感謝祭にちなんで

 今日は北米では感謝祭(Thanksgiving)の日です。11月22日付のAP通信の記事で、他の人に感謝をすると自分のためにもなるのだけれども、その方法についてのヒントを掲載していましたので内容をご紹介します。

 感謝についての研究をしている心理学者は、人に感謝をするときには次のことに留意すると自分の心の満足度が高まると教えています:

・感謝したいことを日記に書くこと。夜に、その日やその週に起こった良かったことを書くこと。(どこかで聞いたことがありますね!)感謝すべきことに対して感情を込めて書くこと。

・感謝すべきことを書くときには、人に焦点を当てること。ある人に感謝をするときに、その人がしてくれたことよりも、その人自身に感謝することに重きをおくこと。

・自分と親しい人が、もしいないといたらどんな気持ちになるかを考え、感謝の気持ちをつづること。

・「どういたしまして」(you're welcome)の力を過小評価しない。誰かがあなたに対して感謝をしてくれたことを心で認めることが大切。それがあるからあなたに感謝をしてくれるのだから。

 という内容でした。「見えざる同志」に出会った気がして、嬉しい気持ちになりました。原文はこちらです。http://abcn.ws/tnO1aY

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人間には「エンパシー」がある

 7月18日(現地時間)に「なでしこジャパン」が日本のサッカーの歴史に燦然と輝く女子サッカーワールドカップ優勝を成し遂げたのは記憶に新しいのですが、私の母校である静岡高校が8年ぶり22回目の夏の甲子園出場を果たしたのも、私にとってとても嬉しいことでした。

 しかし考えて見れば不思議なものです。サッカーでは自分は少しもボールを蹴るわけではなく、報酬を受けるのでもないのに、優勝した選手と喜びを共有しています。そして、これまでそれほど関心のなかった女子サッカーについて、色々と記事を読むようになりました。また、母校が甲子園に出場するという報道を読むと、やはり選手や関係者と喜びを共有します。

 この「喜びを共有する」メカニズムについて、谷口雅宣・生長の家総裁はご著書『小閑雑感Part18』で詳しく説明されています。その正体は「empathy」だと書かれています。142頁から引用します。

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 empathy という語は、sympathy と間違われやすいですが、少し違います。sympathyの語は、他人の不幸に対して可哀そうに思うことですから、日本語では「同情」とか「あわれみ」と訳されています。これに対し「empathy」は、ドイツ語の「einfuhlung」から来ている。この語は、1872年にドイツの美学者、ロベルト・ヴィッシャー(Robert Vischer)が造語したもので、ある対象に向かって自分の感情を移入して、その対象を理解することを指します。その後、ある人が他の人の立場に立って、その人の感情や考えを理解するという心理的過程を意味するようになりました。英語圏で「empathy」が使われるようになったのは、1909年以降で、アメリカの心理学者がドイツ語からこの語を造語して、「他人の感情の中に入る」という意味となり、日本語では「感情移入」などと訳されています。
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 谷口雅宣先生は『同書』で、アメリカの文明批評家であるジェレミー・リフキン氏の著作、『The Empathic Civilization』(感情共有の文明という意味)という英書の内容を紹介されながら、今世紀の人類が地球温暖化の危機を乗り越えるためには、「エンパシー(empathy)で繋がり合った社会とその中の人間」ともいうべき人間観に基づいた新しい文明が必要であることを解説されています。多くの歴史家は、社会における争いや戦いについて書き、人間相互の社会的つながりや、それらが進化し、拡大することで文化や社会にどのような影響を与えたかは語られることがないが、本当は歴史的な事件とは関わりのない、圧倒的多くの日常生活の中に人間の本性が現れているのであり、人々は数多くの小さな思いやりや親切な行動の連続で互いに支え合っている、というのです。そして、リフキン氏の次の言葉を紹介されています:

