国際共通語としての英語

 今日の『朝日新聞』のオピニオン覧に、立教大学教授の鳥飼久美子さんのインタビュー記事が載っていました。鳥飼さんと言えば、同時通訳者のアイコンとして、異文化コミュニケーションの大家として活躍されている方です。

 犬飼さんは学校英語について、以前は学校で英語を習えば「読み書き」は出来るようになったが、「会話中心」になった今は「読み書き」も、そして「会話」も出来なくなってしまった、と嘆いています。そして、「私に言わせれば、これまで企業人が外国に放り出されて何とか英語でやってこられたのは、読み書きの基礎力があったからなんです」と述べています。

 なるほど。私はこの意味がよく分かる気がします。毎日英語で会話をしていると、ある程度スピードには慣れるし、スムースに会話ができるようになりますが、あるポイントまで来るとそこからは全然上達しないような気がします。ところが本を読んだり、文章を書くということを続けていると、以前より英語の運用能力が上がっていることを感じることがあります。

 鳥飼さんは、コミュニケーションを重視すべきか、文法・訳読を重視すべきかという問いに対して、両方が大切で、「日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法を皆さんで考えませんか、と言いたいですね。ある程度の基礎力を身につけたら、学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です」と述べています。

 よく聞くのは、日本人が英語が話せないのは文法、読解を重視する学校の英語教育のせいだということですが、学校の勉強だけで英語をものにしようというのはそもそも無理だと思います。他の教科だって時がたてば忘れてしまうのですから、英語だけ覚えているはずもありません。ましてや語学は使わなければ上達しないのは、当然です。

 さて、グローバル化しているといわれる現代に学ぶべき英語について、「英語はもはや米英人など母語話者だけの言葉ではありません。彼らは4億人程度ですが、インドやシンガポールのように英語が公用語の国の人たちと英語を外国語の人たちを合わせると十数億人。みなさんが英語を使う相手は後者の確率がはるかに高い。英語は米英人の基準に合わせる必要はない時代に入りました」。

 これはもちろん、場合によりけりで、英語圏で仕事をする場合には、母語の話者にとって不自然にならないような英語を話す能力が必要ですが、それをするには、ものすごい時間と労力が必要、ということです。ところが、英語でコミュニケーションを取れば良い、ということだったら、難しい言葉を知っていなくて良いし、文法的に多少変でも、通じれば良いと言うことになります。「大事なのは米英人のような発音やイディオムではなく、わかりやすさです。文法も、共通語として機能するための基本を教え、使うときには細かいことを気にせず使えばいいのです」と、犬飼さんは言います。となると、英語に対する敷居はだいぶ低くなってくると思います。

 日本語を話す人種はほとんどが日本人という立場からすると、ネイティブではない話者がネイティブより多く、話している言葉も文法的に正しくないものも少なくない、というのは奇異に感じます。逆に言うと、英語を母語にしている人は、色々な国の人が話す英語を聞かなければならないので、言葉に対する包容力が磨かれるのだと思います。

 そして鳥飼さんは次のような言葉で締めくくっていました:「国際共通語としての英語に、もう一つ重要な要素があります。それは自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということです。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』。それでいいんです」「日本人は日本人らしい英語を話し、相手は例えば中国人なら中国人らしい英語を話し、でも基本は守っているから英語として通じる、コミュニケーションが出来る。これが、あるべき国際共通語としての英語です」。

 このような「国際共通語としての英語」をマスターするというように目標を設定すると、出来ないことをしようとすることもなく、努力を続けられる人も増えてくると思います。ちなみに、欧米の映画やドラマを字幕なしで楽しむ、ということは、あちらの文化、生活習慣をも知らないと出来ないので、「国際共通語としての英語」がたとえ話せたとしても、必ずしもできるわけではありません。私はハワイに住んで3年目にしてようやく、映画館で映画を見て、だいたい理解出来る程度になりました。でも、皆が笑っているところで笑えなかったり、映画の種類によっては半分も分からなかったりもしました。なかなか奥が深いものだと思います。

