先生のご挨拶の要旨は、先生のブログに掲載されています。また、この式典では大塚裕司・欧州駐在本部講師が祝辞を述べられました。大塚講師は、青年会時代からの先輩で、5年半前からドイツのフランクフルトに駐在しておられます。ドイツに駐在した初めての本部講師であり、色々大変な事情がありましたが、同講師の素晴らしい信仰、強い信念、そして行動力によって、道を切り開かれ、信徒の皆さんを導いてこられたご努力に敬意を表したいと思います。

 そのほか、行事の合間には、本部職員の方でも日頃はあまり話す機会のない方や教化部長の方などと、6、7人で色々な意見交換をすることができるなど、とても貴重な機会になりました。

 総本山の紅葉は始まったばかりというところが結構ありましたが、紅葉も含めていくつか写真をご覧に入れます。順番に、行きにマイクロバスから撮影した大村湾、ちょっとぼやけていますが夕暮れ時に映した月、奥津城に登る途中から映した景色、雨でしっとりした境内、地方講師会長の集合写真、全員が自己紹介をした講師会長会議での一コマ、美味しかった総本山でのお食事、長崎空港にあったチャンポン(の模型)

 阿部 哲也

1_oomura_bay
2_moon_in_main_temple
3_view_from_okutsuki
4_garden_in_the_rain
5_koshi_group_photo
6_koushi_meeting
7_delicious_meal
8_chanpon

| | コメント (2)

娘の「日時計日記」

 小学校受験のためもあり、五十音の読み方は妻が娘に教えましたが、書く方は自分の名前と、少しの文字だけしか習っていません。それで、時間があるときに、五十音を見ながら自分で字を書く練習をしているのだそうですが、娘が書いたのは、以下の文字でした:

 まいにち まいにち うれしいな
 まいにち まいにち たのしいな

 これはまさしく「日時計日記」。(「日時計日記」とは生長の家が発行している、良かったこと、嬉しかったこと、有り難かったことなど、ポジティブなことのみを記載する日記帳。そうすることで、心の中に、この世の中には明るいことが一杯あるということを印象づけることができ、運命を良い方向に向けることができます)

 幼子の心とは、こういう心なのだと思います。

 阿部 哲也

| | コメント (2)

養心女子学園での講義 (2)

「青年イエスの謎」が書かれた背景には、イエスの行状を伝えたとされる「新約聖書」にはイエスの生涯のうち、イエスが生まれたときの物語とイエスの伝道についての記述はあるのですが、イエスがどのように成長して青年時代を送ったのかについてはほとんど記されていないため、青年時代のイエスについては様々な観測がなされ、それが学者の研究対象になっている、ということがあげられています。

 この「青年イエスの謎」というエッセーは、『ちょっと私的に考える』(谷口雅宣先生著、現在品切れ)の中に収められているともに、谷口雅宣先生のウェブサイトの中にある「電子本、あります!」の中の「エッセー他」という項目の中に、あります。これは、宗教というものをどのように捕らえれば迷信くさくなく、そこに説かれている真髄を学ぶことができるかという、極めて重大な問題を考えるきっかけを与えてくれているものだと、私は思います。

「新約聖書」の中には福音書が4つあり、それぞれの成立年代はおよそ次の通りと考えられているそうです:

  マルコによる福音書 紀元後70年頃
  マタイによる福音書  〃 90年頃
  ルカによる福音書   〃 80~100年頃
  ヨハネによる福音書  〃 85~150年頃
                 (『ちょっと私的に考える』50~51頁)

 谷口雅宣先生は「この年代を見て分かる重要なことの一つは、福音書がイエスの十二弟子の誰かによって書かれた可能性がきわめて少ないという点である。この年代の推測が正しければ、当時の人間の寿命を考えた場合、イエスの直弟子が自分たちの記憶を頼りに福音書を自らの手で著わすことは、ほとんど不可能と思われる」(『同書』51頁)と述べておられます。その理由は、イエスの死は紀元後25、26年頃である考えられているので、最も古い福音書である「マルコによる福音書」が書かれたのはイエスの死後45年が経っていることになります。これはイエスが生きていれば75歳になる年齢ですが、その頃は第1次ユダヤ戦争の末期で、ローマ軍によるエルサレムの大破壊が行われたので、弟子がそれだけの年齢を生き延びて書くということは極めて困難だと考えられる、従って、各福音書は、イエスの弟子と近い関係にあったがイエスから直接教えを受けていない人々が書かれたものと考える方が現実的である、というのです。

