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山梨県北杜市に行きました

 去る8月18日から20日まで、山梨県北杜市に行ってきました。北杜市は2013年、生長の家本部が移転する予定の土地で、同年からは家族でそこに暮らすことになるので、行ってきました。今年1月に、本部職員と家族を対象に現地見学会が開かれ、家族と共に参加しましたが、そのときは僅かな時間しか滞在できなかったので、今回は3日間かけて、地元のスーパーに行ってみたり、娘が通う可能性のある小学校を見たり、下見のようなことを行いました。

 さいたま市を出発した18日は同市では36度の猛暑日でうだるような暑さでしたので、北杜市はどのぐらいの気温なのだろう、などと思いながら出かけました。着いたのは午後3時を過ぎた頃でしたが、出発地と比べればずいぶん爽やかな風が吹いていました。ただし家の中はやや、蒸し暑い感じでした。

 今回はホテルとかペンションではなく、貸別荘に泊まりました。リゾート地のホテルやペンションでは、食事がついていることが多く、そのボリュームが多すぎる場合が多いこと、部屋が狭いので朝早く目が覚めたとき、思うように部屋を使えないことなどがあり、食事がついていなくて、広い部屋が使える貸別荘にしました。1軒屋で2LDKの大きさでした。

 翌日はうって変わって肌寒い天候でした。その日は平地でも肌寒いぐらいの気候ですから標高1,000mの山ではなおさらです。昼間に訪れた牧場では気温が18、9度で、長袖を持ってこなかった私は半袖を4枚重ね着をしました。以前、ハワイでかかっていたお医者さんが、夜、寒く感じるときには(ハワイの夜は夏でもかなり涼しいのです)、半袖を何枚でも重ね着するとよい、その方が暖めるべきところが暖められるから、と教えてくれたことがあったのを思い出したのです。確かに肌寒い気候でもばっちりでした。

 その日は、娘が通う小学校の候補である長坂小学校と泉小学校を見学しました。と言っても特に予約してあったわけではないので外観を眺めるだけですが、どんなところにあるかを見ておきたかったのです。長坂小学校は2年後に、4つの小学校が統合して校舎も新しくなり、新しい学校に生まれ変わるそうで、工事が既に始まっていました。冷たい雨が降ってきていたので外からだけ眺めました。

 続いて泉小学校に行ってみると、校門の外に1人の先生が立ってて、実は再来年から北杜市に住む予定になっていて、通う可能性のある小学校を見たいと思って来ました、と伝えたらご丁寧に校内に入れてくださって、色々と学校の特色等を説明して下さいました。色々お聞きして、なかなか行き届いた学校だと思いました。そして驚くのは校庭が広いこと! その先生の説明によると、400mのトラックを引けるとのことでした。

 あと最終日には小淵沢の「絵本美術館」に立ち寄りました。原画の展示があったり、色々な絵本があり、子供と一緒に絵本を読んだりしました。雨が降っていなかったらお庭の木々を眺めながらテラスでコーヒーが飲めたのがちょっと残念でした。しかし雨の中の緑もまた美しいです。

 その他、毎日温泉に浸かり、道の駅でのんびり買い物をし、地元のスーパーでどんなものが売っているかを眺めたり、美味しそうなパン屋さんで次の日の朝食を買ったり、地元のイタリアンレストラン、ソバ屋さんで舌鼓を打ったりと、ゆっくりとした時間を過ごすことができました。有り難い夏休みでした。

 阿部 哲也

 写真は上から今回宿泊した貸別荘、牧場の風景、ヤギと遊ぶ娘です。娘は寒かったようでタオルを巻いています。

1_hokuto_villa
3_hokuto_scenery
2_hokuto_goat


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人間には「エンパシー」がある

 7月18日(現地時間)に「なでしこジャパン」が日本のサッカーの歴史に燦然と輝く女子サッカーワールドカップ優勝を成し遂げたのは記憶に新しいのですが、私の母校である静岡高校が8年ぶり22回目の夏の甲子園出場を果たしたのも、私にとってとても嬉しいことでした。

 しかし考えて見れば不思議なものです。サッカーでは自分は少しもボールを蹴るわけではなく、報酬を受けるのでもないのに、優勝した選手と喜びを共有しています。そして、これまでそれほど関心のなかった女子サッカーについて、色々と記事を読むようになりました。また、母校が甲子園に出場するという報道を読むと、やはり選手や関係者と喜びを共有します。

 この「喜びを共有する」メカニズムについて、谷口雅宣・生長の家総裁はご著書『小閑雑感Part18』で詳しく説明されています。その正体は「empathy」だと書かれています。142頁から引用します。

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 empathy という語は、sympathy と間違われやすいですが、少し違います。sympathyの語は、他人の不幸に対して可哀そうに思うことですから、日本語では「同情」とか「あわれみ」と訳されています。これに対し「empathy」は、ドイツ語の「einfuhlung」から来ている。この語は、1872年にドイツの美学者、ロベルト・ヴィッシャー(Robert Vischer)が造語したもので、ある対象に向かって自分の感情を移入して、その対象を理解することを指します。その後、ある人が他の人の立場に立って、その人の感情や考えを理解するという心理的過程を意味するようになりました。英語圏で「empathy」が使われるようになったのは、1909年以降で、アメリカの心理学者がドイツ語からこの語を造語して、「他人の感情の中に入る」という意味となり、日本語では「感情移入」などと訳されています。
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 谷口雅宣先生は『同書』で、アメリカの文明批評家であるジェレミー・リフキン氏の著作、『The Empathic Civilization』(感情共有の文明という意味)という英書の内容を紹介されながら、今世紀の人類が地球温暖化の危機を乗り越えるためには、「エンパシー(empathy)で繋がり合った社会とその中の人間」ともいうべき人間観に基づいた新しい文明が必要であることを解説されています。多くの歴史家は、社会における争いや戦いについて書き、人間相互の社会的つながりや、それらが進化し、拡大することで文化や社会にどのような影響を与えたかは語られることがないが、本当は歴史的な事件とは関わりのない、圧倒的多くの日常生活の中に人間の本性が現れているのであり、人々は数多くの小さな思いやりや親切な行動の連続で互いに支え合っている、というのです。そして、リフキン氏の次の言葉を紹介されています:

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「私たちは、他人との日常のやりとりでは、たいてい相手を気遣う。なぜなら、それが私たちの中心的本性だからだ。他人の身になって考えることで、私たちは社会生活を創造し文明を進歩させてきた。だから、端的に言えば、たとえ歴史家から重視されてこなかったとしても、人類史の底を流れる本質的特徴は、この相手を思いやる意識の素晴らしい進化なのである」。(『同書』130頁)
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 そして、人間の中にある「empathy」の一例として、オリンピックの際に起こる私たちの心の動きを例にあげ、次のように述べています:

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 ところで、皆さんはカナダのバンクーバーで行われていた冬季オリンピックの競技を、テレビなどで観戦されたと思います。そのときに、私たちは「empathy」を体験したのではないでしょうか。つまり、日本人なら日本の選手に感情移入して、自分自身をその人の立場に置いて、競技や演技の成功を祈ったのではないでしょうか? その時は、自分がその選手になったつもりで、感情移入をしているのです。選手を通して、自分がその競技をしているような体験をする。これが「empathy」であります。(『同書』144頁)
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この文章は、2010年3月1日に挨拶されたものが基礎になっていて、浅田真央選手が女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、バンクーバーでの冬期オリンピックの直後でしたのでバンクーバー五輪のことが話題にでています。ちなみに私は、2008年10月に生長の家の行事で派遣されて同地を訪れたことがあります。そのときはオリンピックの2年前で、空港はとてもきれいになっていて、オリンピックを迎えるための準備が着々と進んでいた頃でした。私は当時、ハワイに住んでいて、コートの持ち合わせがなかったので寒かったですが、久しぶりに感じる、朝の凛とした清浄な空気、そして美しい紅葉を堪能したのを覚えています。

 これは明るいニュースに共感した例ですが、その反対もあります。現在、ソマリアでは政情不安と干ばつで、ひどい飢饉が起こっています。先日、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)からその知らせと寄付のお願いのメールが来たので、僅かばかりを寄付しましたが、毎日のようにニュースの映像を見ていると、ものすごく心が痛みます。

 阿部 哲也

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