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「私たちは、他人との日常のやりとりでは、たいてい相手を気遣う。なぜなら、それが私たちの中心的本性だからだ。他人の身になって考えることで、私たちは社会生活を創造し文明を進歩させてきた。だから、端的に言えば、たとえ歴史家から重視されてこなかったとしても、人類史の底を流れる本質的特徴は、この相手を思いやる意識の素晴らしい進化なのである」。(『同書』130頁)
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 そして、人間の中にある「empathy」の一例として、オリンピックの際に起こる私たちの心の動きを例にあげ、次のように述べています:

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 ところで、皆さんはカナダのバンクーバーで行われていた冬季オリンピックの競技を、テレビなどで観戦されたと思います。そのときに、私たちは「empathy」を体験したのではないでしょうか。つまり、日本人なら日本の選手に感情移入して、自分自身をその人の立場に置いて、競技や演技の成功を祈ったのではないでしょうか? その時は、自分がその選手になったつもりで、感情移入をしているのです。選手を通して、自分がその競技をしているような体験をする。これが「empathy」であります。(『同書』144頁)
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この文章は、2010年3月1日に挨拶されたものが基礎になっていて、浅田真央選手が女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、バンクーバーでの冬期オリンピックの直後でしたのでバンクーバー五輪のことが話題にでています。ちなみに私は、2008年10月に生長の家の行事で派遣されて同地を訪れたことがあります。そのときはオリンピックの2年前で、空港はとてもきれいになっていて、オリンピックを迎えるための準備が着々と進んでいた頃でした。私は当時、ハワイに住んでいて、コートの持ち合わせがなかったので寒かったですが、久しぶりに感じる、朝の凛とした清浄な空気、そして美しい紅葉を堪能したのを覚えています。

 これは明るいニュースに共感した例ですが、その反対もあります。現在、ソマリアでは政情不安と干ばつで、ひどい飢饉が起こっています。先日、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)からその知らせと寄付のお願いのメールが来たので、僅かばかりを寄付しましたが、毎日のようにニュースの映像を見ていると、ものすごく心が痛みます。

 阿部 哲也

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お盆(2)

 昨日まで生長の家宇治別格本山で盂蘭盆大祭が行われており、私は実行委員の一人として前日の準備も含め、17日から19日まで行われたお祭りに参加しました。この大祭は今年で55回目となるそうです。

 ハワイにいましたとき、仏教のお寺などで、「Bon Dance」という文字を見かけることがよくありましたし、広報誌などでも「Bon Dance」が行われます、ということが書かれていました。ですから、日系の人でなくても、「Bon」という言葉を知っている人は多いのではないかと思います。

 さて、「お盆」という言葉の語源は、「盂蘭盆」と呼ばれる仏教の習慣から来ているそうですが、フリー百科事典『ウィキペエディア』によると、盂蘭盆の行事は、「本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものであろう」と書かれています。「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』には、次のようなお話が出ているそうです(出典:『同』):

~~~~~~~~~~(ここから引用)~~~~~~~~~~~
 安居(注、僧侶が一定期間、一定の場所で修行をすること)の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
 哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
~~~~~~~~~~(引用ここまで)~~~~~~~~~~~

 ところが、この習慣が日本に入ってくると、お先祖の霊があの世から戻ってきて、天に戻っていくという、日本の古来からの信仰が結びついて、「お盆」と呼ばれる独自の行事が日本に定着しました。中国や韓国でも「盆」はありますが、やや違った行事として定着しているようです。(「お盆」と言えば帰省ラッシュが連想されるのも日本独自だと思います)

 生長の家では、宗教というものは、それが発祥した土地から地理的に離れて伝わっていくと、その精神は保持されながらも、形式とかスタイルはその土地に合うものに変わっていく、ということを説いています。それは逆に言うと、その土地にあったものに変わっていかない宗教は廃れてしまう、ということでもあります。

「お盆」ひとつとっても、奥が深いです。

 阿部 哲也


 

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イエス様のお話で強盗を思いとどまる

 7月30日付のABCニュース(ポドキャスト)で以下のような話が紹介されていました。

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 フロリダの携帯電話の販売会社に銃を持って現金を奪おうと強盗が入ってきました。911を回して「警察」を呼ぶ代わりにこの女性店員は、心を落ち着けてなんと「神」を呼んだのです。(C)は店員、(R)は泥棒です。