 このエッセーを拝読して私がとても興味を引かれたのは、それぞれの福音書が書かれるにはそれ相当の理由があった、ということです。それは、新しい福音書は前の福音書で足りない点を補完し、それまで含まれていない内容も意図的に含めた可能性がある、ということでもあります。例えば、「マルコ――」の次に編纂されたと考えられている「マタイ――」が書かれた理由について、谷口雅宣先生は研究者の説を紹介されながら、次の3つをあげておられます:

1.キリスト教をギリシャ文化圏に広めるため(ユダヤの文化とは違った文化)、ギリシャ神話にマッチした物語を挿入して、イエスの神聖性を際立たせる必要があった。それでギリシャ神話には処女から子供が生まれるという話がいくつも存在するので「処女懐胎」の話が挿入された。

2.当時、イエスは私生児だという噂が浸透していて、その噂を打ち消し、イエスの神聖性を正当化する必要があった。

3.キリスト教団が、ユダヤ教の伝統に則った正当な教団であることを示す必要があったため、「イエス・キリストの系図」を載せる必要があった。

 聖書に、「処女懐胎」の話が挿入されたなどという考え方は、伝統的なキリスト教会の人々には受け入れられないかもしれませんし、「憶測の域を出ない」ものもあり、すべてが正しいとは言えないかもしれません。しかし、どのような事情があっても、キリストの教えが2千年にもわたって世界の多くの人々に救いをもたらし、今もなお、イエスの愛が生き続けていることは事実です。イエスが神聖受胎していなくても、私生児であっても、復活していなくても、教えの素晴らしさに疑いを挟む必要はないと思います。

 そのようなことを考えると、聖典の一言一句を正しいと考える原理主義」的なものの考え方がいかに、ナンセンスなのかを思い知ることができると思います。そして、谷口雅春先生が説かれた、「真理は誰が説いても真理なのだ。イエスが実在の人物かどうかを問題にするにも足りない」ということが、素晴らしい光を放っているような気がします。

 そんなことを学生さんに伝えたかったのですが、どこまで伝わったかは分かりません。が、皆さん、とても真剣に話を聞いてくれて、有り難いことと思いました。

 ところで、当日の河口湖は昼間は割合、暖かかったのですが、夕方になると雨が降り出し、一気に気温が下がってきました。河口湖駅から養心女子学園までは歩くと15分ほどかかるのですが、授業までは1時間ありましたし、色々と風景を楽しみながら、ゆっくり歩くのが好きなので、20分ほどかけて歩いていきました。辺りはすっかり紅葉していて、日本ならではの美しい秋の風景を楽しむことができました。

 阿部 哲也

写真は、養心女子学園のお隣の河口湖練成道場の前で撮ったものです。

Autumn_leaves

| | コメント (4)

養心女子学園での講義

 15日(月)には、生長の家養心女子学園で聖典講義を行いました。養心女子学園とは、生長の家の教えに基づく、女性のための専門学校です。そこで、私が所属している教化・講師部講師課の講師の1人が毎月1回、講義に行くことになっています。それで今月は私の担当だったのでした。

 養心女子学園は山梨県の河口湖町にあり、JR河口湖駅から歩いて15分ほどのところにあります。講義は2時からですが、少し早めに到着できるよう、11時10分新宿発のバスに乗り、1時少し前に河口湖駅に到着。バスを降りて驚きました。立派なカフェとお土産屋さんが出来ていて、駅がすっかり変わっているのです。しかし木のぬくもりを感じさせてくれる木造の建物でしたので、あまり違和感を感じませんでした。それから歩いて、学園まで行きました。気温は9度ぐらいでしたが、それほど寒さは感じず、コートなしで大丈夫でした。

 養心女子学園には英語の講師として2004年、2005年に伺ったことはありましたが、それ以来なので5年ぶりです。また、話す内容も日頃とは違うので、今回は少し念入りに準備をしました。今回、テキストとして指定された書籍は、生長の家創始者、谷口雅春先生のご著書『生命の實相』頭注版第11巻で、当該頁は182頁から197頁です。

