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祖父の旅立ち

 去る6月1日、母方の祖父、堅田豊が他界しました。享年93歳でした。私は今年の3月に生長の家が提供するラジオ放送「幸福への出発」を担当させていただきましたが、第2週目の放送で祖父の体験を紹介しながら、教義の解説をさせていただきました。祖父の入信のきっかけ等にも触れているので、その部分を以下に転載させていただきます。なおこの原稿を用意したのは、昨年12月です。

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 ところで、私の家族は両親をはじめ、多くが生長の家の信仰者ですが、とりわけ母方の祖父と祖母は大変熱心な生長の家の信仰者であり布教者です。祖父は生長の家が創始されて10年も経たない昭和10年代のはじめ、肋膜炎のため自宅療養をしていたとき生長の家に触れました。姉の婚家先の書棚にあった創始者、谷口雅春先生のご著書『生命の實相』を見つけて、「病気は本来ない」「認めたものが現れる」などの真理に大変感銘を受けたのです。そして、「私は神の子だから病気は本来ない。健康なのが当り前なのだ」との自覚を得、次の日から職場に出勤し、それ以来健康になってしまったという体験を持っています。それから、祖父は住まいのある静岡から東京に出たときには、当時、赤坂にあった生長の家の道場に通って、谷口雅春先生のご講話を聞くなどして信仰を深めるようになりました。

 祖父はそれ以降も熱心に教えを学び、また多くの人にこの教えを伝えたいとの思いが強く、ボランティア講師である地方講師にもなり、一層、伝道に励んでいました。昭和50年代のはじめ、祖父が会社勤めをしていたときのことです。その会社の社長さんは、生長の家のことを大変理解してくださっていて、祖父が生長の家の幹部をしていることを知り、「それは人のためになることだから大いにやってください」ととても喜んでくれるような人でした。ところがある日、その会社の社長さんが突然亡くなってしまったのです。その後、その会社は事情があって整理されることになりました。

 祖父はそれでも、「大丈夫。どんなことが起こっても必ず良くなる」と信じて疑わなかったそうですが、祖母はその後のことを考えると、とても心配でした。社長亡き後の業務整理を、他のどの社員よりも熱心にしていた祖父は、ある日会社から祖母に電話をかけて、「今日は素晴らしい日だから、お赤飯と鯛でお祝いの用意をしておいて」と言ったそうです。それで祖母は、祖父の新しい就職先が決まったのだと思い、「どんなことがあったのですか?」と聞いたら、「今日で、会社のことは全て整理がついた。僕は今日から失業者だ。神様、ご先祖様に感謝して、新しい人生の出発を一緒にお祝いしよう」との答えでした。

 祖母は内心とてもがっかりしました。祖父はそのとき60歳の少し手前。車の運転はしない、ソロバン以外は使わない、ペンより重い物を持ったことのない人の就職先がどこにあるのか、と思ったのでした。その後、生長の家の布教活動を自由にやることができるようにと、小さな会社の経理担当者として勤務することになりました。

 その会社はしかし、経営がうまくいかず負債を抱えており、社長はときおり祖父に、お金を貸してくれるよう頼んだのでした。祖父はとても気持ちの広い人でしたので、社長の求めに応じて、少しばかりの貯金を出すようになりました。それで貯金がほとんど底をついた頃、こともあろうに、その社長が祖父が出したお金をもって行方不明になってしまったのです。しかし祖父はそれでも決して人を恨まず、自暴自棄にもならず、次のように祖母に言ったのです。「僕は前世で借金をしたのだけど、それを返さなかったのかもしれない。これで全部返済できたのだから有り難いことだね。これから良くなるぞ、益々よくなる。嬉しいね」と。念のために申し上げますが、生長の家では金銭の横領に対して社会的責任を問わなくてよい、と考えているのではありません。この事例では、何事かよくないことが起こったときでも、考えようによっては感謝の心を持つことができる、ということを示しているものです。

 さて、その後、間もなくして、ご縁があってリサイクルを専門にする会社への就職が決まりました。地球環境問題がクローズアップされている今でこそ、リサイクルを専門にする会社はいくらでもありますが、昭和50年代では大変珍しい会社でした。しかもその会社は、人材もリサイクルする会社で、当時社員はほとんどが中途採用者でした。祖父は当時60歳の手前でしたが、誠実な働きぶりが評価され、役員となり、給料も上がり、85歳でリタイアするまで元気でその会社に勤めることができたのです。ちなみにその会社のモットーは、「感謝の心」だそうです。

 祖父は、良い条件を与えられたから感謝をしたのではありませんでした。何事が起こっても人を責めず、恨まず、自分の心を反省し、そして感謝すべき点を見つけ、明るい心で努力をしたのでした。そのような祖父から生長の家を伝えられた祖母は、とても厳しい姑に対しても、徹底して礼拝と感謝の生活を送り、本当の親子以上の信頼関係を築き、100歳の誕生日を目前にあの世に旅立った姑の最期を看取ったのでした。そして、生長の家の教えを熱心に布教するようになり、やがて生長の家本部の職員となり、本部講師となり、女性の組織である生長の家白鳩会の副会長として東奔西走し、皆様から惜しまれながら、4年前に定年をむかえ、退職をしました。現在は、祖父を介護しながら、楽しく暮らしています。(引用終わり)

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