(C) I am just going to talk with you about the Jesus that I have.
(私が知っているイエス様のお話をあなたとしたいと思います)
(R) The What?
(何だって?)
(C) The Jesus I got before you leave.
(あなたがここを去る前に、イエス様のお話を)
(R) God bless you for that.
(あなたに神の恵みがありますように)
(C) I'm Christian.
(私はクリスチャンです)
(R) So am I, and I absolutely hate doing this.
(私もです。こんなこと決してしたくはないんですけど)

 会話はさらに続き、最後には泥棒は頭を下げて何も取らずにその場を去っていきました。この女性は、男が罪を犯すことから救ったのです。
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 素晴らしいお話だと思います。セキュリティーカメラに写っている映像では、この泥棒さん、ちゃんと頭を下げて、出て行っていました。礼儀正しい人なのできっと更生することでしょう。

 生長の家でもそういうお話はよく聞きます。ブラジルでタクシーに乗っていた生長の家の会員がドライバーさんに「人間神の子」のお話をしたら、降りるときにドライバーがさめざめと泣きながら、「実は今日はお金に困っていて、お客をピストルで脅してお金を巻き上げる所だったが、自分の中に神様が宿っているというお話を聞き、このような自分が恥ずかしく思いました。料金は要りません」と言ったということを、渋谷晴雄・元ラテンアメリカ教化総長が話しておられたことがあります。

みんな神の子、すばらしい!

 阿部 哲也

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幼な子の信念について

『新版 幸福生活論』(谷口雅春著、日本教文社刊)の中に次のような話が載っています。(以下引用)
~~~~~~~~~~(引用始め)~~~~~~~~~~
 四国に非常に病気治しの上手な老婆があった。彼女は人の病気を加持祈祷する時「大麦小豆二升五銭」と呪文を唱えながら、気合をかけると病気が立所に治るのである。老婆がみずからこれを大切な呪文だと信じ、自己の与えた積極的な呪文の言葉が神の癒す力の表現であると信じて居たので、そのように治効を現したのである。ところが、一人の僧侶がその呪文は金剛教にある『応無所住而生其心』(おうむしょじゅうにしょうごしん)のカタコトであると云って金剛経の講義を聞かされた。老婆はそれ以来『応無所住而生其心』とやって見るけれども病気は治らなくなったと云うのである。何故カタコトの呪文が、治効をあらわしたかと云うと、それを唱えるとき、「この呪文が効く」と云う信念を有っていたからである。何故、金剛経の正しい呪文を唱えたとき効かなかったかと云うと、その呪文を信せず、口に唱えながらも何だかアヤフヤな気がしていたからである。(同書、247頁)
~~~~~~~~~~(引用終り)~~~~~~~~~~

 信念の強さで言うと、幼な子の信念も相当なものだと思います。私の娘は、どんなに痛くても絆創膏を貼ると治ると信じています。ですから転んで頭をぶつけても、それが例え擦り傷ではなくても、絆創膏を付けるまで痛いと泣いていたのが貼った途端、「治った!」と笑顔になります。また、病院に行くのが嫌なので、鼻水が出ているときお鼻の市販薬を飲ませると、飲んだ瞬間に「治った!」と言って、抗生物質を飲まないと治らないようなときを除いては、2、3回薬を飲むことによって生じる「治った」という信念で直してしまっているように見えます。

 その反対に困るのが絆創膏を貼ってあるところにシャワーのお湯が当たるとしみる、と信じ切っていることです。以前の強烈な印象が残っていて、たいして痛くもないところに貼り付けた絆創膏にシャワーが当たるのを極端に嫌がり、お湯があたると「しみるーー! やめてーー!」と泣き叫ぶのです。そういうときは無理やり絆創膏をはがしてしまうと泣きやみます。信念の力、恐るべしです。

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人生を考える

 昨日無事にNYからハワイに戻ってきました。講師の1人としてはもちろん、参加者としても初めて参加したInternational Spiritual Training Semiar(ILTS, リーダーのための練成会)は新鮮で、講話はもちろん参加者からも多くの事を学ぶことができ、大変有り難い機会を与えていただきました。

