粋なサービス

 アメリカ(ハワイ)に3年間住んだ感想として、またアメリカ国内を出張した感想として概して、アメリカはサービスが行き届いているとは言えません。日本があまりに行き届いているとも言えますが。。。

 ファミレスなどで、大勢の客がウエイティングリストに名前を連ねていても従業員は急ぐでもなく、「すみません」と言うのでもなく、平然と待たせているのを見ると、イライラしてしまうことも少なくありませんでした。

 しかし……一旦、事が起きたときの対処はお見事です。停電して信号が止まっても車が2台ずつ交互に通っていき、整然として全く混乱しないのには驚きました。また、救急車の音がわずかでも聞こえてくると、救急車が通る車線のみならず対向車も含めて、大波のように一気に道路の端に車が寄せられます。

 アメリカの大手航空会社ユナイテッド航空が、母の最期に会いたいという乗客のために粋な計らいをした、というニュースを見つけました。アメリカの懐の深さを感じさせてくれていると思います。

 http://bit.ly/Wj8UI4

 阿部 哲也 拝

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貴重な時間

 妻が通信制の大学の授業を受けていて、定期的に千葉県にある学校に通う必要があるため、1年に何度か4~5日間、帰省します。その時には私が小学2年生の娘の面倒を見ることになるため、家内の帰省が私の休みの都合に合うように計画しています。幸い、私の休日が練成会が開催されていない、一定期間に集中していることが多いこともあり、今回も休みが集中する2月の終わりに家内が帰省しました。

 家内の不在時には早朝行事を少し早めに失礼して、6時20分には家に戻り、娘と朝食を食べ、7時に見送ります。娘の帰りはだいたい午後5時前後で、私の場合は職場と自宅が至近距離のため、娘を1人に家に残しておくこともなくて済みます。(学校から歩いて1時間かかるため、同じ寮に住む6年生の子が帰るまで、友達と遊んで待っているようで、それが楽しいようです)娘が帰ってきてからは宿題をさせて、ご飯を作って一緒に食べて、寝かせるのですが、この時間はとても貴重です。なぜなら、日常生活においては娘と2人で過ごす機会はあまり多くないからです。

 ハワイにいたときには、幼稚園に朝、車で連れて行くのは私の役目だったので(家から職場の途中に幼稚園があり、時間帯もピッタリだった)、毎日15~20分は娘と2人で話す時間がありました。ちなみに、アメリカにいたときの娘は3歳から5歳でしたが、ものすごく自分の意志がハッキリしていて、アメリカの教育を受けるとこうなるのか、と驚いたものです。「No daddy!」(パパ、いや!)とか「I don't like that」(私、それ嫌い!)とよく言っていました。友達がよく言っていたのをマネしたのだとは思いますが。。。

 ところで私と2人でいるときは娘も結構、大変です。日頃は母親がやってくれることも全部自分でやらなければならないし、私の手伝いもそこそこしなければならないから、日頃の娘からすると、相当頑張ってやっていました。

 練成道場にいると、働いている時間は長いし、職場と家が近いので、1人でゆっくり物事を考える時間があまりありません。ですので、今回は1人で過ごす時間が多く、ここでの9ヶ月の生活を振り返ったり、自分の心を整えたり、本を読む時間を持つこともできました。

 1日には無事に家内が帰ってきてくれて、“非日常”の時間が終わり、ホッとしました。やっぱり妻がいてくれる家庭は暖かく、明るく、潤いがあります。が、それも“非日常”が教えてくれた日常のありがたさでもあります。娘もきっと、日常のありがたさを感じたのではないかと思います。

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音浴博物館

 総本山に転勤してきて間もなく9ヶ月が経とうとしています。家族も含め、生活のリズムに慣れるまでは色々大変なこともありましたが、最近は、お休みの日に“プチ遠出”をして、周辺の散策を楽しんでいます。

 近くの直売所やレストランに入ったときに得た情報を頼りに色々と足を運ぶことが多いのですが、先週の土曜日、西海市にある「音浴博物館」なる所に行ってきました。総本山から車で30分ほどの所にあるのですが、森をいくつも越えていく感じで、山の中の、それはそれは環境の良いところにありました。

 元々は満州からの引き揚げ者の子ども達が通う学校があったところだそうで、昭和50年代のはじめに廃校になった後は、ベトナム難民の寮として平成7年まで使用されてい場所に、あるレコードや古い演奏機会などの収集家が収集品を展示したのが始まりだそうで、今は公共の施設になっているそうです。

