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ボランティア

 東日本大震災があって、多くの方がボランティア活動をされていて、本当に素晴らしいと思います。現地に行くことがかなわない私も、何かできることはないかと思っていたところ、大変微力ではありますが、あることに思い当たりました。

 私は家内とともに、13年前からある非営利団体を通して、途上国の子供達の自立を支援するプログラムに参加し、毎月いくらか献金するということを続けています。そのときはまだ子供がいなかったので、日本のような先進国ではない国々の子供達の現状を知り、少しでも支援をしたいと思って始めたものです。そのプログラムでは直接、献金したものがある一つの家庭に届くのではないのですが、支援する側と支援を受ける側の顔が見える方が双方にとって良いということで、スポンサーとその受け手を決めて、受け手の方はスポンサーに現状を報告し、スポンサーの方もお手紙や安価なプレゼントをあげたりして交流するシステムを取っています。

 その際、色々な国の言葉に訳すボランティアを募るのが大変だからでしょうか、まず、書かれた手紙はどの国の言葉であってもまず英語にすることになっているようです。現地語と英語の翻訳はできる人を確保するのはある程度、出来るということなのではないかと思います。

 そのことを知った私は2006年から、同団体に翻訳ボランティアとして応募し、同年からスポンサーと受け手が交流するお手紙の翻訳を始めました。だいたい1年間に3、4回、20通の手紙を訳すことになっています。「日→英」か「英→日」かは自分で選べますので私は半々にしてやっていました。ところが2007年6月からハワイに赴任することになったので、翻訳ボランティアは終了することにしました。それをやっている余裕はないと思ったからです。

 それで昨年帰国をしてからは、引っ越しがあり、娘の受験、震災、そして再度引っ越しなどがあって、翻訳ボランティアの事は忘れていたのですが、多くの方々が震災のボランティアをされていることを知り、今、何かできることはないか考えていたときに、このことを思い出したのです。早速、同団体の事務局の方に連絡をしたところ、「すぐに翻訳を依頼する通信文を送って良いですか?」と言ってくださったので、喜んで引き受けることにしました。

 だいたい2、3週間の間に20通の文章を訳すのですが、1枚あたりの分量は短い場合が多いのですが、難しいのは、書いてある英語を判読することです。今回は、「英→日」の通信物が多いということでしたのですべて20通すべて「英→日」だからそんなに大変ではないと思ったのですが、ベトナムの翻訳ボランティアの方が「ベトナム語→英語」に訳した、そのアルファベットが読みにくくて、とても大変でした。それに加えて、ネイティブでは使わないような(ベトナム語的と言いましょうか)表現があり、訳すよりも判読する方に時間が必要でした。それでも何枚か読んでいると似たような表現が出てきて、無事に全部理解できたと思います。

 ベトナムの子供達の手紙では、震災でスポンサーが被害に遭わなかったかどうかを気遣い文面が多く、胸を打たれました。昨年10月、ベトナムで起きた洪水のことに触れてあるものもあり、「日本とベトナムで自然災害が起こりませんように」などと書かれたものもあり、校正しながらうるうるしてきました。

 そうたいしたことはできませんが、出来る限り続けていきたいと思います。

 阿部 哲也

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ブログを書くことで得られること

 谷口雅宣・生長の家総裁のご著書『小閑雑感Part18』に、『「わかる」ということ』というタイトルの連載記事があります。このタイトルでの記事は全部で11、関連記事を含めれば13というシリーズものです。

 この連載の中には、分かるということどういうことかについて、細かい分析がなされていてとても興味深く拝読したのですが、その中の一つとしては「言語化して整理すること」の大切さがあげられています。その中で、2歳の男の子がビールを口の中に入れたことを仮定した場合のことが書かれています。『同書』177頁から引用させていただきます。

 この体験の後、男の子はその少ない言葉と概念を使って、自分の生活の中でのこの体験の位置を確かめようとするだろう--母親が禁止したものを口に入れて、大変なめに遭ったこと。世の中には、母乳や牛乳やジュースなどの美味しいもの以外にも、苦いもの、まずいもの、強烈なものがあると知り、そういう“危険物”のカテゴリーの中に「ビール」が投げ込まれる。そして、目に見てきれいなものでも、口に入れると危険な場合がある、などと知る。そういうように実際の体験を“左脳的”に咀嚼した後に、初めて「ビールがわかった」と言えるのではないだろうか。2歳の男の子場合、この作業は十分にできるとは思えない。体験を整理するための言葉や概念の数が足りないからだ。が、私がここで言いたいのは、人間が何かを「わかる」ためには、単に感覚的な体験を得るだけでなく、その体験を論理的に整理し、判断することが必要だということだ。(『同書』177~178頁)