 この部分では、谷口雅春先生と何人かの信徒の方が座談会をしている場面で、その中のお1人の方が、イエスという人の実在性に疑問を呈し、福音書はイエスの使徒で、諸地方を旅したパウロが仏教の思想などを学んでそれをイエスに結びつけて造り上げたものではないか、という考えを披瀝しています。その後、別の方が、キリスト教の牧師さんにお会いしたとき、キリスト教が仏教よりも優れているのは、イエスという実在した神の子が説いた点である。それに対して仏教は、阿弥陀とか、大日如来と言ってもそれは釈迦が説いただけであって実際にいるのか分からないのであるから、ということを聞いたのだけれども、それはいかがなものでしょうか、という質問を投げかけたのでした。

 その質問に対する谷口雅春先生のお答えは非常に明快で、ポイントとなるものは、以下の5つだと思います:

1.生長の家では肉体は念の投影であり、その実在性を認めないので、イエスが歴史上の人物であったが故に、そのイエスの教えたるキリスト教が古今独歩で尊いというような議論は、生長の家から見れば取るに足りない議論。

2.未だイエスが完全に歴史的人物であるという確証をあげた人もなく、さらに聖書がイエスの教えどおり一言一句異わずに書かれていると確証をあげた人は一人もいない。

3.新約聖書は、何人もの人が書いた合作である。また、イエスが使っていたのは「アラム語」であるが、聖書の原書はギリシャ語で書かれている。また、原典は各章の各節が区分されておらず、句読点も曖昧である。その他、色々の書き足しや、削除があって現在の形になっている。

4.また、たとえイエスが歴史上の人物であったとしても、弟子は師のことを脚色して書くのものだから、それが本当かどうかは疑わしい。随って、『新約聖書』の偉大さはイエスが歴史的人物であると否とのごとき問題ではない。しかし、イエスを歴史的人物として否定するものではない。そんなことは問題にするに足りない。

5.真理は誰が説いても尊い。生長の家の神示には、「誰にてもあれ、生命の実相を説くところにわれは顕われる」とある。誰が説いても真理を説けばそこに神は顕れられる。なぜなら、神は真理そのものであるから。

 私は『生命の實相』は通算で6回は拝読していますし、この第11巻はもう少し拝読しているはずなので、これまでもこの箇所は拝読していはいるのです。ところが、生長の家総裁、谷口雅宣先生のエッセー「青年イエスの謎」(『ちょっと私的に考える』に含まれている、1999年に書かれたエッセー)を拝読した後に拝読すると、谷口雅春先生はすでに、何十年も前から、「史的イエス」について説いておられたことに気づき、驚きました。(続く)

 阿部 哲也

| | コメント (0)

3年半ぶりの講習会

 14日(日)は横浜アリーナで行われた神奈川教区の講習会を、家族とともに受講しました。その前に受講したのが2007年3月、東京でしたので、3年半ぶりです。私は現在、生長の家本部に務めており、教化・講師部講師課という、生長の家の講師のお世話をする部署に配属されているので、総裁先生が今、どのように教えを伝えておられるのかをとりわけしっかり学ぶ必要があります。ですので家族の理解を得て、親子室で受講する妻と娘と別れて、会場でじっくりとご講話を拝聴させていただきました。

 私の印象では、以前に受講したときよりも、参加者の方が熱心にお話を聞かれていたような気がしました。先生ご自身が言っておられましたが、44もの質問が先生に寄せられたそうで、質問に対するお答えを聞いていて、とても参考になりました。とりわけ「実相と現象」についてや神の三義(唯一絶対神、表現神、霊人)についての説明、宇治別格本山にある精霊招魂神社を参拝するときの心構え等、とても勉強になりました。また、「悪という実体があるのではない。欲望を通して見ると悪でないものが悪に見える」「自然破壊を放置しておけば、子や孫が戦争に関わらざるをえなくなる可能性がある」「人類が使っているエネルギーの5,700倍もが太陽エネルギーとして利用可能」など、ご講話でお話された内容の中には、ハッとするような内容がいくつもありました。この講習会で学んだことを、しっかり日々の生活や業務に生かしていきたいと思います。