 それにしても朝6時にホテルを出てラガーディア空港に出発して、カネオヘの自宅に帰ってきたのはNY時間の午前3時。ハワイの時間では午後9時ですのでそれほど遅くないのですが、とにかく眠たくて眠たくて。。。

 行きの飛行機の中では、普段読めないからとひたすら本を読んでいました。一晩を超えるフライトでしたが、時間の関係でほとんど眠られなかったのでこれ幸いとばかり、日頃の鬱憤をはらすように持参した本を次々に読んで爽快でした。

 帰りのフライトでは、ほぼ半分の時間は寝て過ごしましたが、日頃、ゆっくり考え事をする時間がなかったせいか、色々なことが頭に浮かんできて、人生そのものを考える機会になりました。

 もちろん今与えていただいてる仕事は、とてもやりがいのある、それはそれは大切な貴重な仕事であることはよく理解していますし、だれもが経験できることではないことも十分理解しています。そのことに対する感謝は微塵も揺らぎません。が、家族がどういう思いをして暮らしているのかについて、これまで聞いているようでいて、深く認識に入っていなかったことが最近分かってきました。

 あまりに余裕のない生活は、自身にとってもよくありませんが、家族にも周囲にも迷惑をかけ、それは神のみ心に叶わないと思うのです。生活全般について、とりわけ心の比重の置き方についていろいろ考えを巡らしておりましたら、懐かしい(と言ってもまだ5日しか経っていない)ホノルル空港に到着。プルメリアの香りに誘われながら手荷物を受け取り、お馴染みになった道を通って、帰宅しました。

 帰れば家族の笑顔に迎えられ、お茶漬けを軽く一杯。もう1年も会わなかったのでは、と思うほどの歓迎を娘から受け、家族の有り難さを身にしみて床に就きました。

-TA

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ステキな老い方

 団塊の世代の大量退職が始まる今年は、メディアでリタイア後の生活について特集があちらこちらで組まれています。田舎暮らしにはじまり、ボランティア活動やその他、生き甲斐を見つけて生き生きとして暮らしている方々を見るとそれはそれで、魅力を感じます。

 生長の家の信徒の方々には、70歳、80歳を過ぎても現役でバリバリ働いておられる方も少なくありません。かく言う私の祖父は82歳まで働き、祖母も70過ぎても生長の家本部の役員として働き続けていました。(しかし、今年米寿を迎えた祖父が要介護のため、2月末で退職です。長い間、お疲れさまでした!)

 生長の家宇治別格本山の総務をされている楠本加美野・長老は80歳を過ぎてパソコンを始められ、60年間の道場生活の経験を生かし、ブログを開設され、人生の様々な問題に回答されています。毎日おびただしい数の記事がupdateされていき、そのパワーに圧倒されてしまいます。

http://www.kaminoko.org/kamino/

 また、やはり80歳を過ぎてもかくしゃくとして絵を描き続けられている遊馬正(あそま・ただし)画伯も生長の家の地方講師(生長の家の教えを伝えるボランティア講師)です。同画伯の座右の銘は、「日々に進まざれば、日々に退く」だそうです。うんちくのあるお言葉です。

http://www.sni-honbu.or.jp/sakk/koen/asoma_01.html

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香港出張

 1月12日から15日まで出張で香港に行きました。香港への出張は昨年の3月に行って以来、10カ月ぶりです。香港はエネルギッシュで、とっても活力のある街です。車のスピードも速いし、人々が歩く速度も速いし、おまけにエスカレーターまでも速い……。これでよくお年寄りがケガをしないなぁと思うぐらいです。しかしその一方で、環境問題は深刻で、空は何となく「もや」がかかった感じがします。

 日本から香港までのフライト時間は行きが約4時間半、帰りが約3時間半。飛行機に乗って飲み物を頂いて、昼食を食べて少しゆっくりすると到着するという、慌ただしくもなく、長すぎもしない、ほど良い空の旅が楽しめます。