 引用を終わります。

 私がこのブログを始めたのは2006年(平成18年)7月30日ですので、今月末でちょうど丸5年続けたことになります。あまり頻繁に更新できているわけではありませんし、必ずしも有益な情報をお届けしているわけではありませんが、その時々で心に強く残ったこと、ぜひ、これはお伝えしたいと思うことを書くことにしています。振り返ってみて、とにもかくにも5年間続けてこられた理由としては、読んで下さる方がいること――時々、思いがけない方から「読んでいますよ」と声をかけて頂くことがあります――、それと、自分自身が漠然と考えていることや体験したことを整理できる、ということがあるのだと思います。

 例えば最近の例では、去る6月1日に母方の祖父が93歳で他界しました。祖父は小さい頃から色々な面でお世話になった人で、生長の家の信仰の大先輩でもあり、尊敬する人ですが、ここ数年は日本を離れたりしていたこともあり、あまり会う機会がありませんでした。それでも、祖父が他界したというときには胸に様々な思いが去来しては消えていくのですが、それは何だろうと書き進めていくと、次第に自分の心の中の整理ができてくるのでした。先ほどの『小閑雑感』の中の言葉をお借りすれば、祖父のことについて何かを書くということは、祖父の死は自分にとって何なのかを「分かる」ための方法でもある、ということができると思うのです。もちろんそれを持って全てが「分かる」わけではありません。しかし、書かないよりも書くことにより、遙かに「分かる」度合いが増えたことは間違いありません。書くことによって、これまで忘れていた、祖父が自分にとってどれだけ有り難い存在だったことを具体的に振り返り、思い出すことができ、それは自分の人生にとってどんな意味があるのかということがよりクリアに理解できるようになると、祖父への感謝と尊敬の念が一層深まり、毎朝、ご先祖様を個別霊を含めて奨励して『甘露の法雨』を読誦する際に、より気持ちを込めて行うことができるような気がします。

 なおこの5年間のうち、3年間はハワイで過ごしました。ハワイは観光目的では魅力的な場所ですし、夏でも夜は涼しく(熱帯夜がありません!)とても過ごしやすくて良い所ですが、いざ仕事となると色々な面で厳しい環境にあり、行き詰まったこともありました。が、そんなときにブログを書いて自分を見つめ直したり、なお明るい部分を見ることができることを再確認するなど、多くの点でブログを書いていたことで自分自身が勇気づけられたりしました。

 今、フェイスブックやツイッターなど、新しい手段で表現ができるようになり、ネットでのやりとりは“多様”な形でできるようになりましたし、これからもそういう方向に進んでいくと思います。これはとても素晴らしい可能性を秘めていて、そちらの方面ももっと勉強したいと思いますが(一応、ツイッターはやっています。フェイスブックは人が書いたのを読むのと、たまにコメントをする程度です)、ブログではある程度考えたことをまとめて書くことができるので、生長の家の教えに基づいたものの見方を自分なりに表現していこうと思っています。

 阿部 哲也

P.S. なでしこジャパン、ワールドカップ優勝、おめでとうございます! ドイツに勝つまではあまり事情を知りませんでしたが、長い時間をかけて目標を定め、恵まれているとはとても言えない練習環境で地道に練習をしながら目標に向かって突き進む姿勢、決してあきらめない精神力、そして「フェアプレー賞」の受賞、監督と選手、あるいは選手間の固い絆など、これまでの数々の素晴らしい蓄積があることを、遅まきながら知りました。これだけの結果を残したのですから、これ以外にも沢山、人生全般の参考になることがあるのだと思います。今後出てくる情報を楽しみながら、勉強したいと思います。こういう快挙を目に(耳に)すると、とても元気になります。ありがとうございます!

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しぞーかおでん

 お味噌汁、お雑煮、カレー、日本のどのお宅でも食卓にのぼるこれらのメニューは、地方によって味付けがずいぶん違うものですが、おでんもその一つです。おでんに関しては私が生まれ、育った静岡ではとりわけ、独特の味付けと文化があるようで、最近そのことを知りました。「静岡おでんの会」(http://oden.cocolog-shizuoka.com/)なるものがあり、全国に「静岡おでん」をPRしているようです。先日、自宅があるさいたま市浦和区のあるスーパーで、静岡の物産展をやっていて、「静岡おでん」が売られていたので、久しぶりに「―おでん」を食べたところ、ノスタルジーに火が付いて、色々調べてみたくなりました。ちなみに、静岡のことを静岡の人は「しぞーか」と呼んでいます。そう言えば、静岡を18歳で静岡を離れるまでは私もそう呼んでいました。。。