 講習会を受講すると色々な人に会うことができます。お昼の時間は、親子室で家族と一緒にお昼を頂きましたが、何年も会っていない、同信の友人達に会うことができました。それぞれ結婚して、子供さんができて、皆さん、とても幸せそうにされているのを見て、嬉しく思いました。とても良い、リユニオン(再会)の場ともなりました。感謝、合掌。

 阿部 哲也

| | コメント (0)

娘の小学校受験(3)

 もし私たち家族がアメリカ(ハワイ)に住んでいなかったら、まず私立受験など考えなかっただろうと思います。ハワイでは子供が1人、あるいは経済的に余裕があれば、あるいは経済的に余裕がなくても何とか頑張って子供を私立に入れようとする人が少なくありません。それは、公立と私立では学習内容に、非常な差があるからです。

 これまで何度か書いてまいりましたように、ハワイでは小学校の準備科としてキンダーガーテン(kindergarten)があり、多くは小学校の中にあります。そのキンダーには日本の年中の年齢から通うのですが(正確に言うと年中の秋から)、そのときから初等教育が始まる、と考えるのです。それで私も何度か色々な方から、「先生のところはお子さんが1人なのだから、私立に入れたらどうですか?」と提案されたことがあります。最初はその言葉を意に介していませんでしたが、次第に、その意味を考えるようになりました。

 ずっとハワイに駐在することは考えていませんでしたし、自宅から歩いて1分以内の距離に、割合良質と言われている公立の小学校(キンダーを含む)がありましたから、私立受験は考えませんでしたが、娘を学校に通わせるうちに、皆さんが言っている意味が、次第に分かってきました。もちろんそこは、良質な公立小学校と言われている通り、先生もしっかりしていますし、学習内容も悪いとは思えないのですが、2008年に起きたリーマンショック以来、ハワイへの観光客が減少するなど、ただでさえ逼迫していた州の財政がさらに悪化し、2009年の途中からほぼ、授業が1週間で4日間のみとなってしまいました。先生への給料を(確か)17%カットして、その分授業数を減らしたのです。財政が悪化したからといって教育費を削るなどは誰の目から見ても良いはずはなく、知事もこれは苦渋の末の決断であり、あらゆる手段を尽くして一日も早く、授業数を週5日に戻すよう努力すると語り、実際に努力はされていたようですが、結局、2010年4月に娘が日本に戻るまでは、改善されませんでした。

 もちろんこれはハワイで起きた特殊事情ですが、その他にも、公立小学校についての色々な話を聞きおよぶうちに、借金してでも良い学校に入れたいという気持ちが次第に理解出来るようになってきました。

 ちなみに、イリノイ州議会議員だったオバマ氏を一躍全米で注目を集める存在になるきっかけとなった、2004年7月28日に行われた民主党党大会の基調演説の中で、オバマ氏はご両親は決して裕福ではなかったが、氏を地元で最高の教育を受けさせようとしてくれたことを述べている場面があります:

 My parents shared not only an improbable love; they shared an abiding faith in the possibilities of this nation. They would give me an African name, Barack, or "blessed," believing that in a tolerant America your name is no barrier to success. They imagined me going to the best schools in the land, even though they weren't rich, because in a generous America you don't have to be rich to achieve your potential.

(訳)両親は、類まれなほどの愛情を共有しただけではなく、この国の可能性に対する揺るぎない信頼をも共に感じていました。そして私にアフリカの名前、Barack(祝福という意味)を与えてくれました。寛大なアメリカでは、私が成功する上でこの名前が何の障害にもならないことを信じて。両親は裕福ではありませんでしたが、私がその土地で最も良い学校に行くことを心に描きました。なぜなら、寛容なアメリカにおいては、裕福でなくとも自分の可能性を実現することができるからです。 

 オバマ氏は、小学校の途中から中学の途中までインドネシアで過ごしますが、ハワイに戻ってからは、ご両親がイメージした通り、地元で最も優秀と言われる、プナホスクール(小中高一貫校)の中等部に編入し、同高校を卒業した後、カリフォルニア州の単科大学を経てニューヨークのコロンビア大学に進みます。