 ところで今回の出張目的は、中国語の誌友会(生長の家の小集会)、日本語の誌友会、中国語の父母教室、そして幹部のための勉強会で講話(各60分)を担当するためでした。もちろん私は中国語を話せませんので、日本語以外の行事では同行してくださった中国出身の通訳者に通訳をしていただきました。
今回のテーマは、「環境保全活動と信仰生活」。私たちのものの考え方、思い、そして消費活動が環境問題と密接に関わっていること、生長の家では神の愛の実践として環境保全活動を行っていることなどをお話させていただきました。

 現地の方の話によると、ここ数年、中国本土の方が沢山入ってこられているとのこと。その言葉を証明するかのように、本土出身の方で、生長の家に触れて1年未満という方が沢山来られたので、会場は活気に満ちていました。中でも中国語誌友会には30名の方がご参加くださり、狭い会場は熱気にあふれ、講話の後には質問も相次ぎました。

 私が海外に出張して困ることのひとつに、食事のportion(1人分の分量)が多いことがあります。プレゼンテーションをする前後はあまりお腹が空かないこと(日頃から食べる量はあまり多くないので)もあり、1日2食にして調整したこともありました。その甲斐あってか、体調は非常に良いまま終えることができました。(美味しいものが多い街で、食事の分量を適切にコントロールすることは、<ニセモノの>自分に打ち勝たねばなりませぬ。。。)さらに良かったことに、ホテルは繁華街の外れにあり、目の前には小さな山が。空いている時間を見計らい、毎日のように小一時間のウォーキングを楽しむこともできました。

 帰国後は家族で回転寿司へ。たった4日しか経っていないのに、随分逢わなかったように感じる家族と楽しいひとときを過ごしました。

-TA

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写真のアップデート

 写真のコーナーをアップデートしました。これは、昨年の10月、韓国・大邱に出張したときの写真です。(もうあれから1年。Time flies!)生長の家の教えを学び実践するための4泊5日間のセミナーに講師として伺いました。
 行事が行われた大邱は、港町、釜山から車で約2時間ほどの割合大きな都市です。成田から釜山までは飛行機で、1時間と40分ほどですから、東京から長崎に行く感覚でしょうか。韓国は日本と時差がありません。
 ところでセミナーへ参加された方の総数は、約260名。ここでは、熱気あふれるセミナーの様子と、街角で写した写真を少しご紹介します。「Seminar_in_South_Korea」からお入りください。

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中高生のセミナー

 今月の4日から7日、横浜市瀬谷区で開かれた神奈川県の中学生、高校生対象の生長の家の練成会(合宿形式のセミナー)に講師として参加してきました。中高生の参加者が30名ぐらい、運営スタッフもおよそ30名ぐらい、総勢約60名のにぎやかな練成会でした。

 私は5つの講話や個人相談等を担当しました。人間は本来、神から与えられている天分と使命を持っている神の子であること、「心」には偉大な力があること、日本という国の個性や生長の家が推進している「国際平和信仰運動」についてのお話をさせていただきました。等日頃からのお世話が行き届いていて、始めて生長の家のセミナーに参加する子供もいましたが、よく講話を聞き、用意した画像も真剣に見てくれて、とても充実した時を過ごせたと思います。関係者の皆様に、心から感謝申し上げます。

 今、生長の家では地球環境保全を運動に取り入れていますが、室温は常時28度以上、ゴミをしっかり分別する、食事に四つ足動物の肉は使わない(これは環境問題と関係なさそうで、ちゃんと関係しています。あと、「いのちを大切にする」という団体の趣旨にも沿っています)等が実践されていて、まさに説いていることと実行が一致したセミナーでした。

 初めは緊張ぎみの参加者が次第にうち解け、また、悩みを持ってきた中高生が、日一日と生き生きしてくるのを見るのは、とても嬉しいことです。最後には、感動して涙する姿も見られました。

 しかし時代を反映してか、離婚されている親を持つ子が結構参加していたのが印象的でした。

 私自身も沢山勉強になり、また若~い息吹に触れて、とてもリフレッシュすることができました。感謝!

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