 静岡(しぞーか)おでんの特色の一つは、黒はんぺんを入れるところです。黒はんぺんとは、つみれを半月状に平たくしたようなものですが(写真と説明はこちら)、静岡の人はそれを「はんぺん」と言います。妹が言っていましたが、コンビニのおでんの中に「白はんぺん」が入っているのを見てびっくりしたそうです。この黒はんぺんは特にものすごく美味しいものではないのですが、静岡以外ではなかなかお目にかかれないので、ないと欲しく、懐かしくなるからか、静岡の人たちが同窓会を関東など、静岡から離れた土地で行うときには、この黒はんぺんをクール宅急便で静岡から送ってもらって、郷土の味に舌鼓を打つ、というのが定番のようです。高校の母校の同窓会報にも、「黒はんぺん」の話題は必ずと言って良いほど入っています。。。

 さて、静岡おでんのもう一つの特色は、駄菓子屋におでんがある、ということです。先ほどの「静岡おでんの会」のウェブサイトによると、静岡おでんには、「居酒屋系」と「駄菓子屋系」があるのだとか。静岡人としては、駄菓子屋におでんがあるのは当り前で、夏休みのお楽しみの定番としては、プールに行って、帰りに駄菓子屋に寄っておでんとかき氷を食べる、というものでした。でもそれは、静岡だけの習慣だということに気づいたのはつい最近です。

 それで、私が住んでいた家と母校の高校の割合近くにある、「おおやきいも」というとてもレトロなおでん屋さん(一番下に写真があります)があるのです。そこは何でも、改装しようとしたら常連客から「昔のままがいい」と反対があって改装できなかったと言われているのだそうで、私もずっと行きたかったのですがなかなか機会がなくて行けなかったお店でしたが、先日、祖父の四十九日で帰省した際、ようやくそのお店にいくことができました。妹たちが、お昼時は行列ができるから11時ぐらいに行った方が良い、というので、11時にそこにいた家族9人で行きました。真夏日の暑い日ですが、クーラーはありません。それでも、私たちがおでんを食べ、かき氷を食べている間、ひっきりなしにお客さんが訪れてきました。

 そのことを生長の家が運営している、喜びを投稿するサイトであるポスティングジョイ(英語版)に書き込んだところ、ロサンゼルスに住んでいる、アメリカの生長の家の幹部で、日本語と日本の文化にとても通暁しているアメリカ人女性から、「駄菓子屋におでんですか? 駄菓子屋は子供が行くところですよね? 子供がおでんを喜んで食べるのですか?」という内容の質問が来ました。私は小さい頃から、駄菓子屋でおでんを食べていたので何の違和感もないのですが、確かに駄菓子屋で子供がおでんを食べるのは一般的ではないと思います。下記はそのときのやりとりです。日本の方もコメントを下さっています:

 http://eng.postingjoy.com/users/67101005104656/diary/show/61420

 そのほか、静岡おでんは出汁の色(もちろん味も)、そして、青のりとかつおを削った粉をかけて頂くのもとても特徴があります。

 これまで、自分がこれまで当り前だと思っていたことも、他の人にとっては当り前ではないことがあるということを何度も経験してきましたが、おでんについては最近まで、全く意識していませんでした。意識しないときには、特に食べたいとは思わないのですが、意識し始めるととたんに食べたくなるのが不思議です。

 私は18歳のときに静岡を離れ、名古屋市に5年間住みました。そこで、実家のある静岡とはずいぶん別の暮らしがあることを学び、そしてその後東京に出て、また、さらに別の暮らしを体験しました。結婚して今年で14年経ちましたが、結婚当初は、家によってこうも考え方が違うのか、ということに驚くことがよくありました。そして、2007年から2010年まで日本を離れ、ハワイで暮らしてみて、自分がこれまでどういうことを習慣としていて、今、何に戸惑っているのだろうかということを考えることが多く、自分とは一体何者なのかとか、自分はこういう環境で育ってきたから、このように考えるという説明をする機会が多くありました。

 少しおおげさかもしれませんが、自分がこれまで生まれ、育ってきた場所の特徴的なことを知り、それを人々に説明することは、相互の理解を深め合うきっかけになると、私は思います。今はインターネットで世界の人々の暮らしやものの考え方が瞬時に分かる時代です。そのような時代においては、相手のものの考え方をよく理解し、自分の生き方や考え方もしっかりと説明する能力はますます必要になってくるのだと思います。

 阿部 哲也

※「おおやきいも」さんの写真はこちらから http://twitpic.com/5oygt3

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電気自動車に試乗

 少し前のことになりますが、去る6月24日、初めて電気自動車を運転しました。

 生長の家では、谷口雅宣総裁の指導のもと、10年以上も前から、化石燃料から自然エネルギーにベースをおいた、持続可能な社会社会への移行を実現すべく、様々な側面において環境に配慮した生活実践をすべく努力を続けていますが、その中の一つとして、電気自動車の普及促進があります。

 とは言っても、個人が購入するには充電設備等を含めるとまだ手が出ない値段ですので、まずは本部事務所他、いくつかの事務所で購入して、職員が利用しています。それで、2001年にISO14001の認証を取得し、今も更新を続けている本部事務所全体の今年の取り組みとして、各部署毎に電気自動車に試乗して、充電をするという体験を通して、電気自動車の素晴らしさを伝えるということを盛り込みました。

 それで私が所属する教化・講師部講師課では去る6月12日に施設課の担当者の方から電気自動車の説明を受け、実際に試乗しました。ただ、そのときは運転はしませんでしたので、6月24日、生長の家が提供するラジオ放送「幸福への出発」の録音に立ち会うため、赤坂にある世界聖典普及協会のスタジオに行く際、いつも運転してくれる方にお願いして、運転させてもらいました。

 私が運転したのは三菱自動車のアイミーブです。アイミーブのウェブサイトはこちらです。

 車の大きさとしては軽自動車ほどですが、馬力は1,000CCぐらいの普通車ぐらいはあるのではないか、と感じました。男4人で乗りましたので、アクセルを結構踏み込む場面もありましたが、全体としては非常にスムースに進んでいく感じがしました。

 ガソリン車との大きな違いは、スイッチの部分です。鍵を差し込むのではなく、電化製品のスイッチを入れる、という感覚です。ボタンを押すのではありませんが、スイッチをしばらく捻っていると電気が入りました。後は同じです。ただし、音はとても静かで、乗り心地はとても良いです。

 アイミーブの走行距離はフル充電した後で120kmだそうで、後、何km走るかということが表示されるのですが、エアコンを付けるとその数字が一気に減ります。私が見たときには20kmぐらい減ったと思います。無闇にエアコンを付ける気にはなりませんでした。

 充電は、急速充電装置と通常の充電装置が本部事務所に設置されていますが、写真に写っているのは通常の充電器です。急速の方は慣れるまでに少し時間がかかりそうですが、通常のものは、感覚的にはコンセントを入れるのと同じ要領でした。


 現在、JAF(社団法人日本自動車連盟)は全国3箇所に急速充電装置を設置したほか、日産自動車と共同で、電池切れした立ち往生している車を救援する実証実験を開始したそうです。

 ちなみに私が住んでいるさいたま市では、市役所に充電装置が設置されていて、「素晴らしい!」と思いました。

 阿部 哲也

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九州ブロックの講師会長会議

 少し前のことですが、先週末、福岡に出張しました。九州ブロックの地方講師会長会議の運営のためです。九州会場は今年度、全国7会場で行われるブロック別地方会長会議の6会場目でした。今回は対象となる全ての教区から地方講師会長が集まられ(1教区代理を含む)、8教区の事務担当者も加わり、目等泰夫・教化・講師部長による、「今年度、地方講師会は何を目指すか」と題した説明に耳を傾けたほか、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を出講する講師に対してどのような研修会をしているかなどについて全ての教区から発表があり、活発な意見交換が行われました。

 九州ではすべての教区で同誌友会に出講する講師のための研修が行われており、とりわけ宮崎教区は「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」の開催率が全体の2割を超えていて、大変素晴らしいのですが、これは同教区の阿部圓・会長の同誌友会に対する並々ならない思いがあることを感じました。ご自身が、左脳的に物事を理解するだけではなく、右脳もよく働かせて、物事の真象を見る(観る)という考え方に魅了され、それを自らも実践し、人にも勧めておられることを、心を込めて話しておられました。

 会場を提供してくださった福岡教区でも、今回は都合で参加されませんでしたが、永田良造・会長が率先して同誌友会を開催されている他、同誌友会でヨーグルトの空箱を使ってフラワーアレンジメントをされたり、色々工夫をして取り組んでおられる旨の発表がありました。

 どの教区も新しいタイプの誌友会を盛り上げていこうという気概が満ちておられ、各教区の発表に対しても質問が寄せられるなど、少しでもご自身の教区の運動の参考にしようという真摯なご姿勢に大変感動しました。

 ところで私は、平成4年から9年まで所属していて青年会部(当時の呼称。現在は「組織運動部青年会事務課」)においては九州ブロックを担当していて、九州ブロックの行事の事務局的な役割を担当することが多かったので、福岡教区にはよく出張しました。しかし平成8年を最後に伺っていなかったので、今回の同教区への出張は15年ぶりです。とても懐かしかったです。

 現在、教化部事務局長をしておられる松岡明彦さんは、その当時は光明実践委員会議長をされていたので面識があるのですが、短い時間ではありましたが、その間に起こった色々な出来事をお話くださいました。教化部長をはじめ、人の入れ替わりがあり、運動の形態が変わったりと変化する部分もありますが、相変わらず、教えの素晴らしさに感動し、それを伝える努力をして下さる方々が沢山いることに改めて、有り難いこととと感謝いたしました。

 阿部 哲也 拝

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