 阿部 哲也

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効果的なプレゼンテーションのためのヒント

 NHKラジオの「ビジネス英会話」は、ビジネスパーソンとして知っておくべき様々な教養を学ぶことができるので、ハワイに駐在していた3年間を除き、かれこれ10年ぐらい録音して聞いています。

 先日のビニェット(この講座ではビジネスのオフィスで放されることを想定した会話をそう呼んでいます)で、どのようにしたら効果的なプレゼンテーションができるかということが話題となっていて、とても興味深く聞きました。その中で最も強調されていたのはリハーサルをする、ということでした。

 同講座でアシスタントを務めるクリス松下さんが、「ほとんどのプレゼンターがリハーサルをしないのではないでしょうか。言いたいことを頭の中でまとめてイメージする人はいるでしょうけど」と言っていましたが、確かにそうかもしれません。かく言う私も、英語でプレゼンテーションをするまではリハーサルをしたことはほとんどありませんでした。したとしても、ほんの数回ぐらいだと思います。

 あと大切なのは、このメッセージを伝えたいという情熱で、それも必ずしも大きな声を出したり、パワフルに話すということではなく、どんな形であっても聞き手にそれが分かるようにすべき、ということでした。これもとても頷けます。

 以下、今回のテーマ「Storytelling(ストーリーを語る)」で紹介された、効果的なプレゼンテーションのヒントです:

 ・リハーサルをする
 ・情熱を込めて話す
 ・テーマに関連した小話を挟む
 ・人間性を吐露するような話をする
 ・聞き手とアイコンタクトを保つ
 ・パワーポイントに書かれている文字を全て読まない
 ・1枚のスライドにあまり多く文字を入れない
 ・1枚のスライドでフォントをあまり多く使わない
 ・色のコンビネーションに気をつける
 ・人前で質問をするのを嫌う聞き手が質問しやすいように、メールアドレスを教えて、講演中あるいは講演後に質問や感想を送ってくれるよう呼びかける

 全体としては日本人と比べるとアメリカ人はプレゼンテーションを非常に重視して、教育して、また、聞く側の耳も肥えていると思います。

 次回、プレゼンテーションをするときの参考にしようと思います。

 阿部 哲也

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“攻撃的読書”

 ロシア語の通訳者・翻訳者で作家でもあった米原万里さん(故人)が、『言葉を育てる』という本の中で、俳優の児玉清さんとの対談で次のように述べている箇所があります。

~~~~~~~~~~(以下引用)~~~~~~~~
米原 ロシア語学校に行って、国語の授業の違いに愕然とした
   んです。日本だと「よく読めました」でおしまいだけど、
   プラハでは「よく読めました。では今読んだところをか
   いつまんで話しなさい」ってやられるの。毎回。
児玉 要点を言いなさいと。
米原 これやられると、読みながら中身をつかまえるのが習性
   になるんです。受け身ではない攻撃的読書。
児玉 今のお仕事にすごく役に立ったでしょう。我々は勝てな
   いですね、その人たちに。
米原 脳は出力モードだから、話すという形で出した方が、読む
   時の吸収力も増すと思うんです。
                   (『同書』54~55頁)
~~~~~~~~~~(引用ここまで)~~~~~~~~

 この中の“攻撃的読書”という言葉がとても印象に残りました。確かに、読んだ内容、あるいは聞いた内容を伝えるという目的があると、読む姿勢、聞く姿勢も違ってきます。確かに生長の家の布教活動においても、教えをただ学んでいるときと、伝えようとして学ぶときとは、教えの吸収の仕方に大きな違いがあるのと同じだと思いました。

 情報源を失念してしまいましたが、次のような話を聞いたことがあります。それは、小学生か中学生のあるお子さんが塾も行かないで常に成績がトップだというので、どういう勉強をしているか調べてみたところ、その子のお母さんが色々な事情で学校へ行けなかったので、息子さんに「学校で習ったことを教えてほしい」と頼んだというのです。それで親孝行の息子は学校で習ったことを母親に伝えるために、授業中、必死で先生の言うことを聞いていたため、習ったことを驚異的に記憶していた、ということでした。

