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今回の大地震

 はじめに、この度の東日本大地震で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げ、また負傷、あるいは被災に遭われた方が一日も早く立ち直られますよう、心からお祈り申し上げます。また、復旧作業のために働いて下さっている方々、有り難うございます。

 ITの技術が普及している時代を反映して、色々な国の方が応援やお悔やみのメッセージを送って下さっているのがとても有り難いことと思います。ツイッターでは、「Pray for Japan」というタグが貼られ、多くの方が書き込んでくれています。これも新しい技術の素晴らしい活用法だと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110311-00000061-zdn_n-inet

 私はその日、地方講師試験のため、神戸へ出張中でした。埼玉に用事があって出かけていた妻から電話が受験者の方との面接中にあったため、面接が途切れたときに電話をかけ直したのが午後2時30分頃でした。「後で用件をメールを送るから」と妻が言ったので「分かったよ。待っているから」と言って電話を切ったのですが、地震が起きたのはその直後です。しかし、神戸では全く揺れを感じなかったのでそのような大地震が起きたとは知るよしもありませんでした。

 数人の方の面接が終わり、ホテルにチェックインをして、市内の大手書店に立ち寄った際、携帯電話のメールをチェックしたのですが入っていません。それで電話をしたのですが、何度かけても「接続ができません」と出てきます。これは電話回線がおかしいのだろうと思い、本屋を出て通りを歩いていると何となしに地震とか、津波とかいう言葉が聞こえてくるのでした。私は、そんなに大きくもない地震が関西地域で起きたので自分は揺れを感じなかったが、一時的に電話の回線の使用が増え、回線がつながらないのだろう、などと思っていました。

 その後、書店の近くが三宮駅だったので翌日に乗る電車の時刻を調べに駅まで足を伸ばしたところ、新聞の号外が駅の柱に貼ってあったのを見て、初めて大変な事態になっていることを知りました。それで、私の家がある千葉県北西部は震度6弱、と書かれていてさらに驚いて、家に電話をかけ続けましたがかかりません。それで公衆電話で自宅の固定電話にはつながりましたが、妻は出かけているので留守電になっていました。それにしても震度6弱とは尋常ではありませんから、その時間は幼稚園にいるはずの娘の安否が非常に気がかりでした。

 その後、静岡の母から家内にメールを送って欲しい、という電話を受けたので、すぐにメールをして、ホテルに戻ってパソコンを開けてみると、幼稚園の園長先生から「園児は全員無事です。至急迎えにいらしてください」というメールが入っていました。家内もそれは見ているはずなのですが、おそらく携帯からは電話が出来ないのだと思います。と思っているうちに、奇跡的に妻と携帯で連絡がつきました。妻は埼玉に自分の父親といるときに大地震に遭ったのですぐにタクシーで幼稚園にかけつけているが大渋滞で動かない、ということを幼稚園に伝えて欲しい、とのことでした。

 携帯とホテルの電話から幼稚園に電話をしてもつながらないので、近くのコンビニの前にある公衆電話を使ったらすぐに通じました。すると既に妻とは連絡が取れていて、妻が幼稚園に何時に着けるか分からないので娘は、幼稚園から徒歩圏内に住んでいる事務の先生のお宅に泊めて頂くことにしたのでした。1人での外泊は初めてですが、本人は楽しかったようです。

 その後、家内は義父とともに午後9時半頃には無事に帰宅することができ、また、電気、ガスも使うことができたとのことで、大変有り難いことでした。

 私はといえば、通常は地方講師試験の前日は早くて夕方、あるいは夜に現地に着くように行くのですが、兵庫の翌日には長崎で試験があるため、筆記試験が終わったらすぐに移動する必要があり、前日の午後の早い時間から面接をする段取りを取っていたのです。それが功を奏し、兵庫教区では予定通り試験を行うことができました。もし、面接が前日に行われなかったら、今回の試験は予定を延期しなければならず、多くの方に影響を与えるところでした。大変有り難いことと感謝しています。そして、午後10時すぎに長崎駅に予定通り到着しました。

 被災地が一日も早く復興されますよう、重ねてお祈り申し上げます。

 阿部 哲也

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コメント

伊勢―白山 道というブログを読んでみてください。生長の家の教えは確かにすばらしいかもしれません。しかし、その入り口に入ったため、迷い込んだ人間が多いです。自分には神想観や甘露のほう雨の読み方が足らない、と思いだし、万教帰一だからと谷口先生と同じような教えのところを放浪して身動き取れなくなった人間がたくさんいます。私にとっても、生長の家を知ったことが不幸の始まりでした。親の代からだから仕方ないですが。今の世の中変わってきてますが、若い世代の人たちが、そのブログを読んで目覚めてきているからなんです。

投稿: ルリビタキ | 2011/03/14 04:14

ルリビタキさん、
 
 コメント、ありがとうございました。お返事が遅くなって申し訳ありません。

 ご自身も書いておられますが、どんな良い教えであっても、確かに受け取り方によっては、あまりプラスにならないかもしれませんね。それはとてもよく効くお薬であっても、処方の仕方を間違えるとかえって良くない結果を招くようなものだと思います。

 たとえば、「神想観や『甘露の法雨』の読誦をすると、ますます運命が良くなりますよ」と書かれているのを、「神想観や『甘露の法雨』の読誦をしないと運命が悪くなる」と受け取るとすると、その思いの方向に、すなわち運命が悪くなる方向に進んでいくこともあると思います。

 生長の家は教え自体もとても自由ですが、生長の家に入る、入らないも自由です。嫌なものを信仰する必要はありませんが、また戻って来たくなられたら、いつでも戻ってくることが出来るのが生長の家の懐の深いところだと思います。

 それを信仰していてご自身が生き甲斐を感じ、人様や社会、地球生命のお役にたつものであれば、何を信仰していても、それは素晴らしい信仰だと、私は思います。

 阿部 哲也

投稿: 阿部 哲也 | 2011/03/18 18:32

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