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祖父の旅立ち(2)

 6月1日に他界した祖父の通夜は6月2日に、葬儀は3日に法蔵寺という堅田家の菩提寺で厳かに執り行われました。2日の夜に対面した祖父は、とても穏やかで、安らかな表情で、まるで眠っているようでした。通夜が終わり、会葬してくださった方々が帰ると、それまで静かにしていた祖父のひ孫たちの“運動会”が始まりました。小学校1年生が3人いますので致し方ありません。祖父も、微笑みながら見守ってくれていたと思います。

 祖父の戒名は、「實相院緑壽慈豊居士」。お寺で付けて頂いた戒名に「實相」の文字があることに、家族一同、驚きを隠せませんでした。生長の家の信仰に触れて75年、み教え一筋に生きてきた祖父に相応しいものと感謝しています。

 祖父の体は祖父が生前好んできていた紫色の着物に着替えられ、遺体には沢山の花が添えられました。また、多くの方のご愛念で沢山の花輪で祭壇が飾られました。祖父は花がとても好きな人でしたので、祖父も喜んでいると思います。

 葬儀では弔辞として、4人のひ孫がそれぞれかわいらしくお別れの言葉を述べ、私も孫の代表として述べさせていただきました。当日は原稿を見ないで写真に語りかけようと思ったのですが、写真に写った優しく微笑んだ祖父の顔を見ると思いがこみ上げ、涙が溢れてくるので、話している間はあまり写真を見ることができませんでした。そのときに作ったドラフトを下記に掲載いたします:

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 私がおじいさんが亡くなったを知ったのは、札幌への出張中、仕事が終わり、札幌駅近くの駅で電車を待っているときでした。母から届いた短いメールでした。その後、羽田行きの飛行機に乗りましたが、空席が多かったので窓側の席を取り、外の景色を眺めていました。するとそこには、どこまでも続く美しい雲海、夕暮れに沈む太陽が山々を照らし、この世のものとは思えない、美しい、荘厳な風景が眼前に広がっていました。私はそのとき、「ああおじいさんは神様、仏様に守られ、静かにこの世界から旅立ち、こんな美しい世界にいるんだなあ」という感慨に満たされていました。そして、おじいさんは幸せの最中にいる、という何とも言えない温かい感情がわき上がってきました。そして、おじいさんとの様々な思い出が次から次へと心に浮かび、涙が溢れてきました。飛行機の隣とその隣の席に誰もいなくて良かったです。。。

 小学生の頃、おじいさんのお家によく遊びに行きました。そして夏休みや冬休みには泊まりに行ったのですが、平日に泊まるときには大好きなおじいさんに早く会いたくて、おじいさんが自転車で帰ってくる道を迎えに行ったものです。それでおじいさんの自転車の後部に乗せてもらって帰ってくるのを楽しみにしていました。ところがある日、おじいさんはいつもと違った道を通り、僕に会わずに家に着いてしまったのです。僕が迎えに出ていることをおばあさんから知らされたおじいさんは、スーツのまま自転車にまたがり、また戻って、いつもの道を通り、何食わぬ顔で僕を乗せて帰ってくれましたね。後からおばあさんから聞きました。

(祖父の旅立ち(1)で紹介した内容の概略を述べた上で)おじいさんは、信仰を口で語るだけではなく、信仰を生活にそのまま生きるお手本のような人でした。信仰者としてはおじいさんの足もとにも及びませんが、おじいさんが身をもって生きて、伝えてくれた生長の家の信仰を僕も生き、微力ながら伝える活動にまい進していきたいと思います。

 2000年を前にした年末年始、おじいさんはおばあさんと、僕の両親、そして僕、妹2人、それぞれの配偶者総勢10人を沖縄旅行に招待してくれました。豪華なホテルに宿泊し、飛行機もファーストクラスでの移動と大盤振る舞いでした。私たち兄弟が結婚して、家族が増えるとおじいさんはますます、家族の精神的な中心になっていきましたね。それは威張ったり、権威ぶってそうなったのではなく、おじいさんの包容力と徳によって、自然に、皆がおじいさんの周りに集まってくるようになりました。

 僕が2007年から2010年までハワイに行っている間、少しずつ体の機能が衰えていきました。僕はその3年間、一度も日本に帰国する機会がなかったので、おじいさんの体のことは聞いていましたが、電話でおじいさんに「ハワイに来てね」と言うと、「そうだね、ハワイに行きたいね~」と元気に答えてくれましたね。おそらく、それは無理だと言うことは分かっていたのでしょうけど。おばあさんが生長の家本部を退職してから献身的な介護をしたのをはじめ、多くの家族がおじいさんの介護を通して、心が一つにつながっていきました。これもおじいさんが、身をもって家族の大切さを教えてくれたのですね。先ほど、このお寺に献資した人のお名前が貼られているボードがあったのですが(献資額の多い順に記載)、おじいさんの名前は一番前の方にありました。見えないところで、いつも愛行、献資をしていたのですね。

 昨年、日本に帰国し、今年の正月にようやく家族でおじいさんに会うことができました。そのときは家族全員がそろい、14名で賑やかに、楽しい時を過ごしましたね。それから1カ月もしない、1月の下旬、僕は出張で滋賀県に行ったのですが、どうしてもおじいさんに会いたくなり、出張前の時間を使って2時間ほど、おじいさんのおうちに寄りました。おばあさんの手料理を頂いて、色々と話をして、おじいさんが「哲也、毎月来てくれよな」と言ったので、「そうだね、毎月は難しいけど、出来るだけ来るようにするよ」と言って、出張先へと向かいました。それが今生の別れになってしまいました。

 93年の長きにわたり、真摯に教えを学び、行じ、伝え、家族を心から愛し、世のため、人のために労を惜しまない、人生の範を示してくれました。生長の家では、人間は死なない、永遠不滅の生命であることを教えていただいています。毎朝、おじいさんの大好きだった聖経『甘露の法雨』を読み、おじいさんを招霊しますから、聞きに来てくださいね。そして家族を、生長の家の人類光明化運動・国際平和信仰運動を導いてください。

 おじいさんへの思いは尽きませんが今日はこの辺で。ありがとう。おじいさん。

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