 先日もABCテレビのニュースを見ていたら、レポーターの人が小学校に入っていって小学生に質問している場面がありました。メキシコ湾で起きている原油流出の事故について、色々質問しているのです。そして小学生が意見を言うと必ず「Why?」と言って理由を聞きだし、その答えをもとにさらにディスカッションを上手に発展させていっていました。

 娘もプリスクールの時代から(3歳、4歳から)、意見を言って、理由を聞かれて、「because」で始まるセンテンスを話していたように思います。ただし、その頃はほとんど理由になっていませんでしたが。。。しかし、そうやって自分の意見を言い、その理由を話す習慣をつけていれば、身の回りで起こることも色々と考えながら、積極的にとらえることができるようになるのだと思います。

 生長の家の書籍や雑誌の一部を読んで感想を述べあう「輪読会」はどの国でも行われていると思いますが、日本の方は一般的にシャイだと思います。ハワイ教区では、日頃よく話す人はもちろん、普段はそれほど話さない人も意見を求められると堂々と、その文章に関連する自分自身の体験や疑問を投げかけたり、実に積極的に意見交換が行われている場面をよく目にしましたが、これはそういう教育を受けてるからだと思いました。ちなみに、日本語の母親教室に参加されていた若いお母さんたち(日本人)も、初めて参加された方でもご自身の意見をしっかり言われるのに感動したことがよくありました。

 私もアウトプットを意識した読書をしていこうと思います。
 
 阿部 哲也


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日系人もいろいろ

 今日は「谷口清超先生1年祭」を生長の家ハワイ教区の実相センターで行いました。アメリカ合衆国の生長の家では、来週末にLAでインパーソンのミーティングがあるので他の教区でも今日、み祭が行われたようです。

 谷口清超先生のご遺徳を偲ぶ祭文(日英)の奏上、『甘露の法雨』の読誦があり、先生のご遺徳を偲ぶ講話を私が英日で行った後、最後に先生が作詞された「かみをたたえて」を全員で斉唱しました。これはまだ英語訳はありませんが、内容を知ってから歌って欲しいと思ったので、英語に訳して内容を確認した後、ピアノ伴奏に合わせて歌いました。以前、英語の練成会で練習をしたことがあるので歌える人もいて、美しい歌詞とメロディーに皆が魅了されていました。

 さて、今回は日系人の話題です。といっても私が知っている範囲のことですが、日系人にも色々な人がいます。話す言葉で分類すると:

(1) 日本で生まれ、育って、こちらに来た人(この人たちは日系人ではなく日本人です。だから日本語が第1言語です。ほとんどの人は英語も話しますが、中には50年住んでいても英語は全然というツワモノもいます)
(2) こちらで生まれ育った人で、英語も日本語も同じように理解し、話せる人。(第1言語は英語、以下同様)
(3) こちらで生まれ育った人で、日本語がある程度理解でき、ある程度話せる人
(4) こちらで生まれ育った人で、日本語がある程度理解できるが、話すことはできない人
(5) こちらで生まれ育った人で、日本語がほとんど理解できない人

 というように顔は日本人風、名前も日本人の名前でも日本語が話せる度合いは実に様々です。しかし、たとえ日本語が分かる人でも本は仮名がないと読めない、という人がほとんどです。

 英語を使ってコミュニケーションをし始めた人にとっては、(2)の人と(5)の人と話すのは全然違います。もちろん難易度は(2)→(5)になるに従って上がっていきます。そして日系人ではない人と話すとなると、もっと難しくなります。それは言語以外の要素、つまり思想的、文化的なバックグランドが全然違えば、言わなくても通じ合える内容が少なくなり、相手が何を言おうとしているかを言葉以外で判断できないので、コミュニケーションが格段に難しくなるのです。

 例えば同じ内容のものをテレビで見ながら聞くのと、ラジオで耳だけで聞くのとは難易度が全然違います。目による情報があった方が数段楽です。また同じ内容でも直接話すのと電話ではやはり全然違います。相手の表情、目線、ジェスチャー、こういう要素があるのと無いのとでは当然ながら全然話しやすさは違います。さらに携帯電話となると音が不鮮明になったり、途切れるので、さらに難易度はグーンとアップします。私は未だに携帯での会話は苦手なので、事務所や自宅にいるときに携帯にかかってくると固定電話に掛け直してもらうことがよくあります。

 ある本で読んだのですが、英語の習熟度が全く同じの日本人とフランス人に相撲に関する記事を読ませたところ、明らかに日本人の方が理解度が深かったということを読んだことがあります。フランス人は一般的には相撲になじみがないので、親しみも、知識もないので頼りになるのは語学のみですが、日本人は相撲とはこういうものということを知っていて、イメージができるので、たとえ分からない単語が出てきても想像を豊に膨らませながら読み進めることができるのです。

 さて、話は日系人に戻りますが、私が知っている日系人はほぼ例外なく、日本食が好きです。先日カウアイにいった際にお会いしたフランシスハマダさん(デービッドハマダさんの奥さん)は日本語の理解力は上の分類では(4)ぐらいの人ですが、数年前、NYで行われたリーダーのための練成会にハワイから数人で参加したときのことを、こんなふうに話してくれました。

「練成会で出された食事が朝から晩までみんなアメリカの食事でしょう。だからハワイの食べ物が懐かしくて懐かしくて。それで練成会(2泊3日)が終わってからハワイから参加した皆と一緒にNYの街をうろうろして日本食のレストランを探してようやく見つけて定食を食べたの。美味しかったわー」(フランシスさん)
 
ここで面白いのは、アメリカとハワイを区別していること、そしてハワイの食事は日本食だと思っていることです。ご両親が日本人で、同じ日系人のご主人と暮らしているので、基本的には食事は“日本食”を食べておられます。しかしコーテーションマークをつけた「日本食」です。つまり現地にとけ込んだ日本食なので、おむすびにスパムが乗っていたり、味付けが甘かったり、私たちがイメージする日本食ととかけ離れているものもあります。

 最初はこのちょっとした、しかし私にとってはときには深刻な違いに戸惑い、ストレスになったりもしましたが、最近は買うもの、入るレストランを選んでいるのでそういう思いはなくなってきました。それでも、カナダやメインランドに出張したときに出される日本食を頂くと、「そうそう、この味、この味」と思うことがあります。

 阿部 哲也 拝

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10カ国語のおはよう

 アサヒオンラインにこんな記事がありました。タイトルは、『ルポにっぽん 10カ国語の「おはよう」』です。

 横浜市泉区にあるこの小学校では外国籍、外国出身の児童が過半数を占めるため、それに対応するため様々な取り組みがなされています。以下、記事の一部を引用します。

~~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~~~~~
 4歳で中国から移住し、04年度までPTA代表を務めた福山満子さんは、通訳を兼ねた「学習支援者」として授業に立ち会う。

 今春、中国から来た男の子が気になっていた。不安そうな顔はかつての自分だ。日本語はかなり理解できているのに話す勇気が出ない。

「私の給食、取ってきて」と背中を押した。「一人じゃ怖い」と言っていたが、「福山さんの給食を取りに来ました」とちゃんと職員室で言えたらしい。トレーを抱え戻ってきたうれしそうな表情が忘れられない。
~~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~~~~~

 この男の子の気持ち、よく分かります。私もこちらに来てから会議に出席していて、何か言いたいのだけど、口先まで出てくるのですが言えないことがずっと続きました。もちろん、うまく言えなかったとしても、皆さんが意を汲んでくれるし、だいたいのことは伝わるのですが、どうしても言わなければという緊急性があるとき以外は、どうしても話せなくなってしまうのです。いつか会議の参加者から、「どうして先生は会議であまり発言しないのですか?」と会議中に言われて、かなりへこんだこともありました。「何も好きで言わないんじゃないんだ」と思うのですが……。

 それでも、最近は平たく言うと、会議に参加できているような気がします。割合思っていることを言うようになったので、意外なところから反論があって、そんな風に考えるんだぁと思ったり、驚いたり。コミュニケーションが捗るようになることは、良いことだと思いますが、そうなったらなったで、次の課題が見つかるものです。

 なおこの記事の全文は、下記のアドレスからどうぞ。

 http://www.asahi.com/national/update/0629/TKY200806280285.html

-TA

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古池や……

『理想世界』7月号(日本教文社刊)にのっていた、作家の呉善花さんの「古池や……から広がる不思議な世界」、とてもためになりました。

 その中で松尾芭蕉の有名な一句、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」の英訳が3つほど紹介されていました。

 Old Pond ― Frogs jump in ― sound of water.   
 小泉八雲 訳

 The ancient Pond ― / A frog jumps in / The sound of water
 ドナルド・キーン 訳

 An old quiet pond, / A frog jumps into the pond / Splash!
 Silence again.

 カエルが1匹なのか2匹なのか、日本語では問題になりませんが、英語は明確にしないといけません。しかし、「古池や……」の句を聞いて(見て)、何匹ものカエルが一斉に飛び込む姿を想像する日本人はあまりいないと思います。「現在は単数で訳すのが一般的である」(同誌、p32)のも頷けます。そして善花さんは3つ目の訳に関して、次のようにコメントしておられます。

  ~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~
 日本語原文には、「静かな(quiet)」も「[パシャンと]水がはねる(Splash!)」も「再びの静寂(Silence again)」も見えていない。いずれも、日本人の心性では「言うまでもない」ことで、「あえて言わないこと」で示されている。それらを訳文に入れるのはよくないという意見もあるかと思う。それでも、予備知識なしに西洋人がそのまま味わうには、こういうやり方はよいのではないかと思う。
  ~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~

 善花さんがおっしゃっていること、よく分かります。日本人だったら説明しなくても良いこと、説明するとうるさく聞こえてしまうことでも、詳しく説明しないと伝わらないんだぁ~と思うことがしばしばあるからです。しかし、その説明する部分が何かが、なかなか分からなかったのですが、今少しずつ理解しかけてきました。
 
 ところで、上の訳文の1つ目だったらいくつものカエルが、ピョンピョンジャンプして池に飛び込む姿を思い浮かべるかもしれません。文に説明を入れると、原文のニュアンスがかえって損ねることもありますが、この3つ目の入れ方は、表現が簡潔で、上手に日本人の感性を表現してくれていると思います。とくに、最後の「Silence again」に気がつき、入れた方、すごいと思います。最後に静寂がこないと、この場面は完成しないと思うのです。

 日本語と英語と両方の世界に今住んでいて、少しずつ“英語の世界”に住んでいる人たちの感覚が分かりかけてきたところにいますが、言葉や文化は奥が深いなぁと思います。

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食べ物の恨み……

 異文化コミュニケーションで欠かせないのは、通訳の存在です。通訳をする、ということと、2つの言語がそれぞれ話せる、ということは全然違います。言語には文化的な側面が含まれますから、置き換えられない言葉も少なくありません。最近、よく話題に上る「Mottainai」はその代表的な例だと思います。その他、日本語にも精通し、『日本人の英語』の著者として有名なマーク・ピーターセン・明治大学教授は、「えらい」という言葉も、日本語のニュアンスをそのまま英語にするのはかなり難しい、と同書の中で述べておられます。

 さて、通訳者の直面する問題について、一般の方々が「通訳」に対して抱いているイメージのギャップについて語らせたら、米原万里さんを置いて他にはいないと思います。とりわけ、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』は衝撃的でした。抱腹絶倒間違いありません。私が通訳という存在に興味を持ったのはこの本を読んでからです。その後、通訳養成学校に入り、「エライ目」に逢いましたが(あまりに厳しくって)、今ではその経験に感謝しています。

 しかし、残念ながら米原さんは、昨年5月、56歳という若さでに逝去されました。

 以下には、米原さんの痛快なエッセーがあります。

 食べ物の恨みについて書かれている米原さんの作品
 http://www.alc.co.jp/eng/hontsu/soutsu/0006.html

 その他の米原さんの作品を読みたい方はこちらからどうぞ
 http://www.alc.co.jp/eng/hontsu/soutsu/yonehara.html

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異文化の交流

 27日、28日は日本全国と、世界の国や地域から生長の家の代表者が集まり、来年度の運動方針を徹底する会議が行われました。私が所属する国際部では、アメリカやブラジルなどの教化活動上と運営管理上の責任者合わせて十数人のお世話を担当しましたので、大変賑やかでした。

 会議の後はそれぞれ打合せがあったり、また個別の会議があったりしますが、その合間を縫って27日に合わせて7人でお寿司を食べに行きました。ところでそこに集まった人たちのバックグラウンド、話す言語は次の通りです。

 カリフォルニアに住む日系アメリカ人……英語、日本語(少しは理解できる)
 ドイツに住む日系ドイツ人……ドイツ語、英語、日本語(少々)
 韓国に住む日本語を話す韓国人……韓国語、日本語、英語(聞くことはできる)
 ドイツに駐在する日本人……日本語、英語
 アメリカに10年住んだことがある日本人……日本語、英語
 スペインに留学したことがある日本人……日本語、スペイン語(少々)
 そして、私……日本語、英語(それなりに…)

 こういう7人が集まりまして、日本語、英語を半々で使いながら、「この寿司は英語で何と言うのか」とか、「初めて食べた味はどうだった?」などと会話が大いに弾みました。寿司はカリフォルニアやフランクフルトにもありますが、やはり種類が全然違うとのこと。日本のお寿司は魚の種類が多いようです。
 またこの7人、最初から集まることになっていたわけではなく、成り行きで行くことになったため、日頃から海外の方と接する機会がある私も、こんなに豊富なバックグラウンドを持つ人と食事をしたのは珍しいです。世の中には、「違いは争いの原因」と考える人もいますが、違うということは楽しいこと、豊かなことと考えることもできます。色々学ぶことができます。とても充実した、楽しいひとときを過ごすことができました。

-TA

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異文化コミュニケーション

「異文化コミュニケーション」という学際があることを知ったのは、3、4年前でした。当時、NHKラジオ「ビジネス英会話」で「土曜サロン」を担当されていた馬越恵美子先生が番組でよくおっしゃていたからです。その頃私は職場で、海外で行われている行事を記事にする仕事をしていたので、異文化を理解する必要があり、馬越先生とネイティブのやりとりをとても興味深くお聞きしていました。

 この学問は比較的新しいのだそうで、エドワード・T・ホールという人の『沈黙のことば』(The Silent Language)が好著なのだそうです。(だそうです、と書いたのは私自身はかじった程度しか読んでいないので)その中でおもしろいと思うのは、文化には、高コンテキスト(High Context )文化と低コンテキスト(Low Context)文化があり、それぞれの文化に属する人には一定のパターンがあるということです。

 高コンテキスト文化においては、人と人は深い人間関係で結ばれていて、話さなくても分かる、いわゆる「以心伝心」が通用する文化、だそうです。何となく想像がつきますが、日本が典型的な例なのだそうです。一方、低コンテキスト文化とは、人々の間で共有される情報が限定されるため、1から10まで全て説明をしないと理解されない。従って、自らの意志や意図を、人々に示すコミュニケーション能力が非常に重要とされる文化、だそうです。典型的な例は言うまでもなくアメリカです。

 ですから、国際的な会議、その他のイベントにおいて、日本人は自分を表現するのが上手くないと言われてしまい、その点損をしていることは否めません。

 英語を勉強し始めて、ネイティブの先生から教わるようになり、色々と日本のことについて、仕事について、自分の考えについて聞かれるようになり、日本語でそんなこと考えたことあるかいな? と思い当たることがよくありました。日本語で考えたことがないことを英語で考えるのは、今の私には非常に辛いことです。なぜ、今の仕事をしているのか、なぜ、日本にはこんなに自動販売機があるのか、なぜ、日本社会にはいじめ、汚職、談合が後を絶たず、またメディアは繰り返し取り上げるのか、等々……なぜ、なぜ、なぜ、なぜ??? 良くこんなに質問することがあるなぁと思うぐらい、聞かれるので、ものごとを考える癖が少しずつ付いてきました。

 それに関連しますが、私はいろいろな国や地域でお話をさせていただく機会がありますが、出て来る質問がそれぞれの文化によって違う、と思うことがあります。日本を含むアジアの国や地域においては、たとえ人々が聞いているとしても、質問は自分の生活にかかわること、あるいは悩んでいることが多いのですが、欧米の国々では疑問に思うから、知りたいからたずねる、ということです。そして、時々何を質問されているか分からず戸惑ってしまうこともあります。これも文化を超える際には必要なことなんだと思います。

-TA

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違いを楽しむ

「ネスカフェ ゴールドブレンド」のコマーシャルみたいなタイトルですが、内容は違います。英語学習をはじめて8年目になりますと、英語を聞いていて、アメリカ人が話しているかイギリス人が話しているかぐらいは分かるようになります。(そんなの遅すぎる? まぁそうおっしゃらずに…)ただ今のところ私の先生役をしてくださっているNHKラジオ「ビジネス英会話」の vignette(小作品)の登場人物にも British English を話す方がいます。こういう番組では、文法的な間違いもないし、発音もきれいだし、雑音もないのに知っている言葉でも聴き取れない音がよくあります。

「can」は学校では「キャン」と習いましたが、イギリス英語では「カン」です。ですから私は最初、「I can't ...」を「アイ カント。。。」と発音されるので何のことだかさっぱりわかりませんでした。そのほか、「schedule」は US English では「スケジュール」ですが、British English では「シェジュール」と聞こえます。しかしそう言っても、際立って違っている部分はそれほど多くなく、BBC(イギリスの国営放送)も慣れてしまえば、難しい内容でなければ(ここ、ポイントです~)割合聞けるようになってきています。

 あと面白いと思うのは、「ハリーポッターと賢者の石」は、イギリス版(原版)とUS版のタイトルが違うことです。イギリスのオリジナルでは、「Harry Potter and the Philosopher's Stone」ですが、US版では「Harry Potter and the Sorcerer's Stone」。そうそう、「Philosopher」(賢人、哲学者)が「Sorcerer」(魔法使い)に変わっています。タイトルまで変えて発売するなんて、英語が non-native な私にはちょっと奇妙に感じてしまいますが、その理由について以前、家庭教師をしてくれていたアメリカ人に聞いたことがあります。彼によると「Philosopher」だと釈迦とかカント、ヘーゲルなど、重厚なイメージを持ってしまうので子どもが寄りつかないかもしれない、と言っていました。な~るほど。

 そういえば宮崎駿さんのアニメ、『魔女の宅急便』の英語のタイトルは「Kiki's Delivery Service」。魔女(witch、作品の中では Kiki は自分のことを witch と紹介している)はタイトルから外れているのも色々考えがあるんでしょう。ちなみに私の娘はこのアニメが大好きで、毎日のようにDVDを見ていますが、音声を英語にして聞かせていると、ときどきそれをマネして発音しています。また、よく注意して見ていると(聞いていると)、使っている音楽が全然違っていることに気付きます。

 これとあまり関係ありませんが、日本語と英語の表現の違いで最近興味深いのは、環境問題について、日本語では、「温暖化現象」「地球環境問題」という表現はよく使われますが、「気候変動」とはあまり言いません。しかし、「climate change」(気候変動)という言葉は英語の新聞やニュースでは頻繁に目(耳)にします。先日、温暖化現象は人為的と科学的なお墨付きを出したIPCCという機関の名前も「Intergovermental Panel on Climate Change」(気候変動に関する政府間パネル)です。ちなみに、検索サイトの「Yahoo!」(yahoo.com)で検索してみましたら、ヒット数は以下の通りでした。

 global warming       6,890万件
 climate change       3,890万件
 environmental issues   1,010万件
 environmental problems  337万件

 どのようなニュアンスの違いがあるか、今度家庭教師の先生に聞いてみたいと思います。

 文化を超えるというのは、言語が同じであっても違っていても、面白いものだと思います。(実際、異文化で生活をされている方はそんな悠長なことは言っていられないでしょうけど……)

-TA

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