「音浴」とは「音を浴びるように聞ける」ということだそうで、15万枚以上のレコードが何台もあるレコード盤、スピーカーを通して実際に聞くことができます。懐かしい音楽をレコードで聴いていると時間も忘れて、家族そろってあの曲も、この曲もと聴いておりました。また、そこで働いているスタッフの人達が、来た人にくつろいで行って欲しい、楽しんでいって欲しいという気持が滲み出ていて、とても居心地がよくて、つい長居してしまいました。

 そして、小さい頃は父親が壊れたスピーカーを拾ってきて狭い家の中の色々な所にスピーカーを設置してレコードをかけていた情景を思い出しました。久々に聴いたレコードの音を聞き、レコードの音ってこんなにも重厚で、耳だけではなく五感全部に訴えてくるような存在感があったのだ、ということを実感せずにはおられませんでした。

 アナログの持つ良さは、現代の社会にこそ、必要なのかもしれません。

 詳しい写真や説明は下記のサイトで、
 http://bit.ly/XHmXEz
動画は下記のサイトでご覧になれます。 
http://bit.ly/13mv54A

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ブログ、再開します

 このブログは2006年7月に初めて昨年の2月まで約5年半、書き続けていましたが、色々な事情でしばらく更新をやめていました。この度、ブログを再開することにしました。

 昨年6月にさいたま市から長崎県西海市に引っ越しし、職場は「生長の家総本山」になりました。自然豊かな総本山で気付いたこと、嬉しかったこと、感動したことなどを中心に再び書き綴っていきたいと思います。

 早いものでこちらに転勤してきてから9ヶ月が経ちました。時が経つのは早いです。毎朝、住吉大神様のご神前で神想観できる有り難い環境に感謝しながら、毎日を過ごしていきたいと思っています。

 阿部 哲也

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日本縦断!?

 先日行われた生長の家本部事務所における環境教育研修会で講演されたC.W.ニコルさんは、日本には流氷もあれば珊瑚礁もあり、多様性に富んだ国だ、ということを話されましたが、私はいみじくもそのことを実感することとなりました。というのは、別に仕組まれたわけではないのですが、先週は北海道の函館と釧路へ出張、今週は沖縄なのです。釧路での最低気温がマイナス12度なのに対し、今日到着した那覇の気温は19度。気温差は31度もあります。同じ日本国内で時差もないのにこの気候の差はやはりすごいです。

 那覇空港に着いて空港内に入った途端、3年間住んでいたハワイを思い出しました。南国の空気はとても懐かしく、胡蝶蘭から漂ってくる甘い花の香りでハワイを連想してしまいました。

 これまで沖縄には5、6回訪れたことがありますが、2003年にモノレールが出来てからは初めてです。沖縄の人はとても人なつこくて、夕食で入った食事処でもマスターのおじさんが気さくに話しかけてくれました。ところがそのおじさんは、「今日は暖かいんだけど、昨日は15度まで下がって寒くてね」と言われるのです。この言葉、とても懐かしく思いました。なぜなら、ハワイの人も摂氏15度を切ると(アメリカでは華氏を使いますが、摂氏15度は華氏59度なので、60度を切ると)「寒い、寒い」と連発するからです。私たちの感覚からすると15度で寒いというのはずいぶん大袈裟な気がしますが、それにも慣れていない人にはやはり「寒い」ということになります。暑い、寒いはその人の習慣や心に大きく左右されると言えると思います。

 この写真とビデオは、マイナス12度まで下がった釧路の朝、6時30分頃に撮影したものです。川も凍っています。

 阿部 哲也

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 http://on.fb.me/AmMGpO

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ありがとう、と言える人生を送ること

 昨日、出張で函館へ向かう飛行機の中で機内誌『スカイワード』を読んでいたら、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さんについての記事が載っていました。栗木さんは8000メートル級の山に単独・無酸素で臨み続けており、また、登山の様子をインターネット中継したことで注目を浴びるようになったようです。私はこの方のことは知りませんでした。

 栗城さんの行動には賛否両論あるようですが、私の目を引いたのは、次の内容でした:

~~~~~~~~~~(ここから引用)~~~~~~~~
 怒りや気合いは、むしろ緊張を引き起こし、脳内の酸素を無駄に使ってしまう。脳をリラックスさせるためにも、栗城は感謝の言葉を呟くのだという。
「脳が体の中の3割ぐらいの酸素を使うので、無酸素登山には脳をいかに休ませるかが重要です。僕は本当に苦しくなったら『ありがとう』と言いながら山を登ります。心が落ち着き、脳がくつろげますからね」
《ありがとう、と言える人生を送ること――》
 17歳の時に亡くなった母が栗城に告げた教えは、苛烈な冒険のなかでもはたされている。
~~~~~~~~~~(引用終わり)~~~~~~~~

 最近、睡眠の大切さ、とりわけ量より質が大切であることを感じるので、寝る前には感謝の言葉を唱えながら寝るようにしていますが、感謝の言葉には脳をリラックスさせる働きがあるという彼の言葉は説得力があると思います。

「ありがとう」には偉大な力がありますね。

 阿部 哲也

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尊い人生のレッスン

 先週の金曜日と土曜日、仕事で三重教区に出張しましたが、その途中、名古屋市にお住まいのIさんという、元本部講師の方のお宅を訪問しました。Iさんは8年ほど前からALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病にかかっているのですが、娘のNさんの献身的に介護を受けながらご自宅で静かに過ごされています。

 私は愛知県に住んでいたとき(20年も前のことですが)から生長の家の布教活動に元気に邁進されていたIさんのことは存じ上げており、またNさんとは平成4年に生長の家本部に奉職した同期でもあります。(Nさんは平成9年に退職)家内も生長の家本部に勤めていたときにはIさんとは同じ部署に勤めていて、母親を亡くしたときにとても力づけてくれるなど、大変お世話になった方で、Nさんとも旧知の仲です。最近では、Nさんとは家内も私もfacebookでお友達同士などのご縁もあって、今回出張前に少し時間を作って訪問させていただきました。

 ALSは運動神経が衰え、筋肉が消耗し、麻痺していく病気です。実は、2006年にNHK教育テレビ(現在のEテレ)の「介護百人一首」という番組で、Nさんが詠んだ歌が取り上げられて、取材されたことがあります。

 私はIさんのお宅を訪ねることを決めてから、お母様が倒れられてから8年余りの間、毎日ずっと看護を続けるとはどういうことだろう、と考えを巡らせました。もちろん、医療やヘルパーさんの手を借りて、自分の出来る範囲で、ということでしょうが、自由時間はほとんどありませんし、外の世界との関係は必然的に薄くなってしまいます。お父さんを早くに亡くされたNさんにしてみれば、掛け替えのない大切な母親を守りたい、その一途な、真剣な、純粋なお気持を思うと、お会いしたときにどのように声をかければ良いのか、正直戸惑いもありました。

 Nさんに前回お会いしたのはおそらく平成9年に本部を退職される時だと思うので、お会いするのは実に15年ぶりです。しかし玄関でお会いしたときには、前回お会いしたときと変わっていませんでしたが、お1人で家を守っておられるからでしょうか、凛とした筋の通った感じが印象的でした。一歩お部屋に入ると、ゆったりとした時間が流れ、惜しみなく愛を与え続けることで醸し出されているような、愛と癒しの空間が広がっていることを感じました。

 その日の前日は木曜日だったので、Iさんがお元気だった頃の話をしながら家内とデパートに行って、何をお土産に持って行こうか色々と話し合いながら買い物をしました。そして、私たちがハワイに行っていた時の写真を整理して、現像して、小さなアルバムに入れ、家内はNさん宛に手紙を書きました。それをお渡しすると、まるで宝物を手にしたかのように喜んでくださったので、とても嬉しく思いました。

 Iさんが外出できる時間は、1週間に5回ヘルパーさんが来られるときで、それも1回2時間だそうです。その時間を縫って、わざわざケーキを買ってきてくださった(ものすごく美味しかったです!)ので、そのケーキを頂きながら、ハワイでのことを話したり、また、Nさんの知っている人が今どうしているいるかなどをNさんに色々話している内に、あっという間に時間が過ぎていきました。

 その後、携帯電話をスピーカーフォンにしてしばらく家内とNさん、Iさんでお話しをしましたが、私は出張先に向かう電車の時間が迫ってきましたので、お暇しました。感謝と喜びの中で尊い人生のレッスンをしておられるお2人の幸せを心から祈っています。

 阿部 哲也

P.S. Nさんのお宅は、私が浪人時代(昭和62年!)に住んでいたところからほど近いところです。名古屋の地下鉄東山線、とても久しぶりに乗りました。懐かしかったです。。。

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万歩計の効用

 1カ月ほど前から、万歩計を付けて歩いています。それは、健康診断の結果、血圧が高めでかかりつけのお医者さんから、「よく歩くようにして下さい」と言われているからです。そのお医者さんは、八丈島の病院で院長をされていたのをはじめ、過疎地の医療に傾倒されてきた方で、とても患者さんの話をよく聞いて、薬の飲み方も説明してくれて、何か困ったことがあったら時間外でも電話で問い合わせができるようにと、携帯番号まで薬の袋に印刷をしてあるほど、親切なお医者さんです。そのお医者さんから言われたので、早速その気になり、万歩計を購入して歩いている、というわけです。

 実は万歩計は12、3年ぐらい前に買って2年間ほど毎日つけていました。そのときは、ぎっくり腰をやってしまい、やはりお医者さんから「毎日、30分程度は歩いて下さい」と言われ、1日1万歩を目指して歩いていました。そのときは通勤に結構、時間がかかっていましたから、昼休みに20分から30分も歩けば、後は普通に生活していればだいたい1万歩ぐらいになったのでした。(日によって多い少ないはもちろんありましたが)

 それから2年ぐらいはつけていましたが、だいたい、生活の中でこれぐらい歩けば何歩というのが分かってきた頃に万歩計が壊れてしまい、それを修理することもなく、買い直すこともなく、それ以降も「1日1万歩ペース」で生活を続けていました。そうした甲斐もあって、血圧は極めて正常でした。

 ところが2007年6月から3年間、ハワイに転勤になり、歩く量がかなり減ったのではないかと思います。ハワイには電車がなく、通勤も車、どこかに移動するのも車です。「これはいかん!」と思い、午前中に1回、昼休み、そして午後と教化部周辺を歩いていたのですが、それにしても日中は暑いので、そう長くは歩けません。それと日本の気温の感覚で言えば、1年のうち10カ月ぐらいは“夏”なので、なかなか歩く気になれないのでした。それと、ハワイではなるべく日本食を食べていましたが(正確に言うと最初はなるべく現地の食べ物を食べていましたが、1年間でギブアップ。。。)それでも現地の人と食事をする機会も多く、油っぽいものを多く食べていたのではないかと思います。それと、何かがある度に(それは生長の家の行事、会議、その他を含め)、スナックが出てくるのです。それほど多くは食べたつもりはありませんが、やはり、私からすると油っぽい物が多いかったかと思います。

 そんな理由もあってか、2年ほど前から血圧の低い方が100ぐらいになってしまいました。それが日本に戻ってきてからも下がらなくて、健康診断で「要注意」ということになってしまったのでした。

 それで、新たに万歩計を購入して歩いているのですが、以前よりも年齢が加わっていることもあり、最初は疲労を感じてしまいました。それでも、数字が目に見えると、つまり目標があるとついつい、歩いてしまいます。それと、今の機械は便利に出来ていて、平均の歩数、有酸素運動した量(ある一定以上の分数を歩いた時間、距離、歩数)などの数値がパソコンに簡単に取り込めるようになっていて、累計、年間、月間の歩数のグラフ、平均値等、実に様々な値がひと目で分かるようになっていて、それが結構励みになるのです。

 そんなこともあり、この1カ月間、昼休みに歩くのはもちろん、朝晩の通勤も、時々わざと遠回りをして歩数を稼いだりしています。また、以前からエスカレーターやエレベーターはなるべく使わないで階段で歩くようにしていますが、今は、荷物を持っていたりするなどの場合を除いては、エスカレーターやエレベーターに誘惑を感じなくなりました。やはり目に見える、ということは大きいと思います。ちなみにこの1カ月はだいぶはりきってしまい、平均の歩数は1万2千歩を少し上回っています。

 家族からは、「始めるとすぐに入り込むんだから……」と言われていますので、あまり無理をしないで、1万歩程度を目標にずっと続けていきたいと思っています。

 阿部 哲也

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スティーブ・ジョブズ氏逝く

 アップルの共同創設者で前CEOのスティーブ・ジョブズ氏(Steve Jobs)が、去る10月5日に亡くなりました。創造性を“国是”とも考えるアメリカでは、ジョブズ氏の功績を称え、追悼するプログラムがメディアで多く組まれているようです。ABCニュースでは、ジョブズ氏にちなんで、「天才とはどういう人のことを言うのか?」という質問を子供に投げかけているアナウンサーもいました。

 2005年6月にジョブズ氏が、アメリカのスタンフォード大学の卒業式で講演したときのことを、今年1月2日の本欄でご紹介しました。それは、彼の生き様に沢山学ぶべき事があると感じたのと、色々な意味で人生を考えさせられたからです。(アドレスはこちら→http://bit.ly/qEsIDf

 そのスピーチの前年(2004年)に膵臓がんが見つかり、手術を受けたジョブズ氏は、ご自身の寿命が何年持つか分からない、そういう日々の中で、1日たりとも無駄にしたり、後悔する生き方はしたくない、自分の本心に忠実に生きたい、そしてそういう生き方を若い皆さんにもして欲しい、という遺言のような強烈な“メッセージ”が込められていると思いました。そして最後の言葉は、「Stay hungry, stay foolish」でした。スピーチは、下記のアドレスで見ることができます。

http://bit.ly/eaKmOi
http://bit.ly/dBvRB7

 2、3日前に見た新聞では、ジョブズ氏がペプシコーラの会長をアップルに引き抜くとき、「君は一生砂糖水を作っていたいのか、それとも、世界を変える仕事をしたいのか」と口説いたということが書かれていました。ペプシの関係者には失礼に映るかもしれませんが、自身の仕事に対する凄まじいほどの自信と誇りを感じます。人の心をつかむ彼の“名言”は、「名言集」として出版されています。

 新しい技術には素晴らしい可能性とともに、それによって失われる面もあるので、それをどの程度まで使うかどうかは私たちの「心」いかんによるものですが、彼のアイディアが私たちの生活を変えてしまったことは間違いありませんし、私もその恩恵を大いに受けている1人です。

 ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 阿部 哲也

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視点の違い

 今年の4月から小学校1年生になった娘と、朝は一緒に駅まで行くようにしています。娘が朝出る時間に合わせると7時10分か15分に家を出ることになるのですが、そうすると職場にも早めに着くのでちょうど良いです。しかし、7月中旬から娘が夏休みに入ったのでこの1カ月半間は1人で駅まで歩いていました。

 1人で歩けば6、7分の距離ですが、娘と歩くと10分から12、3分はかかります。荷物が多いとき、睡眠が不足気味なとき、雨が降っているときなどは歩く時間が遅くなります。今日は学期はじめで荷物が多く、私からすると「のらりくらり」歩いているので、「早く歩こうよ」などとせかしていましたが、ふと、あることに気がつきました。

 それはいつもと景色が違う、ということです。景色が違うと言っても、通る道は同じです。違うのは歩く速度と、目に付く「もの」です。1人で歩くときは、何か考え事をしているか、特に考えることがなくても、目的はただ一つ、駅に無事に着くことです。だから、周りを見ることはあっても、だいたい見るものは同じものが多いのです。ところが娘と歩いていると、歩く速度は遅いし、あまりに重そうなときはちょっとの時間だけバッグを持ってあげたりしているうちに、日頃は見ないものをよく見ていることに気がつきました。

 私の通勤路には残念ながら目にも心にも優しい“緑”はあまりないのですが、それでも、こんなところにこんな看板があったんだ、とか、こんな字が書いてあったのか、などと、これまで気づかなかったことに目が行くのは新鮮です。これは視点の違いなのだと思います。

 もちろん、娘と2人で話す時間というのは割合少ないので、大切なコミュニケーションの場でもあります。

 視点の違いと言えば、私は日本を3年間離れていたので、遠くから日本を眺めることができ、日本人特有の視点というものが目に付くときがあります。その一つはスーパーの品揃えです。アメリカには巨大なスーパーがありますが、日本のように消費者の好みに合わせて、という発想を私はあまり感じません。食品流通の世界的な企業は日本に進出するのは難しいと言われているのもそういう事情があるかもしれません。

 先日(9/1)の『朝日新聞』朝刊には、イギリスのスーパー最大手(営業収入で世界第4位)の「テスコ」が日本市場から撤退すると発表した、という記事が載っていました。同新聞によると、世界で売り上げ第1位のウォルマート(アメリカ)は2005年に西友の子会社に、同第2位のフランスのカルフールは2005年に撤退するなど、日本市場で成功するのはかなり難しいようです。

 日米双方のスーパーを見ていたので、海外の大手スーパーの会社幹部の人たちが、日本人のニーズをつかむのは相当難しいだろうというのは容易に想像がつきます。日本では、良きにつけ悪しきにつけ、お菓子でも、お総菜やお弁当でも、日用雑貨でも、とにかく、人の心をグッと把むような製品が次から次に出てくるのには驚かされます。これも視点の違いだと言うことができると思います。

 日本のスーパーのように顧客のニーズをつかむことは素晴らしいことだとは思いますが、地球温暖化や飢餓の問題がクローズアップされている現代においては、持続可能性とか、環境に配慮したとか、途上国の人の助けになるなどの視点に立った製品がドンドン導入されていかなければならないと思います。

 阿部 哲也

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