 だいぶ話が逸れてしまいました。。。話を戻しますと、当初受験を考えた学校はいくつかありましたがそれを2つに絞り、2つの学校の説明会に参加しました。8月下旬です。すると一方の方は、想像した通りか、それ以上に良い学校であるという印象を受け、もう一方はあまりピンときませんでしたので、受験校は1本に絞ることにしました。何年もかけて準備したわけではないですし、「ここに行かせたい」と心から思わないところに通わせる必要はないと思うからです。(続く)

| | コメント (0)

娘の小学校受験(2)

 インターネットで家から通える範囲の学校を探してみたところ、それほど多くはありませんでした。ましてや、国際感覚があり、できればミッション系という希望する学校となるとかなり絞られてしまうので、それに近いコンセプトの教育理念に掲げる学校なども対象に色々と調べていきました。いくつかここがいいな、と思うところは見つかったものの、受験に関しては、身近に経験したことがある人はほとんどおらず、ネットから得られる情報だけでは何を、どのように準備をすれば良いのか、あるいは、そもそもその学校を受験するのに相応しいのかなどの判断がつかないので、専門家(つまり幼児教室)に頼らざるを得ませんでした。

 ネットで調べて、家から割合近くの幼児教室を訪ねたのは8月上旬のことでした。ちょうど、夏季集中コースが始まる直前で、その教室の責任者の講師から色々と説明を受けたところ、志望する学校にはできるだけ多く足を運び、親子が肌で感じる“直感”を大切にした方が良いこと、わが家の娘の勉強に対する態度、集中力などから、今から準備しても間に合うかもしれない、とのことでした。相手も「商売」ですから、言われたこと全てを真に受けるわけにはいきませんでしたが、娘が大変勉強に意欲的であるので、結果は期待せずに受験をする方向で進めることにしました。

 一つ決めてになったのは、いくつかウェブサイトを娘に見せたところ、ある学校のサイトを見て、「私、この学校に行きたい!」と言うのです。それで、「ここに行くためには毎日お勉強しないと行けないんだよ」と言うと、「私、勉強する」と言うのです。その学校の受験日は10月11日で、準備期間は2カ月です。通常、“お受験”などと呼ばれる小学校受験の準備は年中(3年保育の2年目)から始まるそうですから、かなり気合いを入れて集中してやらなければなりません。しかも、やったからといって過度な期待はできません。さらに、受験する本人はまもなく6歳になる幼児ですから、その日の気分や体調によっては勉強がはかどる日もあれば、できない日もあります。それでも、小学校の教師の資格を持っている妻が、その学校の傾向を調べて、問題集を購入し、対策を始めました。また、その教室の夏季講習を受け、その後は定期的に通うようになりました。

 娘は宣言した通り、母親の指導を受けながら毎日勉強を続けました。一つ娘にとってアドバンテージとなったのは、ハワイでは5歳の時から通ったキンダーガーテン(幼稚園)では既に勉強が始まっていて、毎日宿題が課され、毎週テストも経験していたので、家で勉強をするのには慣れているのです。母親が上手に気分を盛り上げながらやったことは素晴らしかったと思いますが、娘が勉強が好きであり、負けず嫌いな性格なことも受験にはプラスに働きました。

 しかし最大の問題は財政面です。そもそも経済的に余裕がなければ私学受験など、考える余地はありません。しかし、家内の父が、「孫の教育費としていくらか貯金してあるからそれを使って良い」と財政的な援助を申し出てくれたので、何とか受験をすることにしたのですが、準備の段階から、お金が飛ぶように出ていきました。(続く)

| | コメント (0)

娘の小学校受験

 少し前のことになりますが、10月のはじめに娘が私立小学校を受験しました。小学校の受験はよく「親の受験」と言われるほど、親の果たす役割がとても大きいです。というのは学校側が、6歳そこそこの子供にテストをして、入学の可否を判断することはとても難しいため、親の面接にかかる比重が大きくなるようです。しかし子供のテストもなかなかしっかりと行われ、これは学校によりますけれども娘が受けた学校では、ペーパーテストのほか、行動観察と言って、子供に絵を描かせたり作品を作らせて、それに対して色々と質問をしたり、または、受験者同士が共同で何かを制作して協調性を見たり、指示をちゃんと理解して実践できるかを見たり、となかなか凝ったテストでした。

 ということで今回の娘の私立小学校の受験に際しては、親自身が色々な意味で勉強になり、家族の絆も深まる機会になりました。

 今年の春、約3年間にわたるハワイへの駐在を終えて日本に戻った私たち家族は、幾分、日米の習慣の違い戸惑うことがありました。しかし娘の場合は、物心がつき始めた、3歳直前にハワイに渡り、現地のプリスクール、キンダーガーテンに通い、現地の子ども達と交流していたため、私たちよりも戸惑いが大きかったようです。

 まず問題だったのは、語彙の数が少ないこと。普通に私たちと会話しているときには感じないのですが、幼稚園の先生の指示の意味が分からず、皆が理解していても1人ポツンとしていることがありました。それも当然のことです。ハワイでは、学校で使うのも英語、テレビも英語の番組を見ていたので、親と一部の友達との会話を除いては、英語で生活をしていたのですから。しかし、今は、ほとんど英語は理解出来ないようです。。。

 また、ハワイに比べて、日本は色々な点で細かい決まり事があり、また、友達との関係もハワイと比べるとウェットなので、慣れるまでは大変だったようです。しかもそれが、文化の違いから来るストレスであることが本人には理解出来ないので、どうしてフラストレーションが溜まるのか分からなく、余計、ストレスを感じていたようでした。

 それでも、今通っている幼稚園の担任の先生はとても理解のある方で、こちらの話を良く聞いてくださって、細かく対応してくれているので、幼稚園ではあまり悩むことなく過ごしているようですが、3年前まで仲良く遊んでいた近所の子たちとの関係は、娘を除く子ども達が同じ幼稚園に行っていたり(娘とは違う幼稚園)、既に仲ができあがっているのもあり、入っていくのには苦労したようです。

 娘の場合は、私たちがハワイで感じたような異文化体験を今、しているのではないかと思うのですが、幼いときであるので、割合早く適応しているようです。しかし、もし可能であれば異文化から来た子ども達を受け入れてくれるような国際感覚のある学校に入れて(授業は日本語で)、ハワイで学んできたことが生かされること、そして、プリスクールがミッション系のスクールで1人1人の個性をとても大切にする教育をしてくれたのもあり、宗教的な雰囲気のある学校に入れることができれば、と考えるようになりました。

 それで、幼稚園を一度変更したり、引っ越しの荷物を片付ける目処がついた7月の終わりから色々とリサーチをし(それまでもしてはいましたが)、受験を具体的に考えるようになりました。(続く)

| | コメント (0)

神癒祈願

 私は現在、生長の家本部の教化・講師部の講師課に務めています。ここでは生長の家の職業としての講師である本部講師(補)やボランティア講師である地方講師のお世話をするのが主な業務ですが、毎月2回ほど、神癒祈願のお祈りを担当させて頂いています。

「神癒祈願」は、「神癒」すなわち「神の癒し」を祈願すると書きますが、「神の癒し」と言っても、生長の家では「人間は神様の生命を生きる神の子」と考えていますので、人間に本来備わっている「神性」を呼び起こすことにより、「病気なし」「迷いなし」「あらゆる不幸なし」の人間の本当の姿を現すことを祈願するものです。

 生長の家本部の「神癒祈願」は私が属している教化・講師部の宗務課という部署が担当していますが、私も同じ部に属しているので、月に2回ほど1時間、お祈りを担当する時間を頂いています。

 このお祈りは普通は職員が入ることができない「光明の塔」に入って行います。赤い絨毯の階段をずっと上っていくと、身の引き締まる思いがします。そして長い間に渡って先輩の講師の諸先生方がお祈りを続けてこられ、今も真摯な祈りが受け継がれている「祈りの間」に入ると、温かいのですが凛とした雰囲気を感じます。

 私にとってはこの1時間は、ただひたすら祈願を申し込まれた方のために祈りを捧げる、とても貴重で大切な時間です。自分自身が色々悩んだり、考え込んだりすることがあっても、ひたすら祈った後はいつも清々しい気持ちになります。こういう機会を与えて頂いたことに心から感謝しています。

 なお、生長の家のウェブサイトに、神癒祈願のことが掲載されています。詳しくはこちらをご覧ください。

 阿部 哲也

| | コメント (2)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »