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人間には「エンパシー」がある

 7月18日(現地時間)に「なでしこジャパン」が日本のサッカーの歴史に燦然と輝く女子サッカーワールドカップ優勝を成し遂げたのは記憶に新しいのですが、私の母校である静岡高校が8年ぶり22回目の夏の甲子園出場を果たしたのも、私にとってとても嬉しいことでした。

 しかし考えて見れば不思議なものです。サッカーでは自分は少しもボールを蹴るわけではなく、報酬を受けるのでもないのに、優勝した選手と喜びを共有しています。そして、これまでそれほど関心のなかった女子サッカーについて、色々と記事を読むようになりました。また、母校が甲子園に出場するという報道を読むと、やはり選手や関係者と喜びを共有します。

 この「喜びを共有する」メカニズムについて、谷口雅宣・生長の家総裁はご著書『小閑雑感Part18』で詳しく説明されています。その正体は「empathy」だと書かれています。142頁から引用します。

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 empathy という語は、sympathy と間違われやすいですが、少し違います。sympathyの語は、他人の不幸に対して可哀そうに思うことですから、日本語では「同情」とか「あわれみ」と訳されています。これに対し「empathy」は、ドイツ語の「einfuhlung」から来ている。この語は、1872年にドイツの美学者、ロベルト・ヴィッシャー(Robert Vischer)が造語したもので、ある対象に向かって自分の感情を移入して、その対象を理解することを指します。その後、ある人が他の人の立場に立って、その人の感情や考えを理解するという心理的過程を意味するようになりました。英語圏で「empathy」が使われるようになったのは、1909年以降で、アメリカの心理学者がドイツ語からこの語を造語して、「他人の感情の中に入る」という意味となり、日本語では「感情移入」などと訳されています。
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 谷口雅宣先生は『同書』で、アメリカの文明批評家であるジェレミー・リフキン氏の著作、『The Empathic Civilization』(感情共有の文明という意味)という英書の内容を紹介されながら、今世紀の人類が地球温暖化の危機を乗り越えるためには、「エンパシー(empathy)で繋がり合った社会とその中の人間」ともいうべき人間観に基づいた新しい文明が必要であることを解説されています。多くの歴史家は、社会における争いや戦いについて書き、人間相互の社会的つながりや、それらが進化し、拡大することで文化や社会にどのような影響を与えたかは語られることがないが、本当は歴史的な事件とは関わりのない、圧倒的多くの日常生活の中に人間の本性が現れているのであり、人々は数多くの小さな思いやりや親切な行動の連続で互いに支え合っている、というのです。そして、リフキン氏の次の言葉を紹介されています:

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「私たちは、他人との日常のやりとりでは、たいてい相手を気遣う。なぜなら、それが私たちの中心的本性だからだ。他人の身になって考えることで、私たちは社会生活を創造し文明を進歩させてきた。だから、端的に言えば、たとえ歴史家から重視されてこなかったとしても、人類史の底を流れる本質的特徴は、この相手を思いやる意識の素晴らしい進化なのである」。(『同書』130頁)
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 そして、人間の中にある「empathy」の一例として、オリンピックの際に起こる私たちの心の動きを例にあげ、次のように述べています:

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 ところで、皆さんはカナダのバンクーバーで行われていた冬季オリンピックの競技を、テレビなどで観戦されたと思います。そのときに、私たちは「empathy」を体験したのではないでしょうか。つまり、日本人なら日本の選手に感情移入して、自分自身をその人の立場に置いて、競技や演技の成功を祈ったのではないでしょうか? その時は、自分がその選手になったつもりで、感情移入をしているのです。選手を通して、自分がその競技をしているような体験をする。これが「empathy」であります。(『同書』144頁)
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この文章は、2010年3月1日に挨拶されたものが基礎になっていて、浅田真央選手が女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、バンクーバーでの冬期オリンピックの直後でしたのでバンクーバー五輪のことが話題にでています。ちなみに私は、2008年10月に生長の家の行事で派遣されて同地を訪れたことがあります。そのときはオリンピックの2年前で、空港はとてもきれいになっていて、オリンピックを迎えるための準備が着々と進んでいた頃でした。私は当時、ハワイに住んでいて、コートの持ち合わせがなかったので寒かったですが、久しぶりに感じる、朝の凛とした清浄な空気、そして美しい紅葉を堪能したのを覚えています。

 これは明るいニュースに共感した例ですが、その反対もあります。現在、ソマリアでは政情不安と干ばつで、ひどい飢饉が起こっています。先日、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)からその知らせと寄付のお願いのメールが来たので、僅かばかりを寄付しましたが、毎日のようにニュースの映像を見ていると、ものすごく心が痛みます。

 阿